田圃から見ゆる谷中の銀杏かな 子規
子規にこんな句がある事を知った。口に出して読んでみると「銀杏=いちょう」であろう。
眼前に広がる風景の中に大きな銀杏の木が見える。ここでは銀杏の木の状態は伺えない。冬の木立なのか、早緑の葉をつけた頃なのか、黄色の葉にみちた大木なのか、木の周囲に風に落ち葉が舞い厚い黄色いじゅうたんが敷き詰められているのか・・・・
つまりこの句は「無季」俳句である。読む者にその風景を連想するように促しているようにも思える。
田圃も霜柱の立つころなのか、田起こし前の蓮華の花の絨毯の頃なのか、大木を水面に移す田植え前の水が張られた時期なのか、田植えの跡の風にそよぐ稲穂の成長をも連想させる。
秋になって稲穂が黄色に頭を垂れるころ、銀杏も同様黄色に映えて、稲穂と溶け合い競い合っているのかもしれない。
そう考えると壮大な幾つもの組み合わせの季節の移ろいを想像させる。
季語としては、「いちょう=無季」「ぎんなん=秋」とされるが、正岡子規のこの無季の句は大傑作だと思った。
さてこの銀杏の木は、谷中墓地の大銀杏ではないのだろうかとふと思ったが如何だろうか。
いずれにしても子規が生きた時代、まだ江戸の情景が残されて居たろう。そんなことまで連想させる。