津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■米田是豪25回忌・能番組

2019-10-03 10:53:09 | オークション

 仮)長岡是容 二十五回忌 追善能番組」検)能楽 演目 巻絹 融 肥後熊本藩家老 勤皇家 西郷隆盛等と親交 江戸明治維新 肉筆資料

              
                  
 米田是容の25回忌に当たり催された「能番組」である。
是容は横井小楠と共に肥後実学党の双璧であり、坪井派を率いた。また家老職と共に、文武倡方を勤めたが、藩主・齊護による「時習館と実学党の学位の対立」の指摘を受け、その職を退くとともに家老職も辞職(弘化4年)するに至った。
その後は横井小楠の沼山津派との確執も有り、実学党は袂を分かつことになる。是容の死は安政6年(1859)8月11日だから、25回忌は明治16年(1883)という事になる。
米田家の二ノ丸の本邸には立派な能舞台があったが、この時期は既にない。
これがどこで行われたかについての記述がないのが残念ではある。

              
                         
二ノ丸米田御屋敷之図  図面中央が能舞台である。

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