津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■三つの花押

2019-10-10 19:48:26 | memo

            

            平野九郎右衛門
               2代目:九郎右衛門・長常(如元)
                    有吉頼母允組 御小姓頭 千石 (寛文四年六月・御侍帳)
                     
寛文三年十月~延宝七年十月 小姓頭
                     延宝七年十月~天和三年七月 奉行
                     天和三年七月~貞享四年十一月 番頭

                  
平野如元 名は長常、九郎右衛門と称す。食禄千石、国政に参與し、一国出納
                  の事を監督す。宝永四年十二月三拾日没す。年八十。

            出田作左衛門
               3代目:作左衛門武英(初・左兵衛 入道自閑) 
                  (1)御鉄炮頭衆 千五百石 (真源院様御代御侍名附)
                  (2)有吉内蔵組三拾挺(頭) 千五百石 (寛文四年六月・御侍帳)
                  (3)二千石   (真源院様御代御侍免撫帳)
                                 ~寛文九年 中小姓頭
                     寛文九年(三拾挺頭)~延宝四年十月 小姓頭 作左衛門ト改
                     延宝五年(小姓頭)~延宝七年(隠居)番頭
            田邊(部)平助・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川家家臣略歴(先祖附)に於いては田部氏とある。
                2代:平助(入道水月) 
                  (1)御鉄炮頭衆・三拾挺 七百石  
                  (2)御側物頭衆 千石 (真源院様御代御侍名附)
                  (3)千石  (真源院様御代御侍免撫帳)
                  (4)有吉頼母允組 御小姓頭 千石 (寛文四年六月・御侍帳)・・田辺平助
                  (5)御詰衆・六番岩越忠右衛門組 御花畑御目付 千石 (御侍帳・元禄五年比カ)・・田辺
                  (6)人持衆、番頭并組迯衆 千石
               

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■城下町延岡

2019-10-10 09:52:19 | 徒然

 宮崎県延岡市は我が奥方の故郷である。延享四年、いわゆる三方領地替えが行われて、「日向国延岡藩牧野貞通は幕閣で出世し江戸に近い常陸国笠間藩へ、笠間藩主の井上正経陸奥国磐城平藩へ、磐城平藩主の内藤政樹御家騒動百姓一揆の懲罰として延岡藩へ転封となった。江戸時代期間中の大名の転封として、陸奥国磐城平(現・福島県東南部)から日向延岡(現・宮崎県北部)への転封は最も長距離の転封記録である。」(ウイキペディアより引用)
その内藤家が8代にわたり治めた7万石の城下町である。城下町らしい地名が多く残されていて、いかにも往時を思わせる。

 城下町といえば現在の延岡は、大企業・旭化成の城下町ともいえる。
奥方と延岡の街を散策すると、まるで町名のように「レーヨン」とか「らいかん」とかいう名前が出てくる。
「レーヨン」でも驚いてしまうが、「らいかんって何だ」ときくと、「雷管」なんだそうで火薬などでも作っているのだろうか?
海岸にそった広大な工場敷地には、大きな煙突が見えて延岡のシンボルのようだ。
今は亡い義父も旭化成のエンジニアだったが、奥方は「旭化成のお陰で自分がある」と言い切る。色々恩恵をこうむったのだろう。

 昨日はノーベル化学賞が発表され吉野彰氏の受賞のニュースが流れると、奥方の喜びように驚かされた。
身近にある「リチュームイオン電池」の開発者として、未来の環境問題を志向するなかで、時を得た受賞となったのだろう。
破顔一笑のお顔にお人柄がうかがえてなんとも良い。

 120キロほどの距離があるが、幼なかった子供を乗せて車で出かけていた折には4時間以上かかっていたが、道路事情が良くなり現在では2時間半ほどで行けるようになった。
義父が亡くなってから少々疎遠になっている旭化成の城下町延岡も大いに盛り上がっていることだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■元和拾年 萬覚書(45)

2019-10-10 06:39:32 | 細川小倉藩

                                (元和十年四月)九日

         |                 (晴)                                   
         |一、九日 道倫 甚左衛門  当番 清天 
         |
材木伐採ニ三斎留 |一、川田八右衛門登城候而、御郡へ材木切りニ人を遣可申候、乍去、 三斎様之御留山の内ニ而、可
山ノ有無ヲ伺ウ  |  有御座候哉と、被相尋事
         |        宇佐市佐野
佐野ノ新堤完成  |一、小野喜三郎、宇佐郡さの御塘普請仕廻候而、罷帰候由ニ而、御帳調上ヶ候事       
         |
城井谷八幡御社米 |一、安竹喜兵衛登城候而、きい谷八幡之御社米帳、調上ヶ申事            参考城井谷城
調        |
病気暇乞ノ誓紙  |一、坂井忠三郎登城ニ而、末久左介煩申ニ付、御いとま申上、煩まきれなきとのせいし仕上ヶ申候
         |  
         |  遣返之由候事
         |                          (松本)(栗野)
中間召抱ニツキ借 |一、同忠三郎、御中間弐人かゝへ申候、御借米之儀被申、彦市・伝介方へさしかミ被遣候事
米ヲ乞ウ     |
         | (安場仁左衛門)
武具奉行幟ノ請筒 |一、安は二左衛門、御のほりノ請づゝ竹、こしらへ可申由ニ候、伝介・彦市へ御申、きりニ可被遣之
ノ竹ヲ切ラシム  |  由ニ候事
         |
他領ヨリ当国ニ走 |一、木村九郎兵衛登城ニ而、御国へ、他国ゟはしり来候百性の書立持参被仕之事
リ来ル百姓之書立 |
三斎泊鷹野ニ宿所 |一、金守■山三郎登城ニ而、 三斎様御たかのに、中津郡へ御出被成候、御宿こしらへノ御奉行被仰
設営ノ奉行    |  付候へ共、御前悪敷候て、御さしかへ之事
         |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする