津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■お正月休みモード

2021-12-26 16:07:55 | 先祖附

 昨日大掃除をして、年賀状を出し終えて、今日はすっかり気持ちが楽になりのんびりしている。
もっとも今朝は右足のこむら返りでぎゃっという目にあったし、身体があちこちこわっている。
男女の高校駅伝を見ながらチャンネルを切り替えていたら、昨年末観おとした、BSプレミアムの「赤色立体地図の解析で関ヶ原の戦いの通説が変わる!? 」再放送をやっていた。
関ケ原・玉城」に現地調査に入った城郭考古学者・千田嘉博奈良大学教授の解説や興奮ぶりも共に楽しんだ。
静岡大の小和田教授もこの城の詳しいことはご存知にないということらしく、出席者の興奮度合いがヒートアップしていた。
赤色立体地図はブラタモリでもお馴染みだが、森や建造物などを消し去って地山を見せているが、どうやってこんなことが出来るのやら、爺様の頭では到底ついていけない。
その結果山頂部が人工的にカットされた玉城の詳細が知れたということらしい。

              

こんなことで時間をつぶしていると私はすっかりお正月休みモードである。
しかしながら、熊本もオミクロン株の感染者が出たし、雪が降って急に寒くなったと思ったら又鼻かぜになったり・・・
年末年始の病院の御休みの間に、具合が悪くならないように気を付けなければならない。

(ちなみに、男子は九州学院が6位、女子は千原台高校が10位、よく頑張りました)

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(十九)

2021-12-26 09:10:21 | 先祖附

      「歌仙幽齋」 選評(十九)

 杣人のすみかとやいはむみだれ碁の音してふくる燈火の影

春部「山館燈」。圍碁の競技は堯舜の時代に創案されたといひ、更に遡つて印度から
傳來したともいはれるので、杣人碁を樂しむといふことは、非常に古くから想像せら
れた。晋の王質といふ樵夫、爓柯山で杣人の圍碁を見てゐた中に斧の柄が朽ちてしま
つたといふ話は、有名なもので、昔から支那の詩にも日本の歌にもよまれてゐる。こ
の競技の本邦へ傳來は吉備備に始まると普通うはれ、殊に、戰國時代に入つては戰
略の研究と圍碁の勝負と共通する所ありしとて、武人の間に流行した、信玄・信長・
秀吉・家康なども相當の腕前であつたらしい。多藝無比の幽齋も、必ずや強い打手で
あつたに相違ない。彼が臂力絶倫なりしことの一例として、碁盤で燈火の煽ぎ消した
話が傳へられてゐるが、座右にこの道具が置いてあつたのだらう。〇「みだれ碁」黒
白の石を置きまじへる故に斯くいふが、或は、石をくづす有様からさういふか、いづ
れにしても、ここでは單に圍碁の意である。この家は杣人の棲家とでも言はうか、か
やうに、しめやかに碁の音がしつつ燈火の光が更けてゆく。按ふに、この歌、幽齋自
身の家に於ける或夜の光景を敍したもので、他人の家を覘いての作ではあるまい。圍
碁を和歌に詠じたのは、古くは見當らず、これは新しい歌といひ得るであらう。


 西に移り東の國にさすらふもひまゆく駒の足柄の山
 
 雑部「思往事」。南征北伐の生涯に對する述懐で、武將の吟として實にすぐれてゐ
る。この一首は、小田原陣の際のことを後日追懐して作つた歌にちがひない。それで
ないと、肝腎の第五句が、駒の足といふ洒落に終つて、宙に浮いてしまふ。征戰に從
ひ足柄山を越えた時の感懐を元として、始めて一首が燦然と生動する。「西に移り東
の國に」云々、天正十五年には九州征伐に随ひ、同十八年には小田原征伐に從つた。
加之、さらに以前まで遡つて思ひ出せば、中國征伐にも出馬し、丹後征伐には奮戰し
た。武人は席を温める暇がない。「さすらふも」戎旅に東西南北する意味で、ここで

は零落流轉のことでないのは、いふ迄もない。幽齋はおちぶれてさ迷い歩いた經験を
持たぬ。「ひまゆく駒」云々、壯子に白駒の隙を過ぐるが如しと形容された歳月の
迅速をいつたのが、机の上の感想とちがつて、實際あわただしい武人の生活をした
幽齋なるが故に、この句も活きいきとして感じられる。殊に。「駒」の一字も、平凡
に見逃してはならぬ。幽齋は馬上の人なのであつた。くり返していふ、これは絶唱で
ある。かやうの作を衆妙集に十首ばかり欲しかつた。〇飛鳥井雅章の衆妙集跋文の中
にも、幽齋の一生を簡敍して、傳聞法印生部門亂生帷幕爲宅、金草爲衽、西
伐東征不寧處云々。

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