インターネットで公開している「新・肥後細川藩侍帳」が時折、いろいろな書籍や、論考その他に引用されているのを知り、少々背筋が寒くなる思いがする。
インターネットにUPした以上は、良きにつけ悪しきにつけ共有の財産だと考え、私もあちこちから引用させていただいていることだし、お使いいただくことに異議を唱えるものではないが、このサイトがまだ未完であるがゆえに、内容の錯誤なども有り、引用された書籍や論考にかえって迷惑をかける結果を恐れているのである。
私はいたって小心者だから、参考資料やURLとして当方サイト名がこれらに掲載されるのを見ると、心臓がバタバタする思いである。
何度かブログでも申し上げている通り、「新・細川藩侍帳」は改変を続けているのだが、その都度UPという訳にはいかず、まだまだ間違いがあるまま独り歩きをしている。
かって東大史料編纂所刊行の「大日本史料ー細川家史料」の人名索引のリストを作成してサイトにUPしたことがある。
これはさすがに史料編纂所から削除のご指摘を受け、すぐさまサイトから削除した。
しかしわがサイト「肥後細川藩拾遺」からは消えているが、じつは残骸がさまよっていて、特定の名前を打ち込むとその残骸に出会うことがある。
システム上この世界から消え去ることは出来ないのであろう。
ブログに於いても単なる歴史好きの戯言では済まされずに、過去の投稿についても間違いを見つけては朱書きで訂正を入れたりしている。
間違いに気づかれながらもお見逃し頂いているのであろし、考えてみれば恥を晒しているようなものである。
このサイトを立ち上げたときに、ある方からしっかり出典をあきらかにすることをご指摘いただいた。
それは厳に守っていかなければと心している所である。ときおりとんだことに足を突込んだものだと思うときがある。
昨日の午前中は熊本市民会館で催された、(一財法)熊本城顕彰会が開催する「第142回『西南の役記念会』講演会」に出席した。
演題は「加藤清正と忠廣-肥後加藤家改易の研究」で講師は「加藤清正妻子の研究」(一)(続)の著者・福田正秀氏である。
氏との出会いは相当古いものになったが、氏の一つの論考をインターネットで拝見してご自宅を訪問したという「押し掛けフアン」である。
私は人見知りがあってあまり積極的に行動する方ではないが、こればかりは例外の例外ともいえる。それ以来ご厚誼いただいている。
その後「宮本武蔵研究論文集」二巻に続き「加藤清正妻子の研究」二巻を次々に刊行され、今や押しも押されぬ武蔵・清正研究の第一人者となられた。
講演会も多くの方々の出席もあり盛況であったし、内容もますます進化を遂げておられる様が見て取れて楽しく拝聴したことであった。
その中で氏の次の刊本が発行される旨の紹介があった。
「加藤清正と忠廣 肥後加藤家改易の研究」である。
6月1日に店頭に並ぶようである。又一冊私の書架に氏の著作が並ぶことになる。こうご期待。