五 七月朔日忠利裁可
(吉英)
小倉川口出女 | 去々年小出大和守殿和泉国より但馬国江知行易ニ付、其刻私しうとめ為見廻女数上下五人
切手 | ニ而爰元罷下候処、去冬但馬子共所より迎之者下シ申候、然共御留守故河口出シ申候儀不
| 罷成候、又此度迎之者指下シ申候間被立御耳、右之女上下五人小倉河口出シ被下候様被仰
| 上候て可被下候、已上
| 元和七年七月朔日 ● 神西与三右衛門尉 花押
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| 神西与三右衛門尉しうとめ無紛候、召遣申候四人ノ女
| 前かと召連下候儀存候間請人ニ立申候
| 富嶋 猪兵衛 花押
| 加々山 主馬殿
| 富田 十大夫殿
| 長谷部文左衛門殿
| 道家左近右衛門殿
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六 七月朔日忠利裁可
猪膝口出切手 | 猪膝之御切手可被下人数之事
| 合男女上下八人内男四人女四人也 (根本)
| 右ハ松野織部内安田十右衛門尉と申者、こんほん立花左近殿者ニ而御座候、近年織部抱置
| 申候、此度帰参仕候男女ノ内壱人も御国之者無御座候、為後日拙者請状如件
| 元和七年七月朔日 ● 松野 半斎 花押
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| 坂崎清左衛門殿 請人
| 加々山 主馬殿 長岡勘解由 花押
| 道家左近右衛門殿
| 富田 十大夫殿
| 長谷部文左衛門殿
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七 七月朔日忠利裁可
香春口御門出 | 小河彦左衛門ばゝ中津へ為御見廻罷越候、上下女房三人瓦口御門御切手可被下候、以上
切手 | 元和七年七月朔日 ●
| ばゝせかれ
| 加々山 主馬介殿 沢田吉右衛門 花押
| 道家左近右衛門殿
| (文)
| 長谷部分左衛門殿
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八 七月二日忠利裁可
小倉御門出女 | 小倉御門御出し可下女之事
切手 | 合壱人也
| 右者中津郡大橋村惣十郎儀被成御成敗ニ付而、彼女房中津へ被召上候、然者右之女小倉ニ
| 罷居候ニ付而、右之女房小倉ヨリ中津へ召連罷越候間、御印被仰上候而可被下候、以上
| 元和七年七月二日 ●
| 大橋庄屋
| 惣左衛門 花押
| 佐方膳左衛門殿 花押 印
| 宮部 久三郎殿 花押 印
| 加々山 主馬助殿
| 道家左近右衛門殿
| 長谷部文左衛門殿
| 富田 十大夫殿
| 坂崎清左衛門殿
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九 七月三日忠利裁可
(三齋忠興)
小倉御門切手 | 鳴海助右衛門母宗立様へ御見廻ニ罷越候間、御門口出申御印被仰上可被下候
| 一、女上下弐人
| 一、男上下五人 鳴海助右衛門母中津より罷帰まて請人
| 以上合七人 私たち申候、為後日相判仕申候
| 吉田茂右衛門 花押
| 鳴海助右衛門 花押
| 元和七年七月二日 ●
| 長谷部文左衛門殿
| 真下 七兵衛殿
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一〇 七月三日忠利裁可
| (菜園)
| 私儀御さゑん湯作被仰付候而今日御さゑん湯へ罷渡候間、おんな壱人・むすめ壱人合弐人
| 之御印可被仰上下候、以上
| 七月三日 ● 平次郎 花押
| 真下 七兵へ殿
| 長谷部文左衛門殿
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一一 七月四日忠利裁可
小倉川口出女 | 中津御城御とらの内、いちやと申女壱人従中津爰許へ使ニ参候、船ニ而罷戻候間小倉川口
切手 | 御切手可被下候、御とらより拙者を被頼候間如此候、以上
| 元和七年七月四日 ● 沢 村 大 学 花押
| 長谷部文左衛門殿
| 真下 七兵衛殿
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