津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■元和九年・十一月「京都郡菩提村百姓等申状案」

2019-07-14 09:55:38 | 細川小倉藩

             |                    
2京都郡菩提村百姓等 
    |    謹而致言上候事
 申状案         |

             | 一、京都郡ノ内菩提村、高弐百七拾六石三斗五升余、慶長六年としゟ同八年迄ハ、益田蔵人殿御拝領
             |   被成、内ノ御馬乗衆富永忠右衛門尉・伊藤兵右衛門・嶋田與右衛門尉、両三人へ被遣候、伊藤兵
             |                                     あらあらしく・乱暴に
   未進百姓ノ妻人質  |   右衛門尉殿百姓弥二郎と申者、御年貢御未進御座候ニ付、女房しちニ被召取、あらけなく御せつ
   子を殺シ放火自殺  |   かん被成候へとも、別ニ可仕様無之候而、十一ニ罷成むす子、八つニ成候むす子、二人共ニさし
             |   ころし、主ハ家ニ火を付、慶長八年十二月十三日ノ未明ニ、焼死申候、其付、悪所故、蔵人殿御
             |   知行御上被成、慶長九年年ゟ、御蔵納ニ罷成、同十三年年迄ハ蔵人殿御所務被成候、定納り弐つ
             |                      (ママ)
             |   三分ニ当り申候ニ付、弐つ三分ニ、御郡奉行肥後殿御定被成、其上百姓かしけ申ニ付、諸役目等
             |   御免シ被下叓
             | 一、慶長拾四年とし、福田善右衛門尉殿、御郡へ御出被成、御免大分御上被成、三つ成ニ被仰付候、
             |   同十五年年も三つ成ニ定り申候、同拾六年・十七年年、両年は弐つ八分ニ被成、此時も御未進拾
             |                         (財)
             |   五石・廿石宛御座候つレとも、其時迄ハ、牛馬・家材・農道具迄売、納申候へ共、同拾七年とし
             |      尽くす
             |   多年之つかされニ、御百姓めけ申、明拾八年之根付不罷成候ニ付、御郡奉行衆・御郡代・御惣庄
             |   屋以御談合、御郡中御蔵納分ゟ、牛・人を被仰付、荒発被成候、作付之儀ハ、村々百姓作付申候、
             |                                    (朱カ)
             |   同拾八年とし之御免、御郡奉行小谷又右衛門尉殿御検見之上を以、弐つ三米ニ御定被成、其上御
             |   役目半役ニ被仰付候、同十九年年弐つ二分、元和元年年弐つ一分四朱、同弐年年弐つ二分七朱、
             |   同三年・四年、両年ハ弐つ四分、同五年・六年、両年ハ弐つ六分、如此年々御免上り、御百姓い
             |   たミ申候処ニ、元和七年としニ、三分上り申、弐つ九分ニ被召上候、其付、去未進四拾石余出来
             |   申候、稠敷御代官衆御さいそく被成候ニ付、牛五疋・米六石四斗ニ売立、御百姓七人・方々ニ在
             |                                   (京都郡)      (同郡)
             |   郷奉公ニ出申、米九石取立申候、又、御加損米九石被下候、又、拾九石ハ下田村性福寺、下久保
             |       (中津郡)
             |   村新介、大橋村惣兵衛、彼三人手前ゟ、御代官衆御加判被成候て、借米仕、御皆済仕候、此米元
             |   利共当年壱粒も返弁不仕候間、もはやかり申事も不罷成、めいわく仕候事
             | 一、上久保村ノ内、高百五拾石、慶長十八年とし益田蔵人殿ゟ出シ、菩提村同前ニ御上ケ被成候、其
             |   内五拾石余、菩提村ゟ出作仕懸り候、今ハ作仕候儀不罷成候間、御郡代・御代官ニ御理り申候へ
             |   共、上久保村ニ戻り申儀、御分別不被成、彼飛松分、五拾石ニ、弥々めいわく仕候事
   津出ニカシグ    | 一、菩提村、浜辺とおく御座候間、余村ニ替、津出ニもかしけ申候、百姓馬持不申候故、駄賃馬斗ニ
   駄賃馬       |   て下申候、大橋迄、壱石を五升つゝニて出申候、物成百石ニ付、五石ハ御 公儀不知ニ、浜辺ニ
             |   違、駄賃ニ而も御未進出来申候、御免御定之時、か様之御指引も不被成、いなかも海辺之村も、
             |   平等ニ被仰付、めいわく仕候事
             | 一、当春根付之儀、御郡奉行・御代官・御惣庄屋衆ゟ、種々御穿鑿被成候へ共、五拾石余不罷成、御
             |                                      (人脱)
   荒起シ       |   惣庄屋岩熊孫兵衛手永中、御蔵納・御給人ニ不寄、被仰付、牛四拾疋・人百四拾御出被成、荒発
             |   被仰付候、又、夏、牛百疋・人弐百五拾人出申、御代官衆・下郡衆・御惣庄屋、しかと御そい被
   惣作        |   成、惣作ニ被仰付候、又、草手ニハ、京都郡御蔵納中ゟ、人数百五拾人出申、下郡衆御そい被成
             |   御取せ被成候、人数合五百四拾人・牛数合百四拾疋、如此被成候へ共、我々作仕廻候而、おそく
   種子米元利程モナシ |   仕付候間、荒同前ニ御座候間、此田ニ植申種子米、元利ほとも無御座、めいわく仕候事
             | 一、当秋生嶋平三郎殿御拝領被成候、御免相色々御理り申候へ共、御検地之上を以、弐つ四分ニ御定
             |   被成候、左様ニ御座候へハ、御知行御上被成、又、御蔵納ニ罷成候、其付、御奉行衆ゟ御意之由、
             |   御代官衆御申被成、元和七年ノ御免ニ可被成通ニ候、弐つ四分ノ御免ニ而さへ、成不申候、殊ニ
   年貢ノ外ニ本種子  |   御年貢之外ニ、本種子夫米、御薪米、去年ノ御加増米、合四拾石余出申候、是程、当御未進出キ
   夫米薪米加損米   |   申候、是を被召上候ハヽ、御百姓壱人も堪忍難遂存候、是非共御理り被仰上可被下通、御代官へ
   百姓一人モ堪忍ナリ |   申上候へ共、御奉行衆ゟ被仰出候儀、何ニても御理り申上儀不成候と、被仰、庄や孫介・御百姓
   ガタシ       |   弥右衛門尉・茂左衛門、高未進御座候とて、御糺明被成、めいわく相極候、菩提村悪所故、田畠
   定免        |   毛上、年々相替儀無御座候間、定免ニ御定被下、其上御役目等五、三年之間成共、御免被成候は、
             |                               (季)
   役目等免除願    |   以来、御百姓も相続可申かと存候、もはや弐拾年余も、年々ニ節記ニハありけなき御糺明斗ニ、
   古郷難忘候     |   悪所故相申候間、生在所ニて御座候へ共、村ニもあきはて申候、雖然、古郷ほうしかたなく候て、
             |   当年迄ハ堪忍仕候事
             |    右申上通、少茂相違無御座候条、御前能様ニ、御披露被成可被下候、仍申上所、状如件
             |      元和九年十一月十五日               菩提村百姓
             |                                  源左衛門尉
             |        進上                      
             |         御奉行衆中                    弥右衛門
             |                                
             |                                  茂右衛門
             |
             |
   惣奉行等用状案   | 一、来年四月ニ、御土免被 仰付候砌、定免ニ可被 仰付旨、被 仰出候也
   忠利裁許      |      元和九年十一月廿七日        西郡形ア少
   定免        |          宮部久三郎殿        浅山清右衛門尉
             |          佐方少左衛門尉殿      仁保太兵衛
             |                        横山助進
             |

   読むに堪えない百姓衆の苦労がうかがえる。まさに「生かさず殺さず」の世界であり、まだ成熟していない農政のあり様がうかがえる。

   

  

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