我が家の先祖附に眼を通していたら、「四代吉左衛門儀 延享四年(1747)二月十九日東御櫓番被仰付旨三渕志津馬殿被仰渡・・」とあるのに、ふと思うことがあった。
熊本地震前にこれらの櫓軍の内部が解放され見学できるということで出かけたことがあった。
先祖附には「東御櫓」とあるが、「東」と冠する櫓は「東十八間櫓」しかなく、そうだとしたらこのでかい御櫓番をおおせつかったということになる。
このでかい櫓はどのように使われていたのかはよくわからないのだそうだ。
丁度この場所は熊本大神宮の後背地の高石垣の上に当たり、石垣が崩壊し櫓も大崩壊し大神宮の建物に覆いかぶさるように落下した。
熊本城の被害状況 p14の被害状況写真⑥が大神宮建物に覆いかぶさった東十八間櫓
地震後に出かけた折、惨状を目の当たりにしたが、親しんでいた高石垣上の櫓の雄姿はまったくなく見るも無残で涙したものだ。
これらの建物の残骸が再生に向けてかたずけられ、石垣の整理もされて今日に至っている。
はたしてこの石垣と櫓の復元はいつのことになるのだろうか。
どうやらその姿は見ることは出来ないだろう。来年一月に誕生日を迎えると80歳の私である。