津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■元和九年・覚書(八月七日~八月十三日)

2019-06-19 10:22:01 | 細川小倉藩

         |      八月七日 晴天
         |                          

助宗ヲ郡ノ籠ニ入 | 一、助宗事、中津ゟ返事参候て、郡ノニ入置候へとの、御郡奉行衆へノ状、次太夫所ニてしたゝめ、 
レシム      |                    (桑原)
         |   明七日ニ未明ニ、田川へ持せ遣候へと、主殿組ノ小頭孫兵衛ニ相渡ス也
         |
         |   則 ふれ状したゝめ、廻シ候       (井)
郡ノ代官ノ配置替 | 一、御代官ノ事、中津郡ヲ一組ニ仕、伊谷兎右衛門ヲ田川郡へ遣、山村六左衛門と相使ニ仕、石田源
         |   兵衛跡ヲハ、仁保惣兵衛下代ヲ被 仰付候ことくニ、源兵衛下代ヲ加兵衛ニ付置、御下向之上可得
代官手作畠二段  |   御諚候也、手作ヲとめ可申候、畠弐段宛ハ作り可申也
         |
川成奉行     | 一、川成奉行ノ事
         |
茶年貢      | 一、茶年貢ノ事、去年・当年ハ右ヨリノ定ノことくニ相究候、来年ハ町人ニ茶請され候事、やめ可申也、
         |           一日五合が一人扶持=五人扶持
松岡某賄米    | 一、松岡藤八郎賄事、一日ニ弐升五合宛、八月朔日ゟ可相渡事
         |
         | 一、和久権兵衛儀、可得 御諚事
         |
惣談       |   惣談可仕候事
牛盗人      | 一、田川郡牛盗人ノ事、是もうら判可究事の事
         |                   〃
上り薮      | 一、下毛郡ノ上り薮、畝数弐段六畝弐拾八歩、分米壱石四斗八升八合也、御惣庄や深水惣左衛門手永
         |                                  (国遠)   (矢野)(横山重嘉)
         |   分、右ハ惣談ノ上、此石高過怠ニ出させ申候、御横目福田善右衛門・道倫・助二郎・助之進・
         |        (松本)(栗野)      以下ニ記アルカ不明
         |   彦市・伝介、三人共ニ
         |
         |
         |      八月八日 晴天
         |
志水元五上ケ屋敷 |    (元五)             (辰珍)管領・斯波義近二男
ヲ津川辰珍へ渡ス | 一、志水伯耆上ケ被申候明家、津川四郎右衛門へ、今日相渡候事
         |
         | 一、竹田了由六人扶持、八月朔日ゟ相渡シ候へと、林與兵衛・野間次左衛門ゟ切差紙来候へ共
         |         下記、万の事か
         |   印有之との、三斎女書付無之候条、重而、其通両人へ可申上せ候、其内御蔵へ、かり差紙遣わ候也
         |
         |  (烏丸光賢室・三斎女) (麻田村・国東郡)
         | 一、御万様之御知行、あさ田村之女之儀、釘本半左衛門ニ可相尋言 
         
         |
         |      八月九日 
         |

楠ノ埋木     | 一、今村ニ、楠埋候て在之由候、手伝十人ニて、三日程ほり候ハヽ、ほり可出由申候事
         |
         |
         |      八月十日 午ノ刻ゟノ雨天
         |                 (守尚)長崎奉行

公儀鉛運送ニ長谷 | 一、公儀御鉛被指上せ由候而、長谷川権六殿ゟ之御使者上下五人、午ノ下刻ニ爰元着被申候、則、御
川守尚ノ使者へノ |   賄ノ儀、住江甚兵衛方へ申渡候事、則、御振舞奉行ニ、入江三丞・不破忠右衛門申付候処ニ、申
振舞       |   ノ上刻ニ、御小早ニ而下ノ関へ被渡候間、入江三丞参相、添遣申候
         |
         |              (剣)     (笹葉)
宣貞ノ刀劔鑓笹葉 | 一、宣貞打替候御腰物壱腰、けん鑓壱つ、さゝのは鑓壱つ、大道打ノ中わきさし壱腰、寺尾左介ゟ被
鑓大道ノ中脇差  |   上候を、成田與平次・小林三介、両人へ相渡候也             大道とか宜貞とか・・刀工のこと
         |                         (分部)
長谷川守尚ノ使者 | 一、長谷川権六殿内星野四兵衛、同なまり舟ノ奉行ハわけべ又四郎殿、上下弐人ニて被参由候事
上下二人     |

