【真筆】名君!細川重賢 書状 長岡図書宛 掛軸
見事な状態のお軸である。随分高値になりそうな予感がする。詳細な写真と共に読み下しを試みた紙面も入っているが、残念ながら完全なものではない。
そこで当方で読み下しを試みた。
一筆申入候我等儀
東叡山火之御番為
松平土佐守殿代被
仰付旨昨日御老中以
御連名之御奉書被仰下
難有仕合候此段為可相述
如是事ニ而候恐々謹言
越中
四月廿日 重賢 花押
長岡圖書殿
松平土佐守の代わりに、東叡山の火の御番を仰せつけられる旨、昨日ご老中連名の奉書を以て仰付られた。
有難き仕合であり、この旨を相述べなさる様このごとくである。
重賢は前藩主・宗孝の不幸な死を受けて、延享四年に相続をして四年目である。
熊本藩年表稿をみてみると、このことは宝暦元年のことと思われ、四月十六日の記事に「上野の火の御番」とある。
そのことからすると松平土佐守とは、土佐山内家の8代藩主・熊本藩年表稿をみてみると、であろう。
東叡山とは上野の寛永寺である。四月十九日に正式に老中連名の奉書が届けられているようだが、熊本年表稿の日付からすると情報は事前にもたらせれていたと考えられる。
宛名の長岡圖書は刑部家の5代・興行か。6代の興彭は重賢の実弟で刑部家に養子として入ったが、これは宝暦6年の事であり又圖書の名乗りもしていない。
なんで山内家の代わりを務めたのかはよくわからないが、代わりは「替り」で山内家が火の御番を勤めあげた後の替りという意かもしれない。
これまでの時期山内家は色々な困難に遭遇する中、藩主の若く聡明な豊敷が大いに努力に努めている時期である。
(人様の商売の品の解説をしてもしようがないが、少々興味が湧いての事である。落札される方の参考になれば幸いである。)