津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(五)

2021-12-05 14:24:48 | 先祖附

      「歌仙幽齋」 選評(五)

                もろこし 
 日の本の光を見せてはるかなる唐土までも春や立つらむ

 春部「天正二十年入唐の御沙汰ありし年の元旦に」と詞書あり。天正二十年、改元
して文禄元年、幽齋五十九歳。朝鮮征伐の發令は前年九月下旬、諸將の部署を定めた
のは今年正月、諸軍渡海の開始は三月中旬、秀吉京都出發は同月廿六日であつた。か
やうな歴史的の年の元旦に幽齋は右の秀歌を詠じた。曠古の壯擧を背景にして、すば
らしい出來榮えである。「日の本の光をみせて」「唐土までも」聖徳太子が随に遣さ
れた國書の冒頭に「日出づる處の天子、書を、日没する處の天子に致す、恙なきや」
と書かせ給うた古を想はせる。皇國の光が大陸に及ぶと賀頌したので、國運を豫言し
てゐる乎とさへ思ふ。「春や立つらむ」春色は東より來て西漸する。藤原俊成の歌、

 今日といへば唐土までも行く春を都にのみと思ひけるかな

は同じく立春を題としても、のどかな大宮人の歌である。又、後の本居宣長、

 さしいづるこの日の本の光より高麗唐土も春を知るらむ

は至極堂々たる國祝ぎながら、幽齋に一歩先んじられたとと云つてもよかろう乎。尤
も、宣長のは一層おほらかで、悠揚としてゐる。幽齋のは「光を見せて」と能動的に
しかけてゐる。それは大陸遠征の擧が起り、中心に積極無雙の豐太閤が控へてゐたか
らであらう。詞書「入唐の御沙汰」云々、むろん秀吉が大陸までも出向ふといふこと
である。

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■四日ぶりの散歩

2021-12-05 10:17:02 | 徒然

 どうやら風邪も抜けて日常が取り戻せたようです。天気も良いので四日ぶりに散歩に出ました。

      窓越しに風の音きく 風邪の床   津々

たかだか風邪とはいえ床にあるというのは無聊なものです。
コロナ禍の中家にこもりっきりの生活をしいられて約20ヶ月程の中の二三日でしたが、ベッドの中で咳やクシャミに耐えながら寝て過ごす時間には歳のせいもあってか、大いに虚しさを感じさせられました。
冷たい風を頬に受けながらも、外に出て歩ける健康をうれしく思い大いに満喫致しました。3.5㌔ほどを歩きました。
背中に温かい陽の恵みを受けながら歩いていると、思わず口笛を吹きたくなりましたが、すっかり肺活量が落ちていてかすれた音しか出ず、何とも情けない次第でした。
健康のありがたさをしみじみ感じますが、「たかだかの風邪」とは思いあがった言い様だと思い至りました。
あと40日ばかりで80歳、健康第一で過ごさねばと実感しきりです。

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■部分御舊記・軍事部九(6)寛永拾五年肥前国於有馬原城働之御帳・1

2021-12-05 06:38:06 | 史料

      寛永拾五年肥前国於有馬原城働之御帳・1

一、長岡八郎左衛門
  一、二月廿七日有馬原城二ノ丸にて鑓を合せ高名仕候 夫より本丸石垣下へ參摠並ニ乗込右馬助手負申ニ付而右馬助組
    少々引廻し廿七日之夜本丸ニ相詰暁ニ引取頼母佐備へ参り申候 明廿八日にも頼母佐与同前に本丸二相詰申候
      証人合申候

一、松野縫殿助
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸にて敵突伏高名仕候
  一、同日又二ノ丸中程にて鑓にて突おとし首取申候
  一、本丸石垣に著塀越ニ鑓にてせり合敵一人突たをし申候 其時右之手ニ少鑓手負申候
      証人合申候

一、吉弘四郎大夫
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸にて鑓を合壱人つきたおし申候 此段牧伝蔵様被成御覧に付而其後嘉悦平馬を以無御
    失念候哉と御尋申上候得ハ不被成御失念之由平馬書付有之

一、明石源左衛門
  一、二月廿七日有馬本丸石垣ニ著堀越に貴利志旦とからち合申候 源左衛門著申所石稠敷打申候故いつれもなたれ申候
    得とも源左衛門残居申候本丸へ參候儀ハ御下知にて参申候
      証人合申候
  一、明ル廿八日本丸松之き御座候所にてかせき敵一人鑓付申候
      証人合申候

一、続 平右衛門
  一、二月廿七日有馬本丸犬走ニ著鑓にてからち合申候 御下知にて引取申候
      証人合申候

一、松山兵左衛門
  一、二月廿七日有馬本丸犬はしりに著敵と鑓をからち合申私鑓おれ申候 其後敵鑓を突出し申所を取申候得手之内きれ
    申候
  一、同日本丸江乗込鑓にて突たおし頭弐ッ取申候
      証人合申候

一、竹内八兵衛
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸にて鑓を合高名仕候 其時鑓手負申二ノ丸より引取申候
      証人合申候

一、香山与助
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸ニて鑓を合突き伏申候 其後手Þ峰手負引取申候
      証人合申候

一、服部武右衛門
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸ニて鑓を合壱人討捕申候
      証人合申候

一、山内三太夫
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸ニて鑓を合壱人突たおし申其時鑓手三ヶ所鉄炮手一ヶ所負引取申候
      証人合申候

一、荒木彦大夫
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸ニて鑓を合高名仕候 夫より組頭ニ追付組頭一所に罷居申候
      証人合申候

一、小崎二郎左衛門
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸ニて鑓を合高名仕候 夫より本丸石垣下に著申候
      証人合申候

一、寺尾求馬
  一、二月廿七日有馬原之城二ノ丸ニて鑓を合高名仕候 夫より組頭一所ニ本丸ニ著鉄炮手負引取申候
      証人合申候

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