津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■思い出す事

2019-07-04 11:37:16 | 徒然

 散歩の途中で見つけたつる状の植物の実、桑の実のようだがこれはつる状で初めて見るな~と携帯で撮影してみた。
帰っていろいろしらべてみると「クマいちご」らしい。食べられるらしいから、後日一つ頂戴して食べてみようかしら・・・

            

 私は昭和17年の生まれだから、子供のころは食糧難で友達とあちこちに出かけては、いろんな木の実や草の実を見つけては食べたものだ。
桑の実・椋の実・槇の実・椎の実・ヤマモモ・グミの実等々である。
・桑の実は今では「マルベリー」などとおしゃれに呼ばれているが、私世代では少々違和感がある。
 お蚕さんの食料に育てられていた畑に入り込んで、叱られた思いでもある。
・椋の実は今では食べる人はいないのではないかと思うが如何だろう。MAICOの「あらかると」というサイトに椋の実熟す頃という記事が
 あり、まさにこのような状態に落ちている実をむさぼり食ったものだ。
・槇の実は熟した赤い実と種になる青い実がセットになっている。「#・槇の実」にいろんな投稿があって、中にはこれが食べられること
 に驚いておられる方たちがある。味についてはあまり記憶がない。
椎の実は立田山に出かけた小学校の遠足で、沢山とって帰ってから焙烙で焼いて食べた思い出が強く記憶に残っている。
ヤマモモは幼いころの思い出があって、花園に住んでいたころ苗木を求めて植えたところ、瞬く間に大木になったが、雄なのか雌なのか
 わからずついに実をつけることはなかった。「近所にもう一本雌か雄か植えなきゃ身はならないよ」と教えられたが、後の祭り・・・
 毎年枝おろしが大変だったが、葉に脂分が多いのか生木でもよく燃えたので助かったものだ。
グミの実は口の中がしびれて、余りお呼びではなかったが、幼いころはあちこちで見かけたものだ。

その他、里山に入り込んでアケビなどを見つけた時は大喜びをしたものだし、枇杷石榴は高いところにあって子供には採ることが出来ずに悔しがったことを思い出す。サクランボは幼いころ食べたという記憶はないが、これも花園に住んでいたころ植えてみて引っ越すまで数年食べたことが有る。
こうしてみると野生人だったな~と思うし、あの頃の幼い友人の顔が浮かんでくる。

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■元和九年・覚書(閏八月十八日~閏八月廿日)

2019-07-04 06:22:05 | 細川小倉藩

         |
         |      壬八月十八日      
         

         | 一、根本與左衛門宿、米町ノ喜左衛門と申者所也
         |               
宇佐郡借米奉行  | 一、宇佐郡御借米奉行衆、手前ノ御米八月ニ入、被相払分、利分ノ申渡候事御借米奉行、蓑田甚丞・
         |   田屋作兵衛・米田久助也、

         |                        (可成)くにゅうぎん     (清忠)
口入銀ノ利分   | 一、宇佐郡之内、永良権八・同長兵衛手前、加々山主馬助口入銀、西郡刑ア口入銀利分之事      かねくにゅう  

         |                                             口入銀銀口入
         |   御借米奉行平野万五郎
         | 一、田川郡、長谷部文左衛門御借米利分之比
         |
木野左兵衛等大坂 | 一、木野左兵衛・中津海三右衛門・曽根勘助・星野少介・小袋才蔵・児玉左平太、大坂御普請御仕置
普請仕置ノ用ニ上 |   之御用ニ、被成御上せ候事

坂        |
呼野金山金銀ノ算 | 一、呼野御金山金銀之御算用可仕旨、被 仰出之由、大学・利斎ゟ申来候、金山御金奉行手伝、弐人
用ノ命      |   相加へ可申候事
         |
忠利重松某等ニ馬 |
ヲ与へ当年中ノ馬 | 一、重松長十郎・続権六、此両人に御馬被遣候間、当年中之はミをそえ、可相渡旨、 御意之事
料ヲ添ウ     |   矢野利斎奉行也
         |
         | 一、三郎太与八人 内 三人 甚兵衛方へ、但、永勝院・與左衛門・少兵衛
         |            四人 高孫作、真鍋小左衛門へ、
         |            壱人 神戸喜平次
         |                 あがの
大里茶屋へ挽茶ヲ | 一、大裏へ遣ひき茶、なつめ壱つ、上野かた付壱つ、合弐つ、吉田茂左衛門内、藤永久五郎ニ相渡候
送ル       |   事
         |             葛籠         渋紙
         | 一、山田喜斎替ノ薬箱、つゝら二つ、其外しふかミ包、明日可遣事
         |
         | 一、呼野金山御金奉行ニ、算用可申付候事
         |
         |   (道家)
         | 一、左近右衛門与十七人有内 五人ハ長兵衛ニ渡ス
         |               弐人ハ在所へ相渡由候
         |  (立花宗茂)大里
立花宗茂通行ニ応 | 一、飛騨様大裏にての御膳之儀ハ、御意次第ニ可仕旨、 御諚之事、陸路を被成御座候は、則事二注
接方       |                                           掃除
         |   進可仕事、御郡奉行二、大里ゟ小倉迄之間ニ、段々人を付置、注進可申上事、 弥〃さう地之事
         |   可申付事
         |                                (部)
山田喜斎ヘノ対応 | 一、山田喜斎跡ゟノ荷物送夫ノ事、御年寄衆へ談合申候ヘハ、未知行入郡も不被仕候間、此度ハ申付
         |   候へと、御談合に(ママ)
         |                               (正成)          (三渕重政)
立花宗茂振舞ノタ | 一、立花様御越ニ付、永良長兵衛・町三右衛門手前ニ有之料理人、薮図書・小谷又右衛門・長右馬助、
メノ料理人    |                     (正重) (南条元信)(重政)
         | 一、右同、伊藤金左衛門手前ニ有之料理人、黒田蔵人・南城・続亀介
         |
         |
         |      壬八月十八日 晴天      
         

