新しい元号「令和」も落ち着いてきたようだが、私は過日役所に出す書類に「元和」と書いてしまい、指摘されて赤面してしまった。
私には「令和」よりも「元和」の方がなじみ深い。
さて上の写真は大宰府の展示館に展示してある、博多人形の「梅花の宴」である。
裏には次の様な説明がなされている。
天平2(730)年の正月13日、太宰帥・大友旅人は自身の邸宅にて、梅の花を題材とした歌会を開催しました。
この模型は、其様子を博多人形で再現したものです。歌会には筑前守・山上憶良をはじめ、大宰府の官人たちや
管内九国三島の国司たち32人が集い、中国から渡来した高貴な花であった梅の花を題材として歌を詠み交わした
ことから「梅花の宴」と呼ばれています。
詠まれた32首の歌は「万葉集」に収められており、後に「万葉筑紫花壇」とも称された華やかな万葉文化がこの
地に花開くこととなりました。また、32首の歌の序文から、大伴旅人が中国の著名な書家・王義之の「蘭亭集序」
の影響を強く受けていることが分かります。
「令和」の元号が発表されて以来大宰府は最大賑わいの状態が続いている。そんな中ある方から、頂いた資料に紹介されていた写真と説明文である。