津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■名句鑑賞「季語なしの名句」

2022-11-16 09:55:13 | 俳句

            田圃から見ゆる谷中の銀杏かな  子規

 子規にこんな句がある事を知った。口に出して読んでみると「銀杏=いちょう」であろう。
眼前に広がる風景の中に大きな銀杏の木が見える。ここでは銀杏の木の状態は伺えない。冬の木立なのか、早緑の葉をつけた頃なのか、黄色の葉にみちた大木なのか、木の周囲に風に落ち葉が舞い厚い黄色いじゅうたんが敷き詰められているのか・・・・
つまりこの句は「無季」俳句である。読む者にその風景を連想するように促しているようにも思える。
田圃も霜柱の立つころなのか、田起こし前の蓮華の花の絨毯の頃なのか、大木を水面に移す田植え前の水が張られた時期なのか、田植えの跡の風にそよぐ稲穂の成長をも連想させる。
秋になって稲穂が黄色に頭を垂れるころ、銀杏も同様黄色に映えて、稲穂と溶け合い競い合っているのかもしれない。
そう考えると壮大な幾つもの組み合わせの季節の移ろいを想像させる。
季語としては、「いちょう=無季」「ぎんなん=秋」とされるが、正岡子規のこの無季の句は大傑作だと思った。

 さてこの銀杏の木は、谷中墓地の大銀杏ではないのだろうかとふと思ったが如何だろうか。
いずれにしても子規が生きた時代、まだ江戸の情景が残されて居たろう。そんなことまで連想させる。

 

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■宇土細川家借銀に関する一札

2022-11-16 06:49:11 | 史料

 かって■久しぶりの古文書落札を書いたが、競いあって落札した事もあって、当時は写真を公開することを控えていた。
相当の時間も経過したので内容を確認しながらご紹介したいと思っている。
現物は275㎝にも及ぶ文書で、安永五年(1776)宇土細川藩が大阪商人から、返済中の借金・五千両に加えて銀300貫を借り入れたく、主たる藩士21名の連署による借入願の文案ともいうべき一札である。
宛名は永瀬七郎右衛門・木屋卯兵衛とあるが、前者の先祖は肥後の浪人で天正年間大阪へ出て其後財を成したらしく、材木商「木屋」の名をもって商売は隆盛を極め、大阪北組惣年寄などの要職を勤め、大坂横堀の開削などにも尽力して永瀬姓を拝領したとされる。木屋卯兵衛についてはよく判らないが番頭か?。
文章が長大であるため5~6回に分けてご紹介する。登場する細川和泉守とは、宇土藩主細川立禮(タウヒロ)である。
天明七年(1787)には細川宗家において、義兄・治年の遺蹟を相続して齊茲となった。

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                                                              一札

              一細川和泉守勝手向大坂表ゟ仕送り方之儀者
               各存知之通用在之者共ゟ致出金年々無滞
               以廻米勘定相濟來候 然所於国元借物之分
               品能相建候様之以對談夫々相濟付候 次者此上
               臨時出方之手當等致出来大益之筋も有之候

               依之右之通是迄相定り有之候用達仕遣り方
               之外ニ今般別段之訳を以金子五千両随分軽キ
               利足相極十三ヶ月限り弁積りニ而致借用
               度候ニ付調達方各江相頼申付候 尤口之借入
               引當等之儀者大坂表此方蔵米正切手買持
               之者江右口之金子借請為引當此方蔵米
               正切手其時之米直段ゟ三俵ニ付拾分引之割
               を以石数為相渡 尤右正切手者此方ゟ賈渡候
                     (つづく)

    

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