津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(10)

2019-07-02 16:46:21 | 家紋

                                                                

■遠山斧三郎は「遠山三右衛門家(南東10-21)」の6代目である。「御前様御付・御裏方支配頭之支配 御前様御付 百石之御擬作」
 家紋は「陰の向こう梅紋」である。

■冨田小左衛門は「冨田新三郎家(南東10-4)」の何代目に当たるのかは、代々が小左衛門を名乗って居り特定しがたい。
 家祖は福嶋家牢人・冨田与兵衛・重冬、三卿家老・3代有吉立行の女婿で、この冨田家は四男の家系である。すぐ上の兄(重時)は
 5代有吉英貴の養子となり有吉別家を興した。
 富田家の家紋は「丸に源氏香・花散里」「隅立て角に源氏香・花散里」である。
        (元来、花散里紋は左の縦棒が長く描かれているが、冨田家の家紋に於いては上記表示のように短く書かれている。秋田藩主佐竹家の控え紋から引用した)

■冨田貞八は「冨田貞八家(南東10-7)」の6代目「御番方・松下清蔵組 百五十石」である。
 家紋は「左巴紋」である。

■冨岡宇大夫は「富岡貞一郎家(南東10-17)」の5代目「安永二年閏三月~安永三年七月 山本郡代」を勤めた。二百石。
 家紋は「上り藤」

■富岡四大夫は「富岡善蔵家(南東10-20)」の6代目、亀源太(四大夫・善兵衛・善左衛門)か?
 家紋は「丸に揚羽の蝶」である。

■冨嶋伸次は「富嶋猪平家(南東10-19)」の9代目「御番方・遠坂関内組 百五十石」である。
 家紋は「打板(ちょうばん)」の類型か?

■戸嶋次郎助は「戸嶋定彦家(南東10-18)」の6代目・二百石である。
 家紋は「三角紋 △」?

■戸田儀左衛門は「戸田才記家 (南東-10-14)」の6代目である。
 家紋は「杏葉」「三つ目結」

■戸沢十大夫は「戸沢九郎家 (南東10-5)」の 6代目・十大夫(市左衛門)である。  
 「浜町御近習御次支配頭之支配 二百石内五十石御足高」
 家紋は「丸に立梶の葉」「石持地抜き平角に戸の字紋」

■戸波吉太郎は「戸波新一郎家 (南東10-15)」の8代目「御番方・島田正進組 旧知三百石」を勤めた。
 家紋は「剣木瓜」の類型

■徳野宮八は「徳野久兵衛家 (南東10-24)」の3代目で弟子八百数十人を有し、藩の算学師範となり測量学なども教えた。
 家紋は「丸に三つ矢筈紋」である。

■都甲保助は「都甲源蔵家(南東10-2)」の 7代目・平弥(保助)である。初代は森鴎外の小説「都甲太兵衛」でも有名である。
 家紋は「左巴紋」である。

■友田源之助は「友田恒兎家 (南東10-10)」の 10代目・熊雄(源之助)「御鉄炮三拾挺副頭 四百石」である。
 家紋は「 ? 」「丸に立梶の葉」

■友岡藤右衛門は青龍寺以来の「友岡弥太郎家 (南東10-13)」の9代目・善大夫(藤左衛門)二百石である。
 家紋は「黒丸に六曜紋」である

■友成市左衛門は「友成 定家(南東10-12)」の5代か、6代か特定しがたい。
 家紋は「平角に四つ結」?

■鳥居満喜は「鳥井謙蔵家 (南東10-3)」の4代目で、「御鉄炮廿長頭・長岡組 三百石」である。
 家紋は「丸に橘紋」である

■鳥井清純は「鳥居弥直家 (南東10-28)」の7代目で、浜町の御匕を勤めた、本道の医師である。
 家紋は「鳥居紋」である

■豊岡角左衛門は「豊岡角十郎家 (南東10-6)」の7代・八郎(角左衛門)か9代・弥太郎(角左衛門)か特定できない。
 家紋は「違い角」である。 

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■狂い咲き?

