津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■世界のドングリの話

2019-06-05 10:36:47 | 熊本史談会

                                
          

 熊本史談会の6月例会に於いては、少々歴史から離れて、世界のどんぐり博士で会員のS氏の「ヒマラヤの東西を分ける世界のドングリ文化」をお聞きすることにした。たまには歴史の話から離れるのも良かろうと思ったがゆえである。
この写真は我が家の近所で撮影した「ドングリ」の赤ちゃんである。まだ5㎜にも満たない大きさである。
よくよく見ると通常我々が「棒樫」(シラカシか)と読んでいる樹木だと思われる。この写真のお宅もそうだが熊本ではよく生垣に用いられている。
ウィキペディアをみると、ドングリ(団栗、acorn)とは、ブナ科の、特にカシナラカシワなどコナラ属樹木の果実の総称である」と記されている。
 私は小学生のころ、学校の行事で立田山にドングリ拾いに出かけた。ここではドングリとともに「椎の実」を拾ったものだが、先生から見分け方を教えていただいたのだろう、結構量を拾って持ち帰って焙烙で焼いて食べた思い出がある。(生でも食べられるが・・・)
「椎の実」も一応「ドングリ」の範疇ではあるらしい。ドングリと違い「殻斗」で覆われている。こちらは現在では町中で見ることはあまりない。   
神社などに大木があると聞くが、以前出かけた西園神社の敷地内が一面ドングリで覆われた風景に出くわしたが、これがまさにそうであったのかもしれない。

 あちこちの遺跡から食料としてのドングリが発見されているらしいが、熊本県立装飾古墳館では時折ドングリクッキーを作ったりするイベントがあったように記憶するが今でもやっているのだろうか?

                 「ドングリクッキ...」の画像検索結果 cookpadから引用

 当日のお話を楽しみにしている。





 

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■(元和七年)六月廿七日忠利裁可(2)

2019-06-05 06:39:39 | 細川小倉藩

 

             元和七年
          ■諸御奉行之手前ニ有之御印之写

       |       申上覚
       |   (忠利裁可肩書、以下同ジ)
       |   「鷹師餌指朱ノ印判を持せあるき候、此印無之者ハにせ者たるへく候、見付出候者ほうびたるへく
       |    候」 御印(忠利ノ印、以下同ジ)
       | 一、御鷹師衆・御餌指衆御印被遣、在々へも被成御印御出シ、何時も合申様ニ前廉ハ被仰付候ニ
       |   付、御百姓隙を入申致迷惑候、此以後如何可被仰付哉之事
       |
       |   「代官惣庄屋ニ可申付候、国廻り近々ニ候間、無沙汰成所ニハ、其手永永可為越度」 御印
       | 一、田畠草取申候儀、御百性かしけ申ニ付如例年之草取申儀不罷成躰ニ御座候、何共迷惑ニ奉存
       |   候、御奉行被出可被下哉之事
       |
       |   「右よりのことく」 御印  
早田の指示  | 一御蔵納御給人方共ニ早田如前々可被仰付哉之事
       |
       |   「前々のことく、但理承帰ものハ其分無理ニ人をつれ参候者とめ可申候、とめられさるものハ打果
       |    可申」 御印
       | 一、他国ゟ走来候者を追かけ参、理不尽ニとらへ候ハヽ其追かけ来候者を則時ニ打果可申旨先
       |   年被仰出候、此以後者如何可被仰付哉之事
       |
       |   「主二次第」 御印
蔵納免相の決 | 一、御蔵納免相之儀、御横目衆加被遣候条、御郡々ニ而免相究可申旨被仰出候、奉得其意候、
定・横目衆之 |   併御郡ニてハはか参間敷候間、御横目衆を同道仕候而在々を見申、小倉へ御庄屋共召連罷
派遣     |   出相済可申と奉存候様子口上ニ御座候事
       |
       |   「中津へ得御意従是カ申候」 御印
中津蔵屋敷  | 一、下毛郡中津御倉屋敷、同御作事之儀口上ニ御座候事
       |
       |   「前々のことく」 御印
       | 一、私共御郡ニ罷居候内、其所々ニ而私共荒仕子ニ薪きらせ申候儀、如此以前御免可被下哉之事
       |
       |   「春ニ成竹田津ニ可申付候、百性之隙を斗春加申付候」 御印
国東郡ニ御茶 | 一、国東郡ニ御茶屋無御座候、如何可被仰付哉之事」
屋設定    |
       |   「前々のことく」 御印
鷹場     | 一、国東郡ニ御鷹場無御座ニ付、今迄鉄炮打申儀被成御免候、如何可被仰付哉之事
       |        以上
       |                             井上六右衛門
       |                             平井五郎兵衛 
       |                             吉田茂左衛門尉
       |                             向四郎左衛門尉
       |                             山本次郎右衛門尉 
       |                             宮部 久三郎 
       |                             佐方少左衛門        
       |                             堀内 半兵衛
       |                             佐藤 半助
       |                             野間次左衛門
       |                             入江 仁兵衛 
       |                             財津惣左衛門 
       |                             上田忠左衛門 
       |                             佐田五郎左衛門
       |                             田中与左衛門 
       | 

 

          ■六月晦日忠利裁可
       |
豆腐屋作介の |   豆腐屋作介妻子女三人男弐人中津へ引越候間、御印被仰上可被下候、以上
中津移住   |      元和七年六月晦日               沖津弥五右衛門尉 花押 
       |                             吉田小右衛門 
       |        加々山 主馬殿
       |        道家左近右衛門殿
       |        長谷部文右衛門殿
       |        富田 十大夫殿
       |
                                        

       

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