津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■光秀研究会が小冊子無料配布 人物像やゆかりの地掲載/京都・福知山市

2019-04-24 08:58:36 | 新聞

            丹波新聞から引用 4/23(火) 11:02配信

                              

 丹波福知山明智光秀公研究会が「明智光秀公と福知山AtoZ」という小冊子を作り、無料配布している。光秀の人物像を史実や伝説、伝承などを通じて写真と文章で紹介している。

光秀や「赤鬼」ゆかりの地でマップ

 明智のAからZまでの26文字の頭文字により、光秀関連の文言を見つけ出し、福知山市を中心に丹波市、宮津市などのゆかりの地に会員が足を運び、写真を撮影した。CDサイズなので、コンパクトで見やすい。

 ▽円通寺には、光秀自筆の「下馬札」や「禁制」が伝えられている▽光秀に腹心として仕えた斎藤利三は黒井城陥落後に入城し、光秀の命を受けてこの地を治めた。娘のお福が成長し、徳川三代将軍、家光の乳母になっている―ことなども紹介。本能寺の変の原因などにも迫っている。

 3000部印刷。JR福知山駅内の福知山観光案内所に置いている。

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 又亀岡市役所のHPには亀岡愛に満ちた「麒麟のまち亀岡‐光秀が理想を描いたまち」が紹介されている。

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■細川内膳家と西園寺家

2019-04-24 07:21:38 | memo

■慶長十年(1605)茲年忠隆主息女ヲ生ム、徳媛ト名ク。(永源師壇紀年録)    (1605-1663)
          男子:西園寺公満(1622-1651)
          男子:西園寺公宣(1625-1670)---女(也須姫もしくは安姫)
               ↑            鷹司家から聟を迎えた。西園寺実輔(25歳で死去)---致季
                |
               ↓
             菊陽町文化財西園寺左大臣実晴男随宜之墓 (熊本県菊池郡菊陽町HP) 

■寛永十六年(1639)
 5155 正月七日西園寺實晴室宛書状 (大日本近世史料・細川家史料25) 
                     忠利が兄・休無(忠隆)の書状に添えて足袋などを送られたことに対して、姪・とく姫に対しての礼状
 (細川忠隆)
 きうむ殿ゟ人を御下シ被成候ニ付、御文、殊たひ三足うねさし、ひほまて御念入送くたされ、
 一入満足申候、先々、此はるの御祝、めてたく申おさめ候、そこもと御ふしのよし、めてた
 く候、われ/\もそくさいに罷有候、八代へもとしあけ御みまひ申候、三さい殿も一段御そ
 くさいに御さ候まゝ、御心安かるへく候、なをかさねて申承候へく候、かしく
     正月七日

     おとく殿(西園寺實晴室、細川忠隆女)
        御返事

■年月不詳
   内膳家二代忠恒(とく弟)             左大臣
 長岡友山老より檜垣の老女の繪に西園寺左府讃の歌御書寄付 (堀内傳右衛門の旦夕覺書・花 所載)



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