津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■本郷和人氏著「戦国夜話」から(1)

2019-06-26 17:54:20 | 細川小倉藩

 東大史料編纂所の人気教授・本郷和人氏の著「戦国夜話」は、「細川家」「前田家」「上杉家」の三家を3章72夜(話)で語られている。
第1章の第1夜~第21夜までが「細川家の巻」である。氏の洒脱な語り掛けるような文章は肩がこらずによい。

                      

その第20夜が「廃嫡された細川家長男と西園寺家」である。本郷教授は忠隆の四人の娘は前田利家女・千世姫の子と断定するような書き方である。
上の三人の娘、徳は慶長10年、吉は慶長13年、福は同14年に生まれていることは以前「永源師団壇紀年録」の記述を典拠としてご紹介した。
もう一人の女子・萬は夭折したらしい。(平成宇土細川家系譜)一方、細川家主要家臣系図には、久世通武に嫁いだクノという女性が紹介されている。
このあたりが整合していないのが少々気になる。

本郷教授の解説によると、父忠興によって廃嫡された忠隆は、利家女千世姫と離婚することもなく幽齋のもとに身を寄せていたというのである。
幽齋の知行が二人の生活の支えとなったが、その死(慶長15年)後は細川家から3,000石が支給されて生活は安定したという。
長女・徳が西園寺家に嫁している。徳は先に記したように慶長15年の生まれ、その嫁ぎ先西園寺家とも親しい間柄であったろう。
そして徳が西園寺家に嫁いだ後は、忠隆から500石を分与されこれが西園寺家の生活の基盤になったという。
父・忠興の離縁の勧告を押し切って京に住み続けた忠隆が、何故千世姫と離婚するに至ったのがよく理解できない。
前田家資料に於いても、二人の離婚の時期や、千世姫の再婚の時期などを知ることが出来ない。
娘たちがそれぞれ嫁いだ後、忠隆の許を離れたという事だろうか。
しかしながら、著者は東大史料編纂所の教授であられるから、これらの事についてははっきり認定しうる典拠をお持ちなのであろう。
問い合わせをしようかとも思うが、僭越の極みではあり少々モヤモヤが残る。


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■梅雨入りの報やらボヤ騒ぎやら

2019-06-26 13:32:56 | 熊本

 九州中部・北部がようやく梅雨入りした。台風も接近していてこちらの影響もあって明日くらいは大雨の予想が出ている。
一気に季節がかわったという感じだ。

                        「桜町開発ビル」の画像検索結果 

                 桜町再開発ビルで火災 周辺は一時騒然 TKUニュースの映像から

 そんな中、九月にはオープンだという市中心部の再開発ビルで火事の一報が友人から入ってきた。
熊本では1973年、太陽デパート火事が発生し100名を超す死者が出た。
そんなことが思い出されて詳細がわかる迄やきもきしていたが、TV各局のチャンネルを切り替えても何所の局も平常番組を放送している。
しばらくしたら「鎮火」の情報と共に映像も映し出された。6階の広いバルコニーに積み上げられた資材が燃え出したらしい。
最後の追い込みで現場には多くの作業員が入っていたが、全員避難したが、交通は遮断され、現場のまえがバスターミナルであるため、バスの運行もストップしてしまったらしい。
大がかりな放水がなされて鎮火に及んだようで、少なからず被害が出ているのではないか。
しかし、まずは一安心である。気持ちを引き締めて頑張っていただきたいと切に思う。

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■元和九年・覚書(八月廿七日~八月廿六日)

2019-06-26 06:54:41 | 細川小倉藩

         |      八月廿七日 晴天 
         |            

         | 一、黒原町ニ、弐間ニ三間之家壱軒        中国之牢人 甚左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             喜左衛門
         | 一、湯川町ニ、弐間ニ三間之家壱軒            弥左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             源蔵
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             半三郎
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             孫二郎
         | 一、高原新町、弐間ニ三間之家壱軒        中国牢人  太郎介
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             新左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             万三郎
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             小左衛門
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             彦兵衛
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             惣左衛門 
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             源五郎
         | 一、同所ニ、弐間ニ三間之家壱軒             半介
畠ニ家ハ建ツべカ |   
ラズ       |   右八人之屋敷、畠ニ家を立候てハならさる所ニて御座候故、其〃ニ見合屋敷をハ相〇へく候、屋
相応ノ屋敷ヲ渡  |   ニ仕分之御年貢ハ被成御赦免候様ニ可申上との、かた書を仕申候也
         |
大坂ノ魚屋ニ魚ノ | 一、大坂ゟ罷下魚や九左衛門ニ、急度魚取候へと、申渡候ヘハ、進上候と返事申候事
上納ヲ命ズ    |
         |
         |      八月廿八日 晴天     
         
|                  八月十六日ノ 
岩間正成下着   | 一、岩間六兵衛、昨廿七日之伴ニ下着、御書、今朝辰ノ刻ニ、御城ニて頂戴仕候
         |                                       岩間六兵衛(1) (2) (3)
迎舟ヲ上ス    | 一、御迎舟、不残差上せ候事
         |
         | 一、米うたせ候事
         |
         | 一、財津市兵衛、手伝ノ御鉄炮衆弐人、山へよひニ遣事
         |
採銅所金奉行ノ交 |   松田五左衛門を加、三人ニて、弐人宛かわり/\ニ可仕候事
替勤務      | 一、採銅所御金奉行ノ事
         |
五十丁立ノ船ノ囲 | 一、五十丁立かこい、其まゝ可置事
         |
         |      (守尚)        (ママ) 
         | 一、長谷川権六殿御着候由候て、
         |
         | 一、門司之御材木、八月廿八日迄ニ、不残仕舞申由候
         |
         |
         |      八月廿九日 晴天     
         

         |                    (米取
利堺前ノ利分   |   利堺以前ニ、御借米奉行ヨリ奉行所へ届無之候間、御借奉行ヨリ利分可被出候也   
宇佐郡借銀取立ノ | 一、宇佐郡御借米奉行蓑田甚丞・米田久介、両人被参、被申候ハ、権八・長兵衛かり銀の出入被
出入       |   申候米ヲ、庄屋・小庄屋ノ預り切手取置由候間、急度銀ニても、米弐ても被払候へと申付候
         |     (ママ)
         | 一、御舟
         |
         |
         |      八月晦日 晴天
         |
         |   利堺過候間、せんさくの上、無念之所ヨリ、利分可出候事
         | 一、真下七兵衛米之事
         |                (米取
利分期限切ノ措置 |   利堺ヨリ以前ニ、奉行所へ届無之候間、御借奉行ヨリ利分可被出候也
宇佐郡借米奉行ノ | 一、宇佐郡御借米奉行手前大唐米三石余、八月七日ニ御蔵入被仕候、吟味候事
大唐米      |
         |   御郡奉行・御惣庄屋・小庄屋よびよせ、せんさく可相極候事
種子米未進ノ詮索 | 一、金津助二郎知行種子米未進滞之事
         |
         |      (守尚) 清水口御門                   (室)
長谷川守尚ヲ応援 | 一、長谷川権六殿清兵衛殿口ヨリ御はいり候て、田町ヨリ諸町ヲ二階町通、大里御通り候、大里御ち
ス        |                                           (重良)
         |   や屋へ瀬崎左助・新貝作太夫ヲ付置、菓子なと上げケ申候、御樽十五荷・三種、此御使谷忠兵衛也、
         |                               

                      

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