津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■とほほな話

2021-12-10 09:07:08 | 書籍・読書

 全く同じ時期に、二件の同じようなものがヤフオクに出品された。それも隣同志に表示してあった。
私は左の方の「万延元年第一遣米使節日記」の方に応札するつもりで居たが、何を間違ったか「万延元年遣米使節航米記」肥後国史料第二巻 木村鉄太著を求めてしまった。手続きのあいだ中、全く気付くことがなかった。
私はこの本は箱なしの裸本を所蔵している。後の祭りで同じ本を二冊所有することになってしまった。
こうなると、本来求めようとしていた「万延元年第一遣米使節日記」を購入しようという気はすっかり失せてしまった。
うっかりは私の生来のものだが、歳のせいではないと思いたい。

       昭52「万延元年第一遣米使節日記」芝間嵩吉編 413P/336P 復刻 限定のうち167号       昭49「万延元年遣米使節航米記」肥後国史料叢書第二巻 木村鉄太著
         「万延元年第一遣米使節日記」芝間嵩吉編             「万延元年遣米使節航米記」 
         413P/336P 復刻 限定のうち167号                肥後国史料叢書第二巻 木村鉄太著     
           

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■肖像画

2021-12-10 06:53:54 | 徒然

 一昨日夕方のTVでは、八代松井家の当代・葵行(ミチユキ)様の祖父・明之(ハユユキ)様、父・祥之(ナガユキ)様の肖像画が地元の日本画家の手により完成しお披露目されたことを報じていた。
夫々裃を付けられた写真などが残っており、これを参考に仕、松井家に残る顔料を使って八代産の和紙に書かれたとの事である。
康之公以来15代の肖像画がそろったことになる。年に一回今の時期にまたご披露されるようだ。

 もう6~7年にもなろうか、友人で日本画家MTさんが「有吉立行公」の肖像画を復元されたことがあった。
有吉本家にあったその肖像画(御軸)は火事か何かで失われたようだが、写真が残されていてこれが提供された。
その考証が大変で裃の付け方、帯の結び方、また座られている疊座の種類(高麗べり)の文様をどうするかなど多岐にわたり苦労をされた。一々下絵を送りご当主と相談が繰り返され一年ほどかけて完成したように記憶する。
ご当主の御歓びは一方ならぬものがあった。

最近私は、10数年来追いかけていて、もう手に入れることはできないだろうと思っていた、「有吉将監」という本を手に入れた。
この本のページをめくっているうちに、思わず「あっ」と声を上げたしまったが、なんと全く同じ「立行公」の肖像画がそのお位牌と共に写真で紹介されていた。有吉家のものは失われていたが、複製かとおもわれるものが額縁仕立てで残存していたのだ。
これは現在・有吉立行(将監)公の墓所がある京都与謝郡の「浄見寺」が所有するものだが、この本の著者が提供されたものだという。失われた有吉家の御軸を写真撮影されたものではなかろうか。

 さて私は我が家に残る高祖父の写真をみて、此の頭にちょんまげを乗せて、羽織袴で正座した肖像画はできないものかと考えたことがある。先に記したような皆さんのご苦労を考えると、これは顰蹙(ひんしゅく)ものであろうと反省しきりである。

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■川田順著・細川幽齋「歌仙幽齋」 選評(八)

2021-12-10 06:49:16 | 書籍・読書

       「歌仙幽齋」 選評(八)

 君が代に高麗もろこしも隔てなく運ぶ心やみつぎなるらむ

 春部、對馬宗讃衆閑齋といふ人との贈答歌で、何年の事ともわかりかねる。又、閑
齋も對馬國守の一族にちがひないが、本名も知り難い。閑齋から、

 天が下なびきしたがふ大君にはこぶ御調をすすむ高麗人

と贈つたのに對する返歌である。宗氏は日韓の中間に在つて外交を取次してゐたのだ
から、かやうの場合は屢次であらう。幽齋のうた、「隔てなくはこぶ心」が貢物なの
で、必ずしも珍器財寶の多寡に關せずと云つたところが宜しい。兩國の關係は、まさ
にさう有らねばならなかつた。贈答歌集にむしろ平凡の如くだが、當年の歴史を考へ
ながら讀むと、あながち捨てることはできない。


 瀧浪のおつとは見えて音せぬや花にまされるみかさなるらむ

 春部「文禄三年二月廿九日關白殿吉野の花御覧のとき人々五首の歌つかまつりける
に瀧の上のはな」。六十一歳の作。此年二月廿五日秀吉大阪城を出で、吉野に赴き、
前代未聞の觀櫻會を催す。歌會は廿九日のこと。歌の作者は道澄・秀吉・秀次・晴季
・親綱・輝資・家康・秀保・秀俊・秀家・利家・永孝・雅枝・正宗・常眞・幽齋・全
宗・紹巴・由己・昌叱と二十人あつて、公式一座。眞白に泡立つて瀧つ瀬の浪が奔り
落つるかと眼には見えながら、さ程にも浪の音のしないのは、落花が浮いて流れるの
だ、花で水景が増した如く見えるのであらう。美しくは詠めてゐるけれども、古來類
想の歌はある。「瀧浪」たきつ河内の宮瀧ではなく、吉野山中の渓流の早瀬を詠んだ
のであらう。

 吉野川たぎつ水泡の色そへて音せぬ浪とちる櫻かな(新葉集)

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