津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■昔も今も・・世知辛い

2022-11-02 09:07:19 | 徒然

 毎日/\値上げのニュースが聞こえてくる。
上がりようが半端でないから、奥方は何か買ってくると「これが幾らヨ」「こんなに量目が減って」と悔やむことしきりである。
ティッシュペーパーの箱は本当に薄っぺらになったし、ケチャップの瓶なども丈が2/3程になっていて驚いた。
水道・光熱費などは本当に補助をいただきたいものだ。贅沢物はもういらないし歳になったが、段々食も細くなってきたとはいえ、いよいよ辛抱をしなければならないぞ・・・・。

 句集を見ていたら、芭蕉の弟子の森川許六という人の句に 十団子も小粒になりぬ秋の風 という句が有り、いつの時代もこんな手を使っていたのだなあと、思わず笑ってしまった。
東海道の宇津谷峠の茶店では、鍋の中から十個の団子を一掬いにして売っていたという。いつの時代も世知辛いと解説してあった。

  年の暮れともなれば 寒風の強きに世渡りしかねけり 津々 となりそうなご時世である。

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■御侍帳・家紋から考える(54)

2022-11-02 07:12:30 | 家紋

        

               新・肥後細川藩侍帳【さ】の部

■斎藤又大夫は、(南東45-6)斎藤勘助家の8代目・又大夫(勘助)1,200石。家紋は「地紙に木瓜紋」

斎藤三郎は、(南東47-13)斎藤権之助家の7代目郡代などを勤める。父は斎藤芝山。家紋は「桔梗紋」

斎藤新左衛門は、「細川家家臣略歴」に名前が見当たらない。家紋は「丸に剣付片喰紋」

佐藤仙九郎は、(南東45-2)佐藤仙右衛門家の7代目・仙太郎(仙九郎)か。家紋は「六つ丁子紋」「反り菱に菱入れ子紋?」

佐藤寿八は、(南東45-16)佐藤七之助家の7代目。家紋は「二つ左巴紋」

佐藤鼎助は、(南東45-14)佐藤作丞家の8代目。家紋は「隅切り立角に■■」

佐藤勝之助は、(南東45-28)佐藤勝太郎家の4代目、郡代などを勤めた。家紋は「隅切り平角に毬挟み紋」

佐野次大夫は、(南東47-4)佐野亥一郎家の7代目か。家紋は「丸に違い鷹の羽紋」「梅鉢紋」
佐野左大夫は、(南東45-4)佐野権之助家、左大夫名乗りの人物が多く人物特定は出来ない。家紋は同上

佐田造酒助は、(南東47-8)佐田彦之助家の8代目・右十(造酒助)。名は英景、右州と称し、造酒之助と改む。食禄二百五十石、小姓役、使番、中小姓頭
      小姓頭等を勤む。多芸多能のひとにして俳辭、散楽、蹴鞠、茗理、篆刻、種樹等皆能くせざるはなし、又頗る剣技に長ぜり。
      文化十四年十二月五日没す。享年五十九。家紋は「左三つ巴紋」尚息・右平は奉行職を勤めた。

佐分利権平は、(南東45-3)佐分利加左衛門家の8代目・加左衛門(権平)文政三年八月(三拾挺頭)~文政七年九月 鉄炮五十長頭・後比着座ニ転。
      家紋は「   」「左一つ巴紋」
佐分利吉左衛門は、同上分家、(南東47-11)佐分利吉十郎家、同名が多く人物の特定が出来ない。家紋は「隅切り平角に■■」

佐分利運平は、(南東47-12)佐分利次郎兵衛家は7代目。家紋は「三つ扇紋」

佐分利平八は、同上分家、(南東47-10)佐分利彦右衛門家、6代8代が同名で特定できない。家紋は「片喰紋」

佐々次郎右衛門は、(南東45-20)佐々少左家の7代目・保(次郎右衛門)か。家紋は「角五徳紋」

佐々源大夫は、佐々成政の姉の子孫、(南東45-21)佐々陸助家の4代目・源大夫(勘兵衛)。曾孫に佐々干城・友房などがある。家紋は「蛇の目紋」

佐々布仙助は、佐々布貞之允家の5代目・岩太(八右衛門・仙助)か。家紋は「 不詳  」

佐々布八助は、(南東45-23)佐々布又三郎の8代目。家紋は「 不詳 」「隅切り平角に六つ星紋」

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