津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■NHKのニュースで・・

2019-07-13 20:41:56 | 熊本

    河川洪水 : 熊本県熊本市東区などの地域で、大雨の警戒レベル3にあたる状況です。

インターネットでは終日このようなテロップが流されています。
そんな中、夕方NHKの7時のニュースに、わが家に近い水無川(健軍川)が満水になった状態で放映されました。
洪水警報が出ているので、少々気にはなっていたのですが、まさか全国版で登場するとは驚きです。
今は大した雨ではありませんが、一週間以上の雨になりそうで、梅雨明けは再来週まで伸びそうですが、まずは水無川が安泰でありますようにと願うばかりです。

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■博多祇園山笠「一番流笠の加藤清正公」

2019-07-13 10:43:00 | 徒然

                   

 博多の街は「博多祇園山笠」のお祭りの真っ最中、流れ山笠に力水を掛ける姿も今日は雨の中で必要もなさそうである。
某さんはフィナーレ前日の今日の「流舁き」の、一番山笠・千代流の加藤清正を見るべく博多にでかけるという話だったが、あいにくの雨で取りやめられたようだ。
熊本の復興を願って制作されたと聞くが、熊本県は先月末には「クマモン」ともども御礼に参上している。
明日のお祭り終了と共に解体されると聞くが、今日は博多の熱い男たちと共に博多の街中にその雄姿を見せていることだろう。

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■元和九年・十一月「焼物屋杢左衛門申状案」

2019-07-13 06:22:22 | 細川小倉藩

             |                    (条)
2焼物屋杢左衛門申状案
   |    田川郡弁城焼物屋杢左衛門尉申上候重々事
             |
   二十年焼クモ一切売 | 一、御国ニ、拙者弐拾ケ年、御かけを以、堪忍仕候へ共、もはや在郷ニて、焼物一切売不申候ヘハ、
   レズ        |              はたと 
             |   女子共やしない申候事、不罷成候条、去々年御上洛之時、我等之段、御郡奉行衆迄申上候ヘハ、
   借米借銀ニテ堪忍ス |   御懇之御上意被成候間、忝奉存候而、御留主三年之間、色々借米・借銀ニ而、堪忍申候へ共、何
             |   々と仕候ても、女子をやしない申事不罷成候、何様ニも御上意奉待候、かやうニ候て、うへ死
   本国ニ帰リタシ   |   申候間、左候は、本国ニ罷渡り度候、先年唐人被罷渡候時、母存命之由承候間、其時御いとま申
   母存命中ニ見参シタ |   上度候へとも、被仰上候衆無之候間、今迄堪忍仕候間、母命ノ中ニ、けんさん申度候間、兄弟三
   シ         |   人、女子共、対馬迄御切手可被下候、生々世々忝存候事、左様ニ候ハヽ、日本者、養子・弟子一
   当地ニハ養子弟子ヲ |   両人跡ニ仕付、正月・二月罷渡度候、此等ノ段、可然様ニ、被仰上候而可被下候、以上
   仕ツク       |                               弁城焼物や     
             |     元和九年十一月八日                   杢左衛門尉
             |         御奉行衆中
             |
             |
   惣奉行等用状    | 一、何時成共、切手を書候て可参候、川口御切手被遣旨、被 仰出候也  
   忠利裁許      |     元和九年十一月廿七日        西郡形ア少
             |                       浅山清右衛門尉
   田川郡奉行宛    |        野間次左衛門尉殿       仁保太兵衛
             |        林與兵衛殿          横山助進
             
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ちょっと一言
いろいろ考えさせられる文面である。焼物屋・杢左衛門は異国人であろう。二十年間田川の弁城(福岡県田川郡福智町弁城)で焼物屋を生業としてきたが、
「焼物一切売不申候」生活が成り立たず、家族が飢え死とも為りかねない状況となり、帰国したいというのである。

二十年前というと慶長八年くらいになるが、どういう経緯で田川郡に住み着いたのだろうか。
田川郡福智町は「上野焼(あがのやき)」で有名な地域である。上野焼は、豊前小倉藩主・細川忠興が慶長7年(1602年)に李朝陶工の尊楷を招き、
陶土に恵まれた上野の地(釜の口窯)で窯を築いたのが始まりだとされている。

この杢左衛門も尊楷の弟子ででもあったのだろうか。熊本の焼き物はこの上野焼が源流となっている。
先人の苦労がしのばれる。


  

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