津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反」

2019-06-28 13:27:58 | 徒然

 goo blogの事務局から「アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定されにより現在、1件の記事を公開停止させていただいております。」という連絡が届いた。
【理由1】知的財産権(著作権・商標権等)、名誉、プライバシー等の権利侵害 とある。
「えっ何事??」と思い、その「1件」が下の記事なのだが・・・「これの事か?」とすぐさま理解できた。


  これは7年前(2012-11-08)に書いた 「伊丹三樹彦 vs 荒井(松任谷)由美」という記事だ。
指摘を受けた記事は訂正するのもしゃくだからUPしないことにしようかとも思うがこういう記事も「知的財産権(著作権・商標権等)、名誉、プライバシー等の権利侵害」にあたるということである。

下の記事がその時のコピーだが、******* 部分に一番・二番の歌詞をご紹介したのだ。
一番の歌詞の5行目の「ソーダ水の中を 貨物船がとおる」という部分を強調したかったからに他ならない。
これがアウトになったようだ。私にはまったく悪意はなく、ただただお二人の才能に対し敬意を表したつもりなのだが・・・・

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      「伊丹三樹彦 vs 荒井(松任谷)由美」   2012-11-08

 最近、伊丹三樹彦の句集「神戸・長崎・欧羅巴」を手に入れて読んでいる。
句調は現代句とでもいうのだろうか、私にはちょっとついていけないものがあるが、この句集の題が示すようになかなかお洒落である。
そんな中に次のような句を見つけた。
                 シェーカー振る 角瓶越しにタンカー浮き   (神戸編・煉瓦煙突から)

  これを読んだとたん、荒井由美の「海を見ていた午後」を思い出した。

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             ソーダ水の中を 貨物船がとおる
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 松任谷(荒井)由美がこの舞台となったレストラン「ドルフィン」を訪ね、作詞に至った状況をTVで話しているのを見たことがあるが、まさにカウンター(テーブル?)の上に置かれたソーダー水に、後ろの窓越しに遠く貨物船が通っていくのが映り込んだのだ。すごい観察力とすぐに詩にまとめる素晴らしい能力に恐れ入って観たことをおぼえている。 

 神戸と横浜、バーとレストラン、夜と昼などの違いはあるが、二人の感性は見事にその風景を切り取り表現している。
まさに天才のなせる業であろう。(70爺にもお二人を天才と思うだけの感性は持ち合わせている) 

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■本郷和人氏著「戦国夜話」から(2)

2019-06-28 09:15:03 | 書籍・読書

 第11夜では本郷教授は「細川家の大坂城人脈」を記し、氏家卜全の息(二男)・行広(荻野道喜)行継(三男)を取り上げている。
卜全の死後、行広はその遺領・桑名の城主となったが、関ヶ原に於いては西軍に加担し改易された。しかし大阪の陣に於いては再び西軍に加担、落城に際し城内で自刃している。(淀君を介錯したとも伝えられる)
その弟・行継も関ヶ原に於いては兄と行動を共にしたが、こちらは高野山に蟄居した。のち忠興に6,000石の知行をもって召し抱えられた。
                        
私は氏家家のご当主が出版された「氏家家永代記録」という本を所持しているが、氏家家の史料に於いては、本郷氏の御説通り行広を二男、行次(行継・元政)を三男としている。

ここには「肥後讀史総覧」からの引用として系図が掲載されているが二男・三男が逆転している、これは本郷教授の御説や氏家家で伝えられている史実とは異なる。参考の為に掲載されたのであろうが、間違っている旨の記載があってしかるべきではなかったのか?
この系図が引用されることが多く、真実が伝えられるにはなかなかむつかしいものがある。

後に細川家に仕えた行継の娘は、忠興の二男・興秋に嫁いで女子(鍋)をなしている。その興秋も大坂陣に於いては西軍に加担し、こちらは父・忠興の命により自刃した。
行継女と興秋とは離別することになるが、氏家家資料によると、これは二人の間が不仲であった事が原因らしい。
飛鳥井中納言持信に再嫁しているが、忠興の配慮であることが判る。



コメント (2)
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