津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■東十八間櫓

2021-12-08 12:46:01 | 徒然

 我が家の先祖附に眼を通していたら、「四代吉左衛門儀 延享四年(1747)二月十九日東御櫓番被仰付旨三渕志津馬殿被仰渡・・」とあるのに、ふと思うことがあった。
熊本地震前にこれらの櫓軍の内部が解放され見学できるということで出かけたことがあった。
先祖附には「東御櫓」とあるが、「東」と冠する櫓は「東十八間櫓」しかなく、そうだとしたらこのでかい御櫓番をおおせつかったということになる。
このでかい櫓はどのように使われていたのかはよくわからないのだそうだ。
丁度この場所は熊本大神宮の後背地の高石垣の上に当たり、石垣が崩壊し櫓も大崩壊し大神宮の建物に覆いかぶさるように落下した。
     熊本城の被害状況 p14の被害状況写真⑥が大神宮建物に覆いかぶさった東十八間櫓
地震後に出かけた折、惨状を目の当たりにしたが、親しんでいた高石垣上の櫓の雄姿はまったくなく見るも無残で涙したものだ。
これらの建物の残骸が再生に向けてかたずけられ、石垣の整理もされて今日に至っている。
はたしてこの石垣と櫓の復元はいつのことになるのだろうか。
どうやらその姿は見ることは出来ないだろう。来年一月に誕生日を迎えると80歳の私である。

       

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(七)

2021-12-08 08:08:31 | 先祖附

      「歌仙幽齋」 選評(七)

 はるばると山をめぐりの夕月夜西に入江の影を見るかな

 雑部「廿四日肝付よりめぐりといふ所までつきて大安寺に泊りけるに、夕月夜をか
しくさしうつるをみて」。廻城は大隅國姶良郡福山の地で、西面して海に倚る。われ
は遙々と山地をめぐり歩いて來て、只今この廻城に着くと、日は既に暮れ、早くも上
弦の夕日が出てゐたが、それもやがて西方の入海の向うに落ちようとしてゐる、その
影を面白くも、さびしくも眺めをることよ。相當複雑なことを手際よくまとめてゐ
る。廻城の地勢なども、簡單だが的確にいひ現はしてゐる。「山をめぐりの」は勿論
縣詞であり、「西に入江の」も亦、月が入ると詞を縣けたのである。二條流の好む技
巧。

 あづまより越えくる春も隼人の薩摩路とほく立つ霞かな

 春部{文禄二年薩州鹿児島に年をとりての元旦に」。歳久問題は前年 文禄元年  七月十
八日彼が死を賜ひ自刃したことによつて落著したのだが、幽齋は引續き薩隅日三國の
檢地を見届けよと命ぜられて、南九州に淹留した。それで右の如く新年の作。東方よ
り來るとうふ春の足早く、元日の今朝すでに西陲薩摩の海山までも、かやうに麗らか
に霞が立つてゐる。第三句枕詞の「隼人」は「早く」と縣詞にもなつてゐる。遠國に
て又一つ年を加へたことの感慨である。萬葉集の長田王は大和から來られて、

 隼人のさつまのせとを雲居なす遠くもわれはけふ見つるかも

とあつさり詠まれたが、二條流の幽齋さうはまゐらず、手の込んだ歌ひ方をした。乍
併、相當に感じの籠められた佳吟ではある。

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■部分御舊記・軍事部九(8)寛永拾五年肥前国於有馬原城働之御帳・3

2021-12-08 06:56:56 | 史料

                        寛永拾五年肥前国於有馬原城働之御帳・3

一、小林半三郎
  一、二月廿七日有馬本丸塀下に著申候 石を打鑓・長刀振廻ろ申者見へ申候間鑓を入突可申と仕所私鑓を切申候 此以前
    石
垣へ上り申候所を二三度うち落され申候
      証人合申候

一、上田忠蔵
  一、二月廿七日有馬本丸犬走へ上り申所を石にて打落され申候 其後両度右之乗口へ上り申候所打落され申候 石垣際を
    前後はなれ不申本丸へ乗込申候 夜ニ入引取与頭之傍へ參手負候通組頭に理引取申候
      証人合申候

一、服部九右衛門
  一、二月廿七日有馬二ノ丸にて鑓を合申候ヘハ敵引申候を追縣鑓を合申候
  一、同日本丸へ乗込敵突テ出味方なたれ申候所をふミ留申候
      証人合申候

一、河喜多八助
  一、二月廿七日有馬本丸石垣ニ著犬走へ乗上り申所を石にて打落され申候 又乗上り申所を石にて打落され申候所に何
    も引取候へとの御使にて引申候
      証人合申候

一、生嶋平左衛門
  一、二月廿七日有馬本丸石垣も塀も崩候處へ著申候 其後乗込小屋より敵三人出申候所を一人仕留申候 其後寺本八左衛
    門を敵突申候所を脇より其敵之鑓私取申候
      証人合申候

一、樹下山三郎
  一、二月廿七日有馬本丸犬走へ上り居申石にて打落され申又塀下へ著申候所を又石にて打落され又塀下ニ著其後御下
    知にて引取申候
      証人合申候

一、山本三蔵
  一、二月廿七日城乗之刻被仰付候楯板を持せ参り本丸石垣下ニ著其後本丸にて両度敵に鑓を合高名仕候
     (証人の記述なし)

一、清成八十郎
  一、二月廿七日有馬本丸犬走へ上り居候処ニ而鑓ニ而突落され申候 又犬走へ上り申候所に又目の下を鑓にてつかれ痛
    申ニ付廿八日ニハ夫罷出候
      証人合申候

一、岡本四郎三郎
  一、二月廿七日有馬本丸犬走ニ上り居敵鑓にて突申候所を鑓うばい候得とも石垣ゟころひ落申候 私親源次手負申ニ付
    十四五間程かけ退石際際に著申候
      証人合申候  

一、野瀬角太夫
  一、二月廿七日有馬本丸石垣ニ著さまより鑓を合申候
  一、廿八日本丸にて敵長刀を持かゝり申所を仕留申候 又同所にて小屋之内敵鑓を持働申所を仕留申候
      証人合申候

一、井上新丞
  一、二月廿七日有馬本丸石垣に著居乗込城内にて長刀持申敵に鑓を合鑓付申候
  一、同日脇差を持居申者を鑓付申候
  一、廿八日前後与頭に付居申候

 

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