清田氏については過去いろいろ書いてきたが、どうもしっくりせずに来た。
多くのコメントもいただいているが、これらを精査し、関係書籍や、サイトなども拝見して私なりにこうではなかろうかと考えたものがこの略系図である。
ご批評いただければ幸いである。
+--鎮隅(天正15年・1587)豊前長野一揆に出陣し、戦死
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‖-------------+--五郎大夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(二百石・直家)
清田掃部鎮忠 (寿閑) ・
‖-------------+--●(夭折2歳?)
大友宗麟-----ジェスタ |
‖ +--マグダレナ(殉教・列福)(レオン・パジェス著、日本切支丹宗門史・下巻)
(一条兼定) |
‖ +------凉泉院 大坂陳一番槍高名・石見
(一式氏女) ‖--------+--七助乗栄(室・忠興妹伊与の娘)・・・・・・・・・・・・・→(二百石・弥八郎家)
+----主計鎮乗 |
| +--与三右衛門(刑部家附)
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| +--左近右衛門
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| +---幾知(圓通院) +--立孝・・・・・・・・・・・・・→(宇土細川家)
| ‖ -----------------|
| 細川忠興 +--興孝・・・・・・・・・・・・・→(細川刑部家)
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| 実兄 初代
+----志賀親次------虎左衛門------少兵衛・親勝・・・・・・・・・・・・・→(二百五十石・志賀太郎家)
(細川家家臣志賀氏系図、サイト白鷺×城下町を参照されたし)
1、清田掃部鎮忠 (寿閑)には二人の男子と三人の娘がある。前者は先妻の子供であろう。
後室・ジェスタ(大友宗麟長女)の連れ子(一条兼定・室一色氏子)とする説も見受けられる。
三人の娘についてはジェスタの子供であろう。
1、長女は夭折、
1、次女マグダレナは敬虔な切支丹として殉教した。(レオン・パジェス著、日本切支丹宗門史・下巻)に記載するところである。
この人物の特定はなかなか難儀である。今後の課題としたい。
1、三女は凉泉院、彼女も切支丹であったことから、その類族とともに、細川藩における「切支丹類族改」の対象とし、「私家来清田石見母転切支丹凉泉院系」に
詳しく記録が残されている。
1、凉泉院は志賀親次の弟・主計鎮乗と結婚した。嫡男・七助乗栄(石見)は大坂陳一番槍として高名である。
1、凉泉院の娘・幾知(または吉、圓通院)が細川忠興の側室となり、立孝(宇土細川家)、興孝(細川刑部家)二人の子を為した。
但し「切支丹類族改」に於いては記載されていない。細川家を慮っての配慮が見受けられる。
1、以下に掲げるそれぞれの史料と照らし合わせても、必ずしも整合はしていない。提案の意味を含めて略系図にしてみた。
史料・論考等
1、大友氏と共に生きた時代、"豊後清田"の要約書として、(清田泰興氏、2005-07-07 ご教示による)
・清田庄史談1~4(福田紫城氏論文).清田氏の興亡(1)~(4)(稗田茂氏論文)
1、「清田一族」(狩野照己・前田重治 共著)
1、凉泉院について 上妻博之編著『肥後切支丹史・下巻』(1989年(株)エルピス発行)
1、『西国武士団関係資料集』26「戸次文書・清田文書」 芥川龍男,福川一徳 編校訂 文献出版 現況入手不可
1、マグダレナ・キオタについて 日本切支丹宗門史「下巻」レオン・パジェス著
1、「土佐史談」207号 土佐切支丹外史ーマグダレナ・キオタ考ー(p35~41)
1、豊後王大友氏家臣・清田氏資料集成
其の他
1、豊後清田氏とキリスト教
清田カトリック資料(1)レオン.パジェス/日本キリシタン宗門史 Kiyota
1、秀逸の「花久留守‐宮本次人キリシタン史研究ブログ」
清田凉泉院とマグダレナ清田のこと(上)
清田凉泉院とマグダレナ清田のこと(下)
『16・7世紀イエズス会日本報告集』による清田一族にかんする記録(史料)
「桑姫」再考―あとがき― 宮本氏は過去の推論を否定し、桑姫はジェスタであろうとの結論を得られている。
隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考・その⑦―
隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考・その⑥―
隠された大友家の姫ジュスタ―「桑姫」再考・その⑤―
「桑姫」再考―その④―
「桑姫」再考―その③―
「桑姫」再考―その②―
「桑姫」再考―その①―
桑姫御前は「マダレイナ清田」か⑦
桑姫御前は「マダレイナ清田」か⑥
桑姫御前は「マダレイナ清田」か⑤
桑姫御前は「マダレイナ清田」か④
桑姫御前は「マダレイナ清田」か③
桑姫御前は「マダレイナ清田」か②
桑姫御前は「マダレイナ清田」か①
桑姫御前の謎②
桑姫御前の謎①
1、志賀親次について 「大友氏顕彰会報・第23号」(2016・2・1発行)全10頁の5~6頁掲載