江戸時代 嘉永~安政 古文書 和本 切支丹宗門改 肥後藩 熊本藩 玉名 杉浦津直 蒲池太郎八
「諸扣」とあるように、内容はさまざまである。このオークションもだんだん値上がりしている。どのあたりで落ち着くのか・・・
爺さまはただ見守るばかりである。
江戸時代 嘉永~安政 古文書 和本 切支丹宗門改 肥後藩 熊本藩 玉名 杉浦津直 蒲池太郎八
「諸扣」とあるように、内容はさまざまである。このオークションもだんだん値上がりしている。どのあたりで落ち着くのか・・・
爺さまはただ見守るばかりである。
熊本史談会会員のS氏から、有馬一揆にかかわる「証拠状」の史料のコピーを頂戴した。
戦場における戦いの生々しさを記録したものだが、S氏のお話によると、読み下しを為さったお姉様が途中で気分を悪くされたと聞いた。
ご先祖様は、戦場で尾藤金左衛門に出会い、証拠人になることを頼んでいるが、自分自身も死ぬかもしれないからといわれ、色々な人に声掛けをしている。金左衛門はその言の通り、石垣に張り付き大石の直撃を受け落下、再び上っては再度石にあたり死んでいる。
さてS氏のご先祖様の詳細については詳しくはのべないが、その働きは無事に見届ける人が居て褒章の対象になったのだろう。
戦場は侍の出世の一番の早道だから、家臣ではない浪人たちが知る辺を頼り戦場に赴いた人たちも多く見受けられた。
高名を上げた一握りの人が仕官されたりしているが、大方は一時金をもらって故郷へ帰っている。
高名(功名)とは証拠人を必要とする。証拠人がその事実を証明しない事には、折角の働きも功名とはならないのである。
あたら命をなくした牢人も多くあったようだ。
以前東京のS様から頂いた資料には、数人分の働きを見届けて、戦奉行の請いに対して出した証拠状があった。
いわゆる「ひっ切れ紙」に書かれたものだが、戦場で功名を上げた人にとっては、大事な/\な証拠状である。
それぞれの人が、自らの命も危うい中走り回る中、働きをして周囲の人に自分の名を告げて名前を憶えておいてほしいと頼むわけだが、相身たがいの事であるから、一戦が終わるとこのような現実に直面するのである。
お預かりした資料は誠に興味深いものがある。読みだすと時間を忘れてしまうほどである。
又、史談会で取り上げたいとお願いしたところである。