「転び切支丹類続」について詳細を知りたいというご質問を頂いた。
「サイトで調べたところ、『江戸時代、キリシタン宗を信奉した者の一族7世までをいう語。女系の場合は4世まで。』という事であった」とある。
もともと切支丹であった人々は、寛永十三年七月十三日までに転宗した。いわゆる「転切支丹」と呼ばれる人達である。
上妻博之先生の編著『肥後切支丹史・上下巻』(1989年(株)エルピス発行)に、熊本藩関係の転び切支丹関係の類続の家系図が紹介されている。
そのリストを 転キリシタンの穿鑿 でご紹介しているので参照されたい。
しかしその子孫である類続については質問者が調べられた内容(コトバックだと思われる)の説明とは少々異なっている。
熊本藩に於いては、本人(男子・女子同様)を含め、転切支丹の類続として男子五親等・女子三親等迄と規定した。
これは熊本藩独自のものなのであろう。「類続帳」に登録され、その動静は類続方で把握し、その出生・死亡・親縁・住所替・宗旨替等の届が義務付けられ、そのすべてが記録された。
これを過ぎると類続を外れ「平人」に戻ることになる。
以下男子を●、女子を●で表示し略系図とする。
子 孫 曾孫 玄孫
(男系)+ーーー●ーー+ーーー●ーーーーーー●ーーーーーー● 以下、末迄平人
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| +ーーー● 以下、末迄平人
本人ーーー+
| +ーーー● 以下、末迄平人
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(女系)+ーーー●ーー+ーーー● 以下、末迄平人
参考として『肥後切支丹史・下巻』掲載の「私家来転切支丹・飯銅丞右衛門系」の系図をご紹介する。
男系5親等、女系3親等が記されている。
尚、参考の為に過去に同様系図をいくつかご紹介しているので列記しておく。
清田家の系図を再び精査する(清田石見母凉泉院系)
奥田太郎兵衛殿 (加々山一類系図)
実家の記録 (天草十大夫系)
財前民助家系図 (臼杵内蔵助系)
白井太左衛門宛書状 (白井太左衛門系)