| 八月七日 晴天
| 牢
助宗ヲ郡ノ籠ニ入 | 一、助宗事、中津ゟ返事参候て、郡ノ籠ニ入置候へとの、御郡奉行衆へノ状、次太夫所ニてしたゝめ、
レシム | (桑原)
| 明七日ニ未明ニ、田川へ持せ遣候へと、主殿組ノ小頭孫兵衛ニ相渡ス也
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| 則 ふれ状したゝめ、廻シ候 (井)
郡ノ代官ノ配置替 | 一、御代官ノ事、中津郡ヲ一組ニ仕、伊谷兎右衛門ヲ田川郡へ遣、山村六左衛門と相使ニ仕、石田源
| 兵衛跡ヲハ、仁保惣兵衛下代ヲ被 仰付候ことくニ、源兵衛下代ヲ加兵衛ニ付置、御下向之上可得
代官手作畠二段 | 御諚候也、手作ヲとめ可申候、畠弐段宛ハ作り可申也
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川成奉行 | 一、川成奉行ノ事
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茶年貢 | 一、茶年貢ノ事、去年・当年ハ右ヨリノ定ノことくニ相究候、来年ハ町人ニ茶請され候事、やめ可申也、
| 一日五合が一人扶持=五人扶持
松岡某賄米 | 一、松岡藤八郎賄事、一日ニ弐升五合宛、八月朔日ゟ可相渡事
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| 一、和久権兵衛儀、可得 御諚事
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惣談 | 惣談可仕候事
牛盗人 | 一、田川郡牛盗人ノ事、是もうら判可究事の事
| 〃
上り薮 | 一、下毛郡ノ上り薮、畝数弐段六畝弐拾八歩、分米壱石四斗八升八合也、御惣庄や深水惣左衛門手永
| (国遠) (矢野)(横山重嘉)
| 分、右ハ惣談ノ上、此石高過怠ニ出させ申候、御横目福田善右衛門・道倫・助二郎・助之進・
| (松本)(栗野) 以下ニ記アルカ不明
| 彦市・伝介、三人共ニ
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| 八月八日 晴天
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志水元五上ケ屋敷 | (元五) (辰珍)管領・斯波義近二男
ヲ津川辰珍へ渡ス | 一、志水伯耆上ケ被申候明家、津川四郎右衛門へ、今日相渡候事
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| 一、竹田了由六人扶持、八月朔日ゟ相渡シ候へと、林與兵衛・野間次左衛門ゟ切差紙来候へ共
| 下記、万の事か
| 印有之との、三斎女書付無之候条、重而、其通両人へ可申上せ候、其内御蔵へ、かり差紙遣わ候也
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| (烏丸光賢室・三斎女) (麻田村・国東郡)
| 一、御万様之御知行、あさ田村之女之儀、釘本半左衛門ニ可相尋言
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| 八月九日
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楠ノ埋木 | 一、今村ニ、楠埋候て在之由候、手伝十人ニて、三日程ほり候ハヽ、ほり可出由申候事
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| 八月十日 午ノ刻ゟノ雨天
| (守尚)長崎奉行
公儀鉛運送ニ長谷 | 一、公儀御鉛被指上せ由候而、長谷川権六殿ゟ之御使者上下五人、午ノ下刻ニ爰元着被申候、則、御
川守尚ノ使者へノ | 賄ノ儀、住江甚兵衛方へ申渡候事、則、御振舞奉行ニ、入江三丞・不破忠右衛門申付候処ニ、申
振舞 | ノ上刻ニ、御小早ニ而下ノ関へ被渡候間、入江三丞参相、添遣申候
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| (剣) (笹葉)
宣貞ノ刀劔鑓笹葉 | 一、宣貞打替候御腰物壱腰、けん鑓壱つ、さゝのは鑓壱つ、大道打ノ中わきさし壱腰、寺尾左介ゟ被
鑓大道ノ中脇差 | 上候を、成田與平次・小林三介、両人へ相渡候也 大道とか宜貞とか・・刀工のこと
| (分部)
長谷川守尚ノ使者 | 一、長谷川権六殿内星野四兵衛、同なまり舟ノ奉行ハわけべ又四郎殿、上下弐人ニて被参由候事
上下二人 |
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| 八月十一日 晴天
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| 一、御鉛船之儀ニ付、式ア殿へ談合ニ参候
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| 御歩之衆片岡四兵衛、小早ニて、長苻へなまり舟之談合ニ被遣候
| 一、(ママ)
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| 一、宇佐郡御社用之材木、宇佐へ相届候て、請取幷状参候 宇佐神宮
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中津領当春ノ川欠 | 一、中津ゟ、当春ノ川かけめり入候夫手間百人程可入候、此方ゟ可被仰付候哉、中津ゟ可被仰付候哉
人夫ノ手間 | との儀申来り候、如何可被仰付哉と、式ア殿・民ア殿へ申候へば、御郡へ相触候へ、中津へハ立
| 相可仕由、中津へ御両人可被仰遣との返事也、使辻少左衛門也、重而被仰越候ハ、下毛一郡ニ可
| 申付由候
| (野)
門司へ材木奉行 | 一、門司御材木之御奉行ニ、中津ゟ被参衆、大槻忠兵衛の村久助・御鉄炮ノ覚右衛門、
| 一、
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| 八月十ニ日 晴天
| (下毛郡) (ママ)
| 一、津民山へ遣候御鉄炮衆、芦田與兵衛与原口七右衛門也、但し、午ノ刻
| (国東郡)
| 一、中津へ、麻田村之出入之儀ニ付、状遣候
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| 八月十三日 曇 夜ニ大雨フル
| (室)
護摩執行 | 一、護摩執行之衆五人之宿、諸町ノ舛屋源右衛門尉也
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| 歩ノ御小姓
| 一、同出家衆御賄奉行、〇中井作右衛門と本庄喜介、両人申付候事
| 同
| 一、出家衆申ノ刻ニ着候、やとハ舛屋源右衛門尉也
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