「愛染院」の名で知られる宝聚山 愛染院 東長寺は、高野山真言宗の寺院で、細川忠利が肥後入国に当たり小倉より
宥伝和尚を招聘して開基祈祷所とした。
熊本城から新堀橋を渡るとすぐ左手(熊本市中央区京町1丁目2番36)にある。
1、国友家 国友儀兵衛家(南東33-9)
1、松岡久左衛門之墓
右仕寄番之内、或夜余寒甚敷風つよく有之候ニ、松岡久右衛門生膚に甲冑を帯し、
当番にてふるひ居候を、門司源兵衛是を見て、拙者ことき若者さえ下着を用、寒気
を防ども堪かたきに、老人のふるまひを見て恥入候也と云けるを、久左衛門聞て甚
悦ひ、御存之通七十に余り寒気を好、如此の事二ハ無之候、平成高禄を貪、殊に
大勢の組をもあつかり、何の奉公も不仕候へハ、幸の死時と存候也、今にても城乗
といわむに各のことき壮勇の輩ハわれ先とすゝミ入らんに、老体中々及かたき事必
然也、責てハ少にても身をかろくせんため寒気をたへて如此也と云けれハ、門司甚
感心し、二十七日城乗の時ハ松岡を目当としてすゝミ手に合、松岡ハ組を励し、本
城の下にて鉄炮に中り死す、此松岡勇名高き事、三斎君被知召、慶長六年豊前にて
被召出三百石被下、弓足軽廿人忠利君より御預ヶ被成候(綿考輯録・巻四十五)