「歌仙幽齋」 選評(十六)
吉野山すず吹く秋のかり寝より花ぞ身に沁む木々の下風
春部「吉野にて人々に代りて」と題せる八首の中。少しく手の込んだ歌である。吉
ささ
野山では、小竹(篠)を秋風が吹く頃の旅寝よりも、なかなか以つて、櫻花の盛りの時
の方が身に沁みてわびしい、その花を吹く梢の風の下に宿つて。源三位頼政に、
今宵たれすず吹く風を身にしめて吉野の嶽の月を見るらむ
といふ秀歌あり、新古今集に載つてゐるが、幽齋はそれを本歌に取つた。さうして、
その秋よりも、春の方が更にわびしい、何故かといふに、花を散らす風が身にしむゆ
ゑに、花の散るのが惜しきゆゑに、と大分ひねくつたのである。近體、殊に二條流で
は、かういふ歌を上手と賞めるのである。
故郷を心かろくも出でやせむ世のありさまの秋の夕ぐれ
秋部「故郷秋夕」。我が故郷に、じつと怺へてゐもせず、なまじひに、心かろく、
輕率にも出てゆくことになりもしようか、斯かる世間の有様を見かねて寂しくもなる
秋の夕暮には、先づ、かやうな歌意である。これも本歌取で、
出でていなば心かろしといひやせむ世の有様を人は知らねば
といふ伊勢物語の一首を踏まへたのだ。業平の述懐は、世相のいまはしき堪へかね
て、世外に出て行かうといふのであるのを、幽齋は逆に取つて、山里におちついては
居られぬ、世狀が心がかりなるゆゑ、飛び込んで行かうと云ふのである。ここに、幽
齋の閲歴と此の一首とが關連を持ち、單なる題詠の秋夕では無くなるのだ。