「歌仙幽齋」 選評(十八)
神の心いさみやすらむその駒になほ草かへとうたふ夜の聲
冬部「夜神樂」。宮中御神樂、毎年十二月吉日を選び、内侍所にて行はせられる。
夜の御行事とて庭燎を焚く。さて、その奏する神樂歌の中かも、
その駒ぞや、我に、我に草乞ふ、草は取り飼はむ、轡とり、草は取り飼はむや、
水はとり飼はむや
といふのをば、聞き給ひては、神さへも御心いさみ立ちたまはん、と武將らしく、勢
よく詠じたのである。題詠の紙樂の歌は古來多いけれども、幽齋の一首、その中に在
つて月並みではない。
山を我が樂しむ身にはあらねどもただ静けさをたよりにぞ住む
雑部「閑居」。論語雍也第六に子曰知者樂レ水、仁者樂レ山、知者動、仁者静、知者
樂、仁者壽。中村揚齋の論語示蒙句解に云、仁者はおのづから義理に安んずるが故
に、厚重にして、かれこれ、うつりつかず、山野安鎮に似たることあるによりて、こ
れをこのむなり、仁者の體段すべて安静にて常なり、云々。幽齋は山を樂しむ身に
あらず、仁者にあらずと謙遜しながら、やはり山の静けさを愛すといふ。按ふに、彼
は知と仁とを、又もちろん勇とを兼ね備へた人であつた。知と勇とは云ふ迄もないと
して、仁者なりしことも、彼の傳紀の處々から立證出來る。山に住むとは、形容では
なかろう。田邊の城山に永く住んだのは別としても、京都では吉田山麓に卜居した。
當時、鴨東の地は静かで、吉田も山里だつたのである。