津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■朝散歩とクスノキの切株

2021-12-20 11:26:28 | 徒然

 今朝は朝から少々冷え込んだが散歩に出るころには風もなく晴天となった。
ダウンを着込み手袋をして外に出たが、しばらくするとこれが失敗だったことを思い知る。
ウインドブレーカーでよかった。ダウンをぬぎ、小脇に抱えて歩くことになってしまった。
先に散歩コースの沢山の赤いリボンがいよいよ切り倒されることをご紹介した。どうやらこれは私の早とちりであったらしく、伐採当日の作業を確認して、その翌日には切株を写真撮影した。

                       

 大きな切り株は、ほかの処でも伐根することなくそのままにしてある。この新しい切り株は良いにおいを放っている。
数日たつが其後赤リボンがまかれた木が、切り倒されることには至っていない。どうやらこの一本だけを切り倒したものらしい。
いづれにしろ何時かは切り倒される運命にあるのだろうが、作業はきわめて爽やかなもので、クレーンで支持しながら何度かに分けて切断され、その都度車で運び出される。
一本切るのに半日仕事といった感じ、続けてやるとすれば一月以上かかる作業のようだ。
私の早合点をお詫び申し上げる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(十五)

2021-12-20 06:32:21 | 先祖附

      「歌仙幽齋」 選評(十五)

 めの前に海をなしつつ朝霧のあらぬところに沖つ鳥山

 詠和歌百首の中。霧深き朝の海景。眼前に濛々と朝霧が渦まいて、海面はそれと見
とめ難い。思はぬところに沖の小島が現はれた。一方、霧がとだえして。「朝霧の」
は此句で小休止し、さて「あらぬところに」となる。朝霧のあらぬところ、霧の少き
ところ、の意ではない。霧の少いところに島が見えると云つたとて、歌ではない。あ
らぬところ、思はぬところ、といふのが一首の生命である。後世、村田春海の有名な
作、

 心あてに見し白雲はふもとにて思はぬ空に晴るる不二の根

などが参考になる。

 

 海原や霞と共にみつしほの浪路はるかに春たつらしも

 春部「元旦試筆に」。大きく美しき敍景で新年を祝してゐる。滄海原は元旦から早
くも、麗らかな紅霞たなびき、それと共に、潮もまんまんと満ちて來て、沖の遙かま
で春の立ち來る風景だわいと、自然の豊かさを春の徴と眺めたのである。「霞と共に」
「春立つ」立つは、春のみならず、霞の縁語にもなつてゐる。結句は古調を帯びなが
らも、「海原や」といひ「霞と共にみつ潮」といひ、全體は近體をなしてゐること、
いふ迄もない。類想の古歌一首、

 天の戸のあくるを見れば春はけふ霞と共に立つぞありける(新拾遺集)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする