宇土細川家4代・興生の奥方は、水戸徳川家・頼房公の四男・頼元(水戸光圀弟)の息・大学頭頼貞女である。
本家の細川綱利室は松平頼重・水戸光圀の妹・本源院、頼重の養女となり綱利に嫁いだ。
綱利の嫡男・與一郎も水戸家養女(益姫)との婚約が結ばれたが病没すると、次男・吉利との婚約が結ばれたがこちらも結婚前に吉利が死去するなど不幸が続いた。
この様に細川本家家・宇土細川家は水戸徳川家御家門と深い姻戚関係がある。ただし、細川家の男系には徳川の血は留まっていない。
讃岐高松藩・初代
+---頼重---+--綱方(水戸本家継嗣子)
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| +--綱条(水戸本家継嗣子)
| | 二代 三代
| +===頼常---頼豊
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| +====*本源院
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| 細川綱利ーーーー+ーーー*與一郎
水戸 | |
頼房---+--●光圀---+===綱方 +ーーー*吉利
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| +----頼常(松平頼重継嗣子)
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| +===●綱条========*益姫
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+-------頼元-------大学頭・頼貞-----女・世与
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| 細川興生
+----*本源院(兄・頼重養女)
さて、松平大学頭頼元は娘の嫁ぎ先である宇土細川家の知行を高増しを本家の綱利に申し入れたという。
これを受け綱利は加増を決意し、家老の木村半平の許へ申し入れるよう頼元に申し伝える。
頼元は木村半平に直に申し入れている。以下の顛末については「肥後先哲遺蹟」の木村秋山(半平)の項から引用する。
大学頭様より松月院様(半平)御招成れ候て、右の趣御相談に及ばれ候へば、松月院様御不承知の旨、御返答
成れ候に付、大学頭様は重て國許の國役中へも取遣に及ばれ、御返答有之様に仰られ候處、松月院様、猶又承
知不仕候と、仰放され候に付、大学頭様、以の外御立腹の御様子にて、兎角の御挨拶も無御座、御入成され候
に付、松月院様にも、直に御退出成れ候、其後何の御沙汰も無之由
半平に対して綱利の本意がどのようなものであったのかは判らない。この奥方は27歳で死去されているが、女子が一人あり京極家に嫁がれた。