立花宗茂来ル   | 一、立花飛騨守被成 御出候事
         |
         |
         |      壬八月十八日 晴天 金子喜左衛門書状、安井太右衛門持参候事
         |   
         |   (松平忠直)
松平忠直家中ヘノ | 一、越前之宰相様之衆罷上候時、舟かり申候ハヽ、かし不申、御注進可申上旨、 御意候事、金子喜
船ノ貸与ハ許サス |   左衛門書状ニ、右之様子申来候を、則、深野左介を以、書状懸 御目候ヘハ、浦々へ可申触之由、
浦々へ触出ス   |   被 仰出、御郡奉行衆へ申触候事
         |
         |  (鞆、沼隈郡)
鞆へ畳表ノ調達  | 一、備後ともへ、御畳面四百枚、急度調被下候へと、與兵衛所へ書状遣候、御小早之御船頭川村喜左
         |   衛門へ、書状遣候事
         |
大坂普請ノ者出船 | 一、中津海三右衛門・曽根勘介・星野少介・小袋才蔵・児玉左平太・木野左兵衛船出、被罷上候事
ス        |
         |     (延俊)細川忠興妹・加賀の聟、忠利義叔父
木下延俊ヘノ返書 | 一、木下右衛門様ゟ参候御状、恒川将監所へ可遣と、書状迄調候ヘハ、坂井加右衛門・林小介ニ言
         |   伝達候也
         | 
         | 一、越前之宰相様之衆被罷上候時、舟かり申候様子、右之通、中津御町奉行衆へも可申遣旨、 御意
         |   候
         |
立花宗茂銀子ノ不 |   御郡夫申付候事、宿送、 
足        | 一、飛騨守様銀子持申人足、廿五人送り夫ニ申付候事
         |
         | 一、同さいれうニ、御鉄炮衆弐人申付候事
         |
         |   御郡夫申付候事、宿送、
         | 一、こわめし持拾人、弥五右衛門・八右衛門二申遣事
         |           〃〃〃〃〃 〃〃〃〃
         |   (林)   (河田)
         |   弥五右衛門・八右衛門ニ申遣、御鉄炮衆相渡候事
         | 一、八並市右衛門、手伝壱人、右両人弐申遣事
         |
乗物舁      | 一、御乗物かき、荒仕子之内三人あけ候へと、牧市左衛門ニ申付候、則、かわりも入候へと、指帋遣
         |   事
         |           (松井興長)(志水元五) 
忠利採銅所見分ニ | 一、採銅所へ御供衆覚、式ア殿・伯耆殿
供廻り      |                        (ママ)
         | 一、同御詰衆之頭五人、御弓拾張・御鉄炮三丁、御鷹  御犬・御めし馬壱疋・御乗かけ壱疋、御
         |                 (鍼)   
         |   小性ノ馬五疋、竹原以凡馬壱疋、はり立之馬壱疋
         |
         |     (続重政)       (林)  (河田)   (弥左衛門)
         |   のり物ハ亀介ゟ、のり物かきハ弥五左衛門・八右衛門ニ申遣、和斎与四人
宝蔵坊      | 一、宝蔵坊乗物、同のり物かき之事
         |
         |   のり物ハ伝右衛門ゟ、のり物かきハ弥五左衛門・八右衛門ニ申遣、和斎与四人・御長へ衆弐人 合六人
大安寺      | 一、大安寺乗物、同のり物かき之事

         |
         |   御中間小頭與兵衛ニ申付候
鍼立加兵衛    | 一、針立ノ加兵衛のせ候御馬ノ事
         |
         |   御長柄衆六人ノ内、壱人渡ス
弓袋持      | 一、御弓ノ袋持壱人入申候事、但、四左衛門ニ渡ス
         |
         |   御長へ衆六人ノ内、弐人遣、但、定詰と申渡候
唐人少峯     | 一、少峯のりかきの事
         |      (物脱)
         |
   
         


 

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