津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■福岡市中央区天神「飯田角兵衛屋敷跡」

2019-06-24 10:11:17 | 歴史

 熊本地震により多大な被害を受けた熊本城の中で、かろうじて一本足で支えて倒壊を免れた「飯田丸五階櫓」は一躍その名をとどろかせた。
現在は櫓は解体され、石垣の復旧に取り掛かっている。(古い石垣が発見されるなど話題は尽きない)
加藤清正に仕え三傑と称えられ、「飯田丸五階櫓」にその名をのこした飯田角兵衛は、加藤家没落後は熊本を離れ嫡子が筑前・黒田藩に召し出された行動を共にしている。
細川家にも二男の系統か、角兵衛の孫を初代とするお宅があり、明治に到っている。
もう40年以上前だが、福岡市の天神のあるビルで開催されたゼミに出席した際、偶然角兵衛が清正をしのび植えたという「銀杏の木」を見かけたことが有る。
まだ私が歴史にまったく疎かったころである。
以前手に入れた「河出書房新社」が出版した「九州の城下町を古地図で歩く本」を眺めていたら、この「銀杏の木」の話と共に、古地図が紹介されていた。
その説明文をたよりに地図で調べると、現在はタワーマンションが建てられているという。
この土地を取得するときに、福岡市の保存樹となっている「銀杏の木」を残すことが条件となり、現在もその雄姿を見せているという。
                      飯田角兵衛屋敷跡・大銀杏
そしてこのタワーマンションの案内の中の「HISTORY」に、角兵衛屋敷の由来に関する記述も載せられていた。


復元が待たれる熊本城の「飯田丸五階櫓」だが、福岡に於いてはこの「銀杏の木」が保存樹として大事に生き残っていて、飯田角兵衛の名はいつまでも残ることであろう。

 

 

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■元和九年・覚書(八月廿一日~八月廿六日)

2019-06-24 06:03:45 | 細川小倉藩

         |      八月廿一日 
         |             申候ハ

葭奉行      | 一、よし奉行大靏六左衛門屋敷渡候所之分、よし売申度由申候事、当分相使ニ、御鉄炮衆相添申
         |   候由候                          

         | 一、護摩結願ノ事、馬五疋・人足五七人、郡送ニ申付候事
         |                〃
         | 一、御借米奉行御算用ノ案内被申衆、一番ニ熊毛、二番ニ宇佐、三番ニ国東、築城四番ニ築城衆、五
         |                 (正直)                〃〃
         |   番ニ上毛衆、以上五郡ノ衆ゟ、河喜多・財津へ被届次第如此之由也
         |
         |
         |      八月廿二日 晴天 
         |
         | 一、川北平七屋敷之事
         |
         | 一、新地・替地・上り地共ニ、奉公人遣取ノ事、約束日限可召置候との、ふれ状廻候
         |
         |   (元信)細川興秋の娘(錩)聟
         | 一、南条殿へ戻シ候御荒仕子、約束ノ日限相尋候事
         |
         |     
         | 一、牧〇馬殿ノ奉公人請人ノ事、書物ヲ取置、可得御意事
         |    (興相) 
         |
         | 一、御舟頭舟瀬六郎左衛門と、御昇ノ野々村半左衛門と請人ノ出入、徳右衛門・半左衛門を召寄、様
         |   子申聞せ、半左衛門ニ出させ可申候事
         |
         |
         |      八月廿三日 晴天 
         |
         |             (松井興長)(小笠原長元)(河喜多)        (矢野)(横山)(国遠)(矢野)
大坂魚屋     | 一、大坂うおやノ儀ニ付、式ア少殿・民ア少殿・又右衛門登城ニ而、利斎・助進・道倫・助二郎惣談
小倉魚屋ニ入札ヲ |   ニ而、弥 御諚ノことくニ可仕ニ相究候て、吉田少右衛門呼候而、当町ノうおやニ入札可仕旨、被
命ズ       |   申付候へと申渡候事
         |
請人ノ出入    | 一、舟瀬六郎左衛門ト、御昇衆半左衛門ト請人出入ノ儀ニ付、御船手ノ請状取寄せ、見申候上、半左

         |   衛門米出スニ相究候間、併、御代替りノ時、御加子せんさくノ時ニ、請人ノ手前迄せんさく有之  
代替ノ時水夫詮索 |   由、半左衛門申候間、左様之儀於有之ハ、何ノ請人ノ手前お改候との儀■■相究可申旨、申渡候、
ニ請人迄詮索ス  |   道倫・助二郎・助進、三人ニ而申渡候也
         |
         |
         |      八月廿四日 晴天
        
 |      

         |          からむし 
苧ノ価      | 一、吉川九太夫手前、ノ直段相究■可申候
         | 一、 記載なし
         |
         |
         |      八月廿五日 晴天
         
|                                        (矢野)助二郎

         | 一、河喜多平七屋敷望申者在之ニ付、屋敷二つニ〆相渡可申旨、平右衛門ニ申渡候事 (国遠)道倫 
         |                くじ                        (仁保慰英)太兵衛
明家ノ鬮引    | 一、新開長二郎、矢野角右衛門家鬮取ニ取被申候処ニ、高直之由被申、家返し可申由候へ共、先年ゟ
         |   左様ニ無之間、長二郎ニ相渡候へと、平右衛門可申渡候也           右同人前
         |
         |
         |      八月廿六日 晴天
         |  (富田)(組)
国東郡草取完了  | 一、十太与ノ山中弥次右衛門・戸田五平次、国東郡草取仕廻申■■、夜前罷帰ル由候て、被罷出候
         |         
中津郡草取    | 一、右同組川上角介、中津郡草取仕廻、夜前罷帰候由候て、被出候事
         |
         |     (釘)                 宇佐郡
宇佐郡草取    | 一、右同針野権左衛門・中尾五右衛門、草取仕廻、夜前罷帰候由候て、被出候事

         |
上毛筑城郡草取  | 一、右同尾藤仁左衛門、上毛・築城草取仕廻、去廿一日ニ罷帰候由候て、被出候事
         |
京都郡草取    | 一、右同筒井平七、京都郡草取仕廻、夜前罷帰候由候事
         |
田川郡草取    | 一、右同市川九兵衛、田川郡草取仕廻、夜前罷帰候由候事
         |
         |         
魚屋共ニ漁猟権ヲ | 一、当町魚や共、大橋より豊後橋ノ間、上方ノ魚や壱貫めニ請候間、当町ノものニ壱貫めニ請候へと申
競ラシム     |   候ヘハ、請申候儀不成候と、吉田少右衛門登城仕、返事被申候事
         |

                            

                           「豊前国小倉上絵図」 この絵図をクローズアップすると、最北部に「大橋」、最南部に「豊後橋」の書き込みが見える。 

           
           

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