         |
         |      八月十一日 晴天 
         |

         | 一、御鉛船之儀ニ付、式ア殿へ談合ニ参候
         |
         |   御歩之衆片岡四兵衛、小早ニて、長苻へなまり舟之談合ニ被遣候
         | 一、(ママ)
         |
         | 一、宇佐郡御社用之材木、宇佐へ相届候て、請取幷状参候           宇佐神宮
         |
中津領当春ノ川欠 | 一、中津ゟ、当春ノ川かけめり入候夫手間百人程可入候、此方ゟ可被仰付候哉、中津ゟ可被仰付候哉
人夫ノ手間    |   との儀申来り候、如何可被仰付哉と、式ア殿・民ア殿へ申候へば、御郡へ相触候へ、中津へハ立
         |   相可仕由、中津へ御両人可被仰遣との返事也、使辻少左衛門也、重而被仰越候ハ、下毛一郡ニ可
         |   申付由候
         |                          (野)
門司へ材木奉行  | 一、門司御材木之御奉行ニ、中津ゟ被参衆、大槻忠兵衛の村久助・御鉄炮ノ覚右衛門、
         | 一、
         |
         |      八月十ニ日 晴天 
         |   (下毛郡)                                      (ママ)

         | 一、津民山へ遣候御鉄炮衆、芦田與兵衛与原口七右衛門也、但し、午ノ刻
         |       (国東郡)
         | 一、中津へ、麻田村之出入之儀ニ付、状遣候
         |
         |
         |      八月十三日 曇 夜ニ大雨フル
         |              (室)

護摩執行     | 一、護摩執行之衆五人之宿、諸町ノ舛屋源右衛門尉也
         |
         |            歩ノ御小姓
         | 一、同出家衆御賄奉行、中井作右衛門と本庄喜介、両人申付候事
         |   
         | 一、出家衆申ノ刻ニ着候、やとハ舛屋源右衛門尉也
         |        

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■ネタ探しは生きる力

2019-06-19 06:26:00 | 徒然

 正岡子規の「墨汁一滴」や「病牀六尺」には、病に伏し痛みと闘う床の中で彼独自の大きくひろがった世界観が認められれている。
多岐にわたる記述は、子規の旺盛な好奇心や知識がもたらすものだが、それと共に多くの友人が訪問して子規の無聊を慰めている。
命を削りながらもこのような豊かな毎日をすごす姿には圧倒させられる。まさに哲人である。

 浅学菲才な老人も、まだいささかの好奇心は持ち合わせている。
残念ながら最近は車の運転をやめているから、あちこちに出かけることが出来なくなった。
史料さがしに図書館まで自転車で出かけるのも億劫になってきた。熱中症を経験してから夏は特に御法度である。
勢い読書という事になり、便利なAmazonやヤフオクで仕入れているが、本の数が膨張し続けている。
相変わらず押し入れの奥に入り込んだ、何が入っているのかさえ判らぬ「開かずの段ボール」がいくつかあるような状態の中で、地震以来の仮住まいは引っ越しをすることが億劫で終の棲家になりそうな中にである。
今でも時折地震に遭遇しているが、頭の上から本の山が落ちてこないかと、すぐさま立ち上がるしまつである。
 (昨晩床に就いた時間あたりに新潟・山形で地震が発生していた。大きな地震の様で被災された皆様にはお見舞いを申上げる)

 私の好奇心は「ネタ探し」という側面があるのだが、いずれにしても今の私にとって読書は「生きる力」になっている。
子規先生のように変幻自在で自由闊達な話題とはまいらぬが、皆勤で一日一話、ブログを続けていきたいと思っている。
ブログ開設から今日で5444日、さていつまで続きますことやら・・・・

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