表紙 元和年比ト見へ候 「庄屋百姓等申状(訴願目安)案 幷 惣奉行等用状(裁許裏書案」
1 規矩郡柳村百姓左助 |
等申状案 | 申上
柳村慶長十四年ノ検 |
地ニ高上リ迷惑畝竿 | 一、規矩郡之内柳村弐拾町分と申在所、慶長拾四年之年、御検地被成候処ニ、田畠元高上り、畝竿詰
詰ル | り申候而、百姓迷惑奉存候事
ソノ内訳 | 一、慶長六年之御検地、高百六拾八石八斗八升七合、慶長十四年之御検地ニ、高五拾七石弐斗六升八
| 合八夕上り申候、高弐口合弐百弐拾六石壱斗五升五合八夕ニ成申候ニ付、百姓迷惑仕候事
| 一、慶長六年之御検地、御帳面高ニ被仰付可被下候、右之分ニ不被仰付候ハヽ、御奉行を御出シ被成、
| 有躰ニ上中下之所、無甲乙、畝竿有様ニ被仰付可被下候、百姓下々ニ而迷惑之由、申候へとも、
| 此通申上儀不罷成候事
百姓逃散ス | 一、慶長十四年之御検地、請申百姓多走り申候、至于今、他国ゟ牢人・百姓も此村中ニ壱人も不参候
他国ヨリ一人モ来住 | 条、何共迷惑ニ奉存候事
セズ | (是門)米田家二代是政弟・藤十郎、寛永九年没・62歳
元和七年ヨリ米田是 | 一、元和七年之八月ゟ、米田與右衛門尉殿御知行ニ被成候へとも、何にても非分之儀不被仰付候、元
門知行ス | 和八年ニ計舛御かへ被成候処ニ、払斗を弦懸斗ニ被成候、延米御座候条、納申候へ共、延米三石
払舛ヲ払弦懸斗ニ延 | 五斗余、百姓中ニ戻シ被下候、則、銘々物成高割付被下候、如此、有躰ニ被仰付候条、御給人ニ
米ハ戻サル | 申分無御座候事
知行主ヘハ申分ナシ | 右ノ通申上候儀、百姓何共迷惑ニ奉存候へとも、今度 御目安箱御出シ被成候付、如此御理り申
| 上候、以上
| 元和九年十一月十五日 柳村廿町 左助
| 頭百姓 源兵衛
| 小百姓 喜介
| 同 彦市
| 同 惣市
| 同 善右衛門
| 同 次郎左衛門尉
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惣奉行等用状案 | 高五拾石分、役儀免被遣也
五拾石分役儀免除 | 元和九年十一月廿七日 西郡刑ア少 (清忠)
| 浅山清右衛門
| 吉田茂左衛門尉殿 仁保太兵衛 (慰英)
| 平井五郎兵衛殿 横山助進 (重嘉)
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