実は沢村脩蔵家の「先祖附」を私は読んでいないが、「*1 細川家家臣略系譜(川口恭子氏編)」と「*2 先祖附(永青文庫蔵)」は「=」であり、その先祖附の歴代は以下の如くである。
処が「*3 細川家主要家臣系図」(花岡興輝氏編)という史料を読むと、若干の差異が認められることに気付いた。
初代九兵衛は沢村大学の「弟の子」とあるが、*1では「弟の子」も大学の養嗣子の宇右衛門友好の子供として扱われている。
即ち友好の嫡男・友雅が「沢村家嫡家」、二男・友久が「宇平家」、三男・友貴が「孫七郎家」であり、吉重の弟・九兵衛の子・友秋(重時)も「■男」の表示はないが宇右衛門友好の子供として扱われている。
さて沢村脩蔵家については、以下の如く1~6代が紹介されているが、「*3系図」においては2代目武兵衛も宇右衛門友好の子供として扱われているが、これは九兵衛の息らしい。
この系統3~6代については系図では省略されているが、*1においては、本家七代衛士弟・九兵衛が7代目として登場しているが、「*3系図」では本家七代衛士の分家の初代としている。
6代・九郎兵衛が7代・太郎平を養子にしたという訳だが、大学吉重弟の家系を、吉重養嗣子の宇右衛門系が継承したという事になる。
目くじらを立てるような話ではないが、*3において、なんとか2代武兵衛と7代太郎作をつないでもらえば理解が早いと思うが故である。
■ 沢村脩蔵 【丹後以来】 (南東46-5)
1、九兵衛(大学吉重弟の子) 三百石
2、夫(武)兵衛
3、源四郎
4、九兵衛・重長(初・重張)
5、武兵衛・元長(初・土之允) 三百石 御番方十二番
6、幾平(九郎兵衛) 御使番 三百石
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7、太郎平(本家七代衛士弟 九兵衛、九郎八・正氏)
8、又作(九兵衛、太兵衛・正常)旧知三百石
9、宮門 旧知三百石
10、脩蔵 木下伊織組御番方一番 四百石