津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■元和拾年 萬覚書(56)

2019-10-23 21:26:28 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿三日

         |                                           
         |一、廿三日  道倫 助二郎  当番  朝曇 晩雨
         |
沼田延元上洛ニツ |一、勘解由殿ゟ使、来ル廿七日ニ可罷上候間、冣前御惣談候て、御米借可被下之由候間、弥御かし被
キ借米加子ノ願出 |                   (ママ)  
         |  成候様ニとの儀、幷御加子廿八日やとわかし被成候而可被下之由、是又、右ニ御談合相極り候間、
         |              (案)  (河喜多正直) (仁保慰保)
         |  弥頼入候通、御米借状之安帋、五郎右衛門・太兵衛ゟ被渡候事
         |
金山小屋等ノ普請 |一、御金山小屋、其外ノつくろい普請奉行ニ、御鷹師ノ志加與三右衛門・高瀬勘兵衛、両人被申付候
奉行ニ鷹師ヲ命ズ |  事
         |
五徳金山地割山廻 |一、五徳御金山地わり山廻りノ奉行ニ、渡長右衛門・坂本勘兵衛、両人明日参候へと、被申付候事、
奉行任命     |
         |  (規矩郡)
採銅所金山地割山 |一、採銅所御金山地わり山廻り奉行ニ、田辺作介罷居候、此替りニ、山崎伝丞明日参候へと、被申付
廻奉行任命    |  候事
         |
餌差雲雀捉リニ諸 |一、御餌指ひばりを取候儀、当御郡はかりニ而ハ不辨候間、よの御郡へも可遣通、河合権丞申候、左
郡へ遣ス     |  候ハヽ、ひばりニ塩仕候者、御小人吉蔵被申付候事
塩漬ニ小人    |      由
沼田延元上洛療養 |一、長岡勘解殿御煩ニ付而、御上洛候ニ、米五十石、惣談之上にてかし被進候事、御上洛ハ今月廿七
ニ貸米五十石   |  日之由、惣右衛門申候事
         |一、河喜多五郎右衛門・仁保太兵衛、手前御奉行衆へ手前切手判形相済不申候間、片付可被仰付由、
         |  彦市・伝介申ニ付而、今日相談可有之由之事
         |
台所賄算用ノ滞リ |一、御桧物屋新助・同又右衛門・沼次左衛門・林與兵衛御台所賄候、切々算用今ニ滞り、迷惑仕候由
         |  申ニ付而、五郎右衛門ねヲ被存由申候間、可相尋由、被申渡候事
         |

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■元和拾年 萬覚書(55)

2019-10-23 14:35:58 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿ニ日

         |                                           
         |一、廿二日  道倫 甚左衛門  当番  朝曇
         |
大橋ノ橋材山出ヲ |一、河田八右衛門登城候而、橋之板財木取候儀、町人役ニ被仰付候、然は、香春ゟ小倉迄、六里之間
町人ニ命ズ    |  ヲ町人ニ被仰置候、又、山ゟ香春迄は三里ニ而御座候条、三里之山出ヲ、町人出シ可申と申候は、
         |  其分ニ被仰付可被下由之事、奉行衆、町奉行と惣談可有との事
         |                       御加子
船頭惣奉行鏡善右 |一、鏡善右衛門登城ニ而被申候、主手前手伝ニ被置候上田十三郎と申者、今度御舟頭ニ被召上候、其
ノ手伝加子ノ後任 |                                  (松本)(栗野)  
ノ採用扶持分   |  替りニ、御加子召置申候間、かの者ノ御扶持方被仰付可被下候通ニ書付、彦市・伝介方へ被渡候
         |  事                  (国東郡)          被
古市村孫三ノ糺明 |一、村上久太夫・入江猪右衛門、両人ニ申付、ふる市村孫三きうめい可申付候事
         |           ( 慮  外 )  
         |一、右之善右衛門被申候りよくわい仕候御加子 昨日ニもせいばい可仕と存候処ニ、御舟頭衆みな/\
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃
         |                     ニハ
         |  取付 わびこと被申候ニ付 其分ニ仕置申候如何可仕やと 御奉行衆へ被申候 以来之見せしめノ
         |  〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  所ハ申付候条 此度ハ御舟頭衆へたいし ゆるされ候ても可然由 御申候
         |  〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃
         |             イ                                                                                            御奉行衆も      め
船頭惣奉行ニ慮外 |一、鏡善右衛門ニりよぐわ仕候御加子、御舟衆ミな/\わびこと被申候へ共、 〇以来之見せしノ儀ニ
ヲセル加子ヲ成敗 |                   (小笠原長元) 右
セシム      |  而候間、せいばい可被申付由ニ候間、民ア少殿ニも相尋候へバ、右之分ニ御申渡シ候事
以来ノ見セシメ  |
         |一、古市村與三左衛門尉小者孫三糺明仕候へバ、右之口同前之由、村上久太夫・瀬崎猪右衛門尉被被申

         |  候、御奉行衆弥々穿鑿仕遂ケ候而、民ア殿可申由之事 
         |     

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