津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(60)

2022-11-19 07:22:22 | 家紋

                           

                新・肥後細川藩侍帳【み】の部

■右田庄之助は、(南東50-10)右田 徹家の7代目、弘化四年一月(小姓役)~嘉永五年八月(病死)用人。家紋は「丸に五つ木瓜紋」

■右田三郎助は、「細川家家臣略系譜」に名前が見えない。家紋は「丸に扇紋」
■右田源太郎は、             同上

■水野駒之助は、(南東50-18)水野 傳家の7代目・駒之助(善左衛門・久左衛門)。家紋は「寛永通宝紋」「細丸紋」■水野八左衛門は、(南東50-20)水野治平家の8代目・八左衛門(九左衛門)。家紋は「寛永通宝紋」「違い角紋」

■水野清左衛門は、(南東50-19)水野傳作家、5代・6代が同名で人物の特定が出来ない。家紋は「三つ二階菱紋」

■水野養庵は、御医師(南東57-29 医)水野大有家の5代目。家紋は「丸に沢潟紋」   

■水足勘助は、(南東49-20)水足勘十郎家の5代目・左太吉(左助・勘助)。寛政十二年八月(御側取次)~文化九年十二月 用人。
       家紋は、「隅切り平角に七宝紋」

■水足五郎兵衛は、(南東49-10)水足五市家の5代目、名は至房、黒石村の人にして、藩に仕へ物頭列となる。山林仕立方を以て功績あり。
       家紋は、「名前不詳」

■水谷数太は、(南東49-14)水谷三郎平家の7代目・数太(孫右衛門)。家紋は、「鉄炮角に三つ引き紋」「下り藤紋」  

■水橋五郎大夫は、御船頭 (南東58-18 船)水橋亥熊家の5代・もしくは7代目、同名で特定できず。
       家紋は、「丸に三つ引き紋」「木瓜紋」

■蓑田祐吉は、【丹後以来】(南東49-3)蓑田軍八家の10代目・祐吉(甚之允)。家紋は「矢筈紋」   

■美濃部亀平は、「細川家家臣略系譜」に名前が見えない。家紋は「丸に違い鷹の羽紋」

■三浦太郎左衛門は、(南東49-21)三浦九郎家の5代・もしくは7代目、同名で特定できず。家紋は「丸に三つ引き紋」

■三苫茂助は、(南東49-17)三苫苫三家の5代目、家紋は「隅切平角に丸紋」

■南 両右衛門は、(南東49-16)南 斎家の2代目。家紋は記載なし。

              新・肥後細川藩侍帳【し】の部

■清水縫殿は、細川綱利の生母・清光院の父・清水道是を祖とする、(南東52-1)清水九郎家の6代目か。4,000石、
       文化七年十二月~文化九年十二月 備頭大頭、文化九年十二月~文政五年一月 大御目付、文政五年一月~文政五年八月 備頭大頭を勤めた。
       家紋は「隅切り平角に井桁紋」

 

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