2019-07-02 10:59:58 | 徒然

 今朝も雨です。梅雨だから仕方がないものの、随分遅い梅雨の入り食後のこのどか降りは不安が募る。
昭和28年の熊本大水害の三日間の累積雨量は750ミリ位ではなかったかと記憶するが、今年はあと2・3日は大雨が降り続いて1,000ミリ位になるのではないかという。
すっかり地盤が緩んでいるから、山間部での土砂崩れなどが心配されている。

 我家のそばの水無川は大いに水かさを増して、ごうごうと音を立てて流れている。
そんな中を傘をさして散歩に出る。いつもと変わらぬ自衛隊前の歩道を歩いていて、桜の木の高いところに花びらのようなものが並んでいるのを見つけた。
       
          


2.5~3.0mほどの高さにあったので、乱視の私には最初「キノコ」だろうかと思ったほどである。
携帯で撮影してみたが、まったくの逆光でこのような写真しか取れていないのだが、如何だろうか?
雨の中の散歩も又良いものである。

       追記:昼食後奥方にこのことを話したら、即座に否定された。そこで携帯の画面を最大迄拡大してみて気づいたのだが、
          どうやらこれは「なば(きのこ)」のようですね~。そうだとしても面白いものを見つけました。

                        

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■元和九年・覚書(閏八月十四日~閏八月十七日)

2019-07-02 06:12:19 | 細川小倉藩

         |
         |      壬八月十四日      
         
|   忠利室・千代姫               
忠利室供ノ中間小 | 一、御上様御供之御中間・御小人不足分、御家中へ可申付 御意候事
人ノ不足分    |                     特記:この年の10月14日忠利室千代姫江戸に移住することになる。その準備か?
大坂詰ノ鉄炮足軽 | 一、大坂ニ有之十人ノ御鉄炮衆かわり、此廿日ノ御舟ニ可差上と、 御意之事
ノ交替      |
大坂蔵奉行ノ任期 | 一、大坂御蔵奉行、来年四月迄、大坂ニ罷居候へと、被成 御諚之事
         |
厩ノ長柄足軽ヲ長 | 一、御馬やニ有之廿六人之御長柄衆を、御長柄頭ニ渡し可申 御意の事
柄頭ニ渡ス    |         京都吉田屋敷
吉田邸ニハ上方掃 | 一、御掃除坊主、吉田ニハ上方にて三人抱置、爰元ゟ上せ候三人ハ、呼下シ可申候事
除坊主ヲ抱ウ   |
家屋敷ニツキ三斎 | 一、三斎様御代、当御代ニ、家屋敷替たる儀有之由候間、永良権八・北村平右衛門ニ吟味させ可申旨、
代ト変改ノ吟味  |    (清忠)        (倫)
         |   西郡形ア少輔・国遠道輪を以、被 仰出候事
         |
歩小姓召抱ノ命  | 一、歩之御小性、六十人之都合抱候へと被 仰付候事
         |
長柄足軽召抱ノ命 | 一、御長柄衆抱候へと、西郡形ア少へ被 仰付候事
         |
郡奉行ノ万仕置ノ | 一、御留主中ニ、御郡奉行御郡にて万仕置之儀、書付可上之由、 御意之事
書付       |
採銅所金山奉行居 | 一、採銅所御金山奉行入江八郎兵衛・中摩市太夫家ノ儀、呼野同前ニ申付候事
宅ハ呼野同然トス |
上地分検見ノ奉行 | 一、上地分検見之御奉行出シ可申事、川成改ノ御奉行へ見被申候へと、申遣事也
川成改ノ奉行   |                                  〃
石榴       | 一、さくろノ儀、重而申触候事
         |                 江(松井興長)(小笠原長元)     (沢村吉重)(矢野)
忠利返事セザル書 | 一、八月廿九日之日付にて、 殿様 式ア少・民ア少廿九日ノ日付、大学・利斎十四日ノ日付之状、
状ニハ自筆ノ肩書 |   安斎・小篠三右衛門書状被差上せ候を、御船にて被成御披見候故、不被成御返事候ト、名加判ノ
         |   上ニ、 御自筆之御かた書申候を、即刻、右之衆中へ相届、頂戴
         |       現・英彦山
椎茸ノ木ヲ彦山ニ | 一、椎茸ノ木、彦山へ取ニ遣可申事、数五十本、六蔵奉行也 
求ム       |
         |                             特記:この日大坂方牢人の仕官解禁となる
         |      壬八月十五日      
         

家改奉行へ鉄炮足 | 一、御家改奉行衆
へ、御鉄炮衆三人相渡シ可申事
軽ヲ付ス     |
奈良漬ヲ台所人ニ | 一、大坂ゟ下ルならづけ、山本半介・足立與兵衛ニ相渡也
渡ス       |       (坂崎成政)
蕨縄       | 一、手伝弐人、坂清左へ相渡事、同わらひなわ之事
         |   (垣カ)
腰物ノ金具ノ金目 | 一、桧担彦兵衛を、明石二郎九郎・横田権左手前之御腰物之かなぐ、金目■見被申横目ニ付申候事  
ノ横目      |
奉行等ノ執務ニ行 | 一、今夜ゟ、御奉行衆ニ、あんとん壱つとほし候事
灯ヲ点ズ     |
         |
         |      壬八月十六日      
         
|  (上毛郡)

焼米ト刈残シノ米 | 一、八屋村やけ米之儀、御郡奉行・御代官ニ、火事ニあい申候ものゝ田かりのこしの米と、やけ候米
納米トノ都合ノ吟 |   と、納り候米とつき合、都合算用相申候か、吟味仕、無紛との、御郡奉行・御代官・御惣庄や書
味        |   物取候而、可懸御目 御諚之叓
         |
永荒開ノ済様ノ申 | 一、宇佐郡大堀村、永荒・ひらきノ済様可申上 御意の事
告        |
茶年貢      | 一、同郡、茶年貢ノ書物、吟味可仕、御諚ノ事
         |
片野村御免ノ出入 | 一、片野村、元和ハ年之御免之出入、御郡奉行・御代官・庄や手前吟味仕、双方ゟノ書物取、吟味仕、
         |   得 御意の事
         |
石榴採集奉行   | 一、さくろ取之御奉行之事
         |                     閏8月12日・14日にも石榴を求める記事がある。将軍家献上の為に躍起である。
長柄足軽ノ遣様  | 一、御長柄衆遣様、御吟味之事

         |
         |
         |      壬八月十七日      
         |          (桁)
川口米出切手   | 一、川口米出切手、■切手大分之儀ハ、 御印を可被成御出旨、被 仰出候事
         |
神西與三両金山懸 | 一、採銅所御金山、・呼野、両所ともニ、神西與三右衛門惣奉行可仕旨、被 仰出候事
奉行任命     |   (鏈)=鎖
鏈ノ土請取    | 一、くさりのつち請取之儀ハ、砂金請取之奉行可申旨、被 仰出候事
         |
物奉行金山在住者 | 一、御物奉行之内、金山ニ居候分かわり可申付旨、被 仰出候事
ノ交替      |
         | 一、井上十三郎・小篠八兵衛、両人ニ銀子壱枚つゝ出し可申旨、被 仰出候事
         |   (長岡孝之)
長岡孝之室上洛ニ | 一、中務様御上様御上洛ニ付而、御船拾端帆かこい申付、かし可進旨、被 仰出候事
船ヲ貸ス     |                    忠興弟・細川孝之と忠利の仲違い(この時期孝之は京へ上り幽居する)
         |
小判百両ノ切手  | 一、大坂ゟ下ル小判百両之切手、加々山権右衛門方へ相渡候也
         |
女門出切手    | 一、御國中へ、女御門出切手之事
         |                  
         | 一、採銅所へ、御鉄炮衆明石源左衛門与吉右衛門遣之事
         |
宿賄之横目    | 一、高田角左衛門・真鍋小左衛門ニ、宿賄ノ横目三人相渡候事
         |
採銅所金山御用ノ | 一、うすへり十五枚、 一、手水桶一つ・ひしやく一つ
品        |                      (掻笥)
         | 一、まく壱はしり、  一、行水桶・たらい・かいげ弐つ
         |    右之一つ書四つハ、採銅所へ遣候也
         |
         | 一、井上十三郎呼ニ、金山ニ遣候処ニ、道にて行違、飛脚帰候間、又、御鉄炮金森将監与八兵衛、酉
         |   之刻ニ呼ニ遣候事
         |
宇佐郡奉行代官等 | 一、財津惣左衛門、清成作介・畑理右衛門を召連、罷出、被申候ハ、宇佐郡之内、御免ニ請申儀難成
土免ニツキ願出  |   と申所御座候通、目録を持参候而、訴訟被申候へ共、御土免ノ高をはつし候事不成候間、御土免
         |   ゟ能所可有之候間、ならし被申候へと、返事仕候、則、請相、被罷帰候事
         |                      

 

                      





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