漱石夫人鏡子氏の「漱石の思い出」をよんでいると、結婚式を挙げしばらく住まいした「光琳寺の家」が出てくる。
裏がまさしくお墓であったため、是を嫌がって三ヶ月ほどで転居している。
鏡子夫人の語るところによると「なんでも藩の家老か誰かのお妾さんのいた家とかで、ちょっと風変わりな家でした」とある。
ご厚誼いただいているサイト「徒然なか話」には「光琳寺の家」に写真が紹介されている。
鏡子夫人はさらに「玄関のとっつきが十畳、次の間が六畳、茶の間が長四畳、湯殿、板蔵があってそれから離れが六畳と二畳とこういう間取りです」と説明している。
その「離れ」で式は催されたらしい。
板塀で囲まれた庭付きの結構広い家のようだが、日差しを遮るためか深い軒をめぐらした「ちょっと風変わりな」家という感じは大いにする。
読み進めていくと、先住人の「お妾さん」は不義をしてお手打ちになったそうで、「なんとなく不気味な家」ということらしい。
こんな話を聞くと、手打ちをした御家老とはどなただろうと思うのだが、これは何とも闇の中である。
そこで転居したのが「合羽町の家」だが、こちらは建って間もない家なのに「がさつな家」だったそうだ。
そう書き残されると、少々鏡子夫人にも家主さんにも「申し訳ない」と思ったりする。
枯れ菊のやや色残す垣根かな 津々
一昨日年賀状を出し、図書館に本を返しに出かけて、昨日は某家の先祖附の原本の写並びに読み下し文を何とか年末にお届けしようと発送、これで私の年末の仕事もガラス拭きを残すのみとなりました。
近所のスーパーマーケットに別に用事もないのに入って、何となく年末の雰囲気を味わいました。
人の列に身を置いてみる年の暮れ
私がひそかに、地元のアビーロードと思い込んでいる通りがあります。
4人そろって誰かが歩くということもないのですが、今朝は落ち葉が走り回っていました。
寒の朝 アビーロードは落ち葉かな
早めにガラス掃除を済ませ、のんびりの歳末を過ごすことにしましょう。