津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(58)

2022-11-12 08:53:48 | 家紋

                       

                                  新・肥後細川藩侍帳【ゆ】の部

■弓削平八は、(南東48-30)弓削 新家の7代目、番頭などを勤めた。家紋は「隅切り立角に風車紋」

■弓削勘十郎は、同上分家(南東48-31)弓削友助5代目。家紋は「隅切り立角に三つ星紋」  

■弓削太郎右衛門は、同上分家(南東48-32)弓削文吾家の9代目。「隅入り平角に■■文字紋」「隅入り平角に左三つ巴紋」

■湯池龍彦は、(南東48-33)湯地一二家の6代目。家紋は「丸に■■紋」「   」

■幸(ゆき)円助は、(南東48-34)幸 準蔵家の3代目・圓助。家紋は「隅入り立角に三つ星紋」

                                  新・肥後細川藩侍帳【み】の部

■宮島丈助は、(南東49-22)宮嶋平三家の2代か。家紋は、「隅切り平角に左二つ巴紋」

■三渕栄次郎は、細川幽斉実弟・長岡伊賀守好重を祖とする(南東49-1)三渕永次郎家の10代目・永次郎・澄瑞(実・八代澄盈子 志津馬・十左衛門)
      5,000石で備頭大頭・中老などを勤めた。家紋は石に鶺鴒紋「撞木十字紋(桛久留子)紋」 

■三宅栄蔵は、明智光秀の女婿・弥平太秀満(明智左馬之助・光昌)を遠祖とする、初代はガラシャ夫人の甥・藤兵衛、(南東50-1)三宅平太郎家の8代目・英蔵。1,500石で番頭を勤めた。家紋は「丸に三つ引き紋」「剣細桔梗紋?」  
■三宅八郎右衛門は、同上分家(藤兵衛二男家)、(南東50-2)三宅新十郎家の8代目。家紋は「丸に三つ引き紋」「隅切り立角に丸に三つ引き紋」?

■三野嘉右衛門は、(南東49-6)三野新弥家の6代目・次郎(嘉右衛門・四郎左衛門)。家紋は「五ケ木瓜に左三つ巴紋」「隅立平角に竜胆紋」

■三池善大夫は、(南東50-13)三池丈平家の7代目・貞八(善大夫・仁左衛門)。家紋は「組み合わせ角に杏葉紋」
■三池源十郎家は、同上分家(南東50-14)三池丹治家の6代・勇之進(源十郎)。家紋は「隅切り立角に杏葉紋」

■三牧小仲は、(南東49-12)三牧孫七家の5代目。家紋は「隅切り平角に■■」

■三井新助は、(南東49-9)三井弥内家の5代目。家紋は「隅切り平角に梶の葉紋」

■三浦新五兵衛は、(南東49-4)三浦平衛家の6代目・大八(新五兵衛)。家紋は「丸に三つ引き紋」

■三重平大夫は、(南東49-8)三重 茂家の初代が平大夫を名乗っているが、該当年代に該当者がいない。(再考)
      家紋は、「隅切り立角に二つ石紋」

 

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■力の合成と分解

2022-11-12 07:30:20 | 徒然

 肩の痛さに悩まされ続けている。
これが長くなってくると、建築を生業としている者として、いろいろ気付くことがあって、肩関節に架かる重力と角度が関係しているなと思うに至った。
もう20年ほども前の事だが5~6年間、ある資格講座の講師を務めたことがある。
その一つに「インテリアコーディネーター」があったが、「人体各部の重さ」があったが、これは何かしら試験問題に出ていた。
これを覚えておくと、例えば椅子の座面に架かる重さを知ることが出来るという訳だ。
「二の腕・腕・手」(片腕)で約8%だとされる。頭も同様だが、私は「ううあたま(大頭)」だから、この法則は当てはまらない。
つまり私の体重からすると6㎏だが、この重さが重力となって腕を引っ張っていることになる。
散歩で腕を振って歩くなど言語道断で、ズボンのポケットに手を突っ込んだり、右手で左腕を抱え込んで歩かなければならない。
夜はと言えば、肩を支点になにがしかの重さがかかっているから、是を0にするために。腕をなるべく水平に保つ必要がある。
中学校で習う「力の合成と分解」を頭に思い浮かべながら、毛布を左腕の下に引っ張り込んで、台にするという作業を毎晩やっている。

大袈裟な事とお思いだろうが、これで私の肩痛については説明できそうである。
もっとも腕や手に「痺れ」があるのは、なんとも説明がつかない。あと何ヶ月つづくのか・・・・地獄を味わっている。

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