寛永九年肥後へ移封した細川家に代わり、豊前へ入国したのは忠利(47歳)の義兄・小笠原忠眞(64歳)である。
忠眞は忠利室・千代姫の実兄である(小笠原秀政子)。
翌十年(1633)八月廿四日、小倉藩主小笠原忠眞は、忠利と父・三齋の不和について心配し、書状を送っている。
それについての同九月二日忠利の返書である。
この時期仲違いしていた三齋弟・孝之(休齋・49歳)が兄の許(八代)にあることを知りうる書状でもある。
態御使者被下八月廿四日之御状拝見仕候 我等父子間悪由被聞召
何とそ可然様にと仰越候御心入之段 忝儀 書中難申盡候 其元へ左
様被聞召候哉 切々用共御座候而 此中状數を取替候 左様之儀之理
をも不存は何事そと存候而 申候哉と存候 今日為暇乞 口切可有之と
て八代へ参候とて 御使者ニも早々得御意候 爰元ハ少も替儀無御座
候 委細又三齋かたより可被申入候 彌九月十一二日ニ罷立候 於江
戸御用候は可被仰聞候 被懸御心安候而早々被示下候段 御禮難申
盡候 尚御使者可被仰候 恐惶謹言
九月二日
小右近様
御報
尚々 我等おぢニ休齋と申者御座候 不聞事候而中をたかい申候
他國も如何とて我等弟知行八代へ召寄候 其後ハ少も不苦候由
申聞候 かやうの事を申候哉 以上
大意は次のようなことであろう。
【我等父子の中が悪いのではないかとご心配いただいているが、いろいろ用事があり書状が多くそのことでそうお思いかと思う。
今日も三齋から口切に招かれているくらいだ。江戸でお目にかかりお話したい。
叔父休齋とは仲違いをしたが、今は八代に居るのでそのような事もない。このような事(を含めて)のお話ではないのか】