私は釣りというものは全く不得手である。
最近の朝散歩で、公園で日向ぼっこをしている数人の老人たちが釣りの話をしていた。
通りがかりの事ではきとしないが、「ようえ」ときこえる。どうやら松尾町の要江のことらしい。
ここは現在では百貫港として知られるが、もともとは要江と言っていた。坪井川と白川が流れ込む河口で、釣り好きの人たちが獲物を狙って集まってくるらしい。
坪井川をわずかに遡ると藩政時代に栄えた「高橋」がある。熊本城下への船便が坪井川と今では流路を異にする井芹川を上っていた。明治期には百貫電車が走り終点だったのだろう。
清正時代の熊本城の築城にあたっても、石材が水運によってもたらされたようだ。
この要江付近に盗人島があったらしいことが、「地衝き音頭」などでうかがえる。
「あら、えいとえいと」と一節ごとに合いの手が入り、私が幼いころまではあちこちの普請現場で見受けたものである。
この盗人島の場所を承知しないが、かって「灯台」があったらしい。島といってもその灯台を設ける位の岩場ではなかったのか。
「盗人島の帆掛け舟、大物かけて入る舟」とあるから、灯台をめかけて多くの船が行き来し、坪井川から高橋の方へ上っていたのであろう。
さきにちょっと触れた「御大工棟梁善蔵聞書控」やこの「地衝き音頭(永棟節)」などを深く研究がなされることを望みたい。