津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ピアノと山法師

2019-07-23 17:42:18 | 俳句

                 ピアノ弾くは佳人か庭の山法師  津々

 私は「山法師」という木が大好きで、あちこち歩き廻わるなかであるお宅の庭に見事な枝ぶりの木を見つけた。
そして中からピアノの音が聞こえる。
弾いている人が男性なのか女性なのか、お年は幾つなのかもわからないまま、かってに佳人としてしまった。
この年になっての悔やみ事は、私はまったく楽器が扱えないことである。
何かできていれば楽しかったろうなとつくづく思い、人様のお宅でピアノの音などが聞こえると、なんと風雅な事かと感じ入ってしまう。
子供三人は幼かったころ、日曜日になると私がいろいろレコードをかけていたこともあって、中学・高校・大学と楽器に親しんでいる。
奥方も小さいときピアノの練習をしていたというから、私一人が「へのけ者」である。
最近は肺活量が落ちて、口笛も吹けないし歌を歌うこともままならない。
そんなことを思いながらの駄句である。お粗末さま・・・

 

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■天草島原の乱「細川家史料に残る沢彦右衛門か事」

2019-07-23 06:10:07 | 歴史

 昨日、 ■有馬一揆「証拠状」を読む を書いたが細川家史料はどのように記録していたのか気になって調べてみた。
昨日のブログではS氏と記したのは、沢彦右衛門のご子孫の事だが、その働きぶりはS氏所蔵の文書と大方合致している。
又、討ち死にするかもしれないからと、証拠人を推薦した尾藤金左衛門の見事な働きぶりと、死に至る有様も記されている。
これ等の人たちの働きが、「本丸一番昇り」をもたらしたのである。

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松井新太郎(興長)足軽を下知してしきりに鉄炮をうたせ、自身も石垣に取付一番乗の名乗、志水新之允・尾藤金左衛門等声々に詈(ののし)り登る、沢彦右衛門も 庄兵衛子 続て働を金左衛門見て、我々は討死せんも難計、家来浅川喜平次と申者証拠ニ立候へと申付候 喜平次其外数通之証拠状今ニ所持 、城中の矢石甚く、殊に千束荒兵部と名乗大の男の強力屏の上に現れ、十人持程の石を軽々と差上続け打に投かくる、味方大に損し開き靡く事前後三度也、是をも不厭新之允・金左衛門・熊谷忠右衛門等等進て石垣を上り、志水か家士一両人つゝく中に、赤尾五大夫鍬を以石をうけはり防くを、熊谷見事也と誉けれハ、出来申御覧候へと云て働く、熊谷一番に犬走に着、志水は鉄炮に中り候へ共浅手なれハ尚進て采拝をふり後軍をまねき、尾藤も同時に犬走に着ける時、件の大石ニふれて冑の鉢をしたゝかうたせ、朽葉色の大吹貫を指なから、屏下よりひしと押詰たる味方の頭上をこし、廿余間下なる谷底に落る、其余勢松井新太郎か差物に中り同しく落る、熊谷が家来驚き金左衛門様御討死と云を忠右衛門叱り付、狭間越にさり合に是も石に中り犬走より転ひ落ル、尾藤はやかて起上り大勢の味方を押分々々又石垣を上り、犬走に着とひとしく塀をこへんと腕木に取付所、屏越に突出す鑓を喉に受留、猶も其鑓にすかりてせり合候か、急所の深手耐かたく終に死を遂る、家人浅川弥平次かけ来り急にたすけ起し候へ共、甲斐なく死骸をいたき、沢村宇右衛門に創口を見せ、馬場三郎左衛門殿ニも披露して本営にかへり候

御船頭白井兵助もはたく出丸の石垣に着候か、やかて城内に入てかせき候、白井と一同に乗込候御船頭、手嶋茂大夫・佐川庄兵衛・高見善兵衛・渡部七郎左衛門・久間伝蔵・竹田忠左衛門・松田七郎兵衛・岡田茂兵衛・嶋田理右衛門・池部道意・田中作兵衛・山口吉兵衛等也、此内七郎左衛門・理右衛門・作兵衛は手創を被り候、町熊之助ハ乗込時石にて面をうたれ候へとも、猶も不厭相働、篠原清兵衛も乗込、手負なから首一ツ討取候、先に台使の命にて兵を揚よと有時、有吉家士葛西惣右衛門・同伊織・中松伝助・団六左衛門・荻野兵助・本郷縫殿・斎木喜太郎・木部清大夫・生地貞右衛門此者共は最初より先手にすゝミ塀岸に付居たるを、引上候へと、井上左門・中山羽右衛門を以示し遣す処、其比寄之手より乗込へき様子を見請候間、如何と何も見極る内に、本丸ニ火の手見へける故直に乗入り、氏家志摩・斎藤勘助・津田次郎左衛門なと一所に乗込候、古川市助も早ク攻入鑓を合弐人付伏候に、三人めの敵に鑓を切折れ候時、小性弐人かけ付敵を追散し候にまた余敵突かゝる、其鑓のうのくひを取せり合内に、小性壱刀斬れハ市助も抜合せ仕留候、夫より尚もすゝミ候処ニ鉄炮にて膝口をうたれ、小性弐人も手負候へ共、主人を引立退候也、長谷川七兵衛 後久兵衛 ・同兵四郎 後弥兵衛 ・同太郎助 後嶋之助 兄弟三人何も相働、立花手のかゝり口本丸の入隅にて 一ニ須戸口ニ而 七兵衛鑓を合弐人突伏、其身も五ヶ所手負、松野平兵衛ハ敵と相突にして創を被り、浪士奥田藤左衛門一所に在て同敵を突候へとも平兵衛首を取、沢田九右衛門ハ敵三人突留る、沢彦右衛門敵を突伏候に、残党側より不意に出、切付るをはつし候へは、肩に少創を得なから不透其敵を討取る、財津市郎左衛門進て鑓を合せんとする時、敵横相より長刀にて鑓を切折候ニ、其鑓の柄を直ニ投付透間なくつと入て抑へて首をかく、此早業ニ懼れ候や、余賊は奥に逃入候、村上市右衛門・堀田諸兵衛・入江三之允等よく働く、興長家士西垣太右衛門ハ護る所の長旗をすゝめ、本丸の東の海手の隅石垣の壊れ口より諸手一番に旗を入、小高き所に押立候、大村猪右衛門 掃部次男、此時歩御使番、後新知拝領、足軽頭被仰付、改源内 同所に在て賞美いたし候、寄之も無程乗入旗下に来り候へハ、田中三郎左衛門円居をもち来て同く立並ふ、此時風強く乳付の大旗竿ニまかれけるを、沢井善太夫走り寄て引ひらき台使の方に向候間、白地に紺の九曜の下に笹丸付たるか明かに見へ、茜に白き笹の丸の円居も立添候を、御両君・馬場氏も御覧候而、本丸ハ式部乗取たりと御喜悦被成、台使ニも被仰遣候処、はや是よりも見受候と御賞美有之、本丸の一番昇と被定候、沢村大学旗も続て立並へ前後を争ふ程に有之候と也

 

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