今日は細川忠興夫人・ガラシャ(明智珠)が自害された日(慶長5年(1600)7月17日)である。
細川家では現在では宗教を異にされているから表立った行事といったものはないのだろうが、泰勝寺の四つ御廟や祖祀堂には香華が手向けられていることであろう。
ガラシャの死については「霜女覚書」が残されているが、その状況を示す有力な情報である。
しかしながら、その編年が事件から半世紀ほどを経過しての回想であることから、そのすべてが真実であるのかどうかは判断しがたい。
一方、キリシタン史料に於いても、「一刀のもとに首を落とした」とか「火薬を撒いて火をつけた」などという記述は、その情報源は何処なのかと首をかしげざるを得ない。
その「霜」は、「御さいこを見届けしまひ候て罷出申候」と記しているところから、部屋の外から長刀で介錯したというのが真実だと考えたい。
「火薬を撒いて・・・」について私は、殉死者の一人「河喜多家」の史料に残る、「鴨居に火薬を仕掛けた」という具体的なやり方に、真実を見る思いがする。
ガラシャをはじめ、小笠原・河喜多・金津などが殉死して御供をしているが、御身に近い女性たちも御供をしたのではないか。とても御一人とは考え難い。紅蓮の炎に包まれて屋敷は焼け落ち、そのような疑問さえもかき消されてしまった。
ガラシャ夫人に関するキリシタン関係資料、其の他についてご厚誼頂いているSN様からHPやブログのご紹介を頂いたので、ここに取り上げておく。
「聖マリア大聖堂」
ブログ「模糊の旅人」