津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■今日の7時17分は・・・

2023-12-24 08:30:04 | 熊本

 今日の熊本の7時17分と言えば日の出の時刻で、今日もお天気が良く寒さも少しは和らいで感じられることだろう。
今年もあと一週間、図書館に借りた本を返し、年賀状のあて名書きをし、ガラス掃除をして大みそかに御飾り物をすれば、私の今年の仕事は大方終わりである。
体調もマアマアではあるが、相変わらず足がつったり、左肩は痛くて上がらないし騙し/\で使いこなしてきた。
こんな具合だと、あまり長生きは出来そうにないなと思いながら、「新・細川家侍帳」を完成させねばと焦りまくっている。

 今日の7時17分、偶然だが日の入りの時刻でもある。
数日前の寒波以来、夕食が気になって仕方がない。何か暖かいものが良いな、毎日鍋でも良いよと奥方に行っているが、そうもいくまい。
私は、最近温かいご飯を食べないから、副食のみで過ごしている。
おかげで体重も落ちBMIの数字も25以下となって、少々スマートになったが、あまり痩せると病人に間違えられそうだから、程々がよかろう。
肝休日も設けて、摂生にこれ努めているが、最近は体を温めようと寝酒の量が増えたりもしている。
今日は、本棚から取り出して山になっている本や資料を、元の位置に戻そうと思っている。
天気も良いし、クリスマスのケーキでも買いに出かけようかとも考えている。

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■耇姫様ご逝去

2023-12-24 06:57:42 | ご挨拶

 細川齊茲公が隠居後の65歳の時のお子である。本山御殿でのお生まれだが、200年ほど前の今日、3年10ヶ月の短い人生を閉じられた。
そのお姿がいかにも愛らしく、急逝のご様子が下記のように書き残されているが、今は泰勝寺の齊茲公のお墓に寄り添うように小さなお墓が設けられている。

               

          一耇姫様御病氣之處、御養生無御叶今暁被成御逝去、奉絶
        言語候、依之諸事穏便可被相心得候、此段觸支配方へも
        可被達候、以上
          十二月廿四日           奉行所

 (文政九年=1826年)十二月廿三日ハ、殊に風もなく時渡りけれバ、余り能キ日和にて、何方へぞ参り度キと人々申シけれバ、おのゝ様(神仏)江参らふと仰セあり、只今より入せ給ふやと問ヒ奉れバ、あつた(明日)参るとのたもふ。御膳も常の通りに御上りあり、御夜食ハ七ツ過ぎ(午後六時過ぎ)に上らせ給ひしが、毎もより少し進ミ兼ネ給ひながら、さして替らせ給ふ御気色もましまさず、此ノ日はいろいろふしぎなる事ども仰セあり、七ツ時過ぎる比、御祝の間の雨戸しめける折、君いだかれ給ひて御出あり、地震戸をあけさせ給ひて、暫しが程外面を御覧あり、さあもふよしとのたまひて御部屋に帰りましまし、いまだ日も高かりしに、早ふまっく(真っ暗)に致セと仰セありて、人々を急がし戸をしめさせ給ふ。毎月の通り、今宵も御神前にて、おとなしやかにしばらく御拝あり、夫より御部屋に帰り給ふ。
 去りし御不例の後は乳をバ上り給ハざりしかバ、御床に入らせ給ふまへに葛湯を御上りあり、今宵は倉子(生母)にいだかれ給ひて、御心よく御遊びあり、常にハかゝる事をバなしたまわざりしが、いかゞ思しけん、乳をさぐりて御したしみあり。扨、かしづきの人添寝し奉るに、御足ことなふひへ給ひしかば医師に伺せ奉りしに、少し熱あらせ給ふよしなり。もがさにやあらせ給わんと、いづれも気遣ひ奉る。御薬きこし召て、またまた御寝ならせ給ふ御気しきなりしが、子の刻(午前0時)ばかりに、俄にふさがせ給ひしかば、大殿を初め奉り驚き騒ぎて御薬御灸など手を尽し給ひしがども、其ノしるしも見へたまわず、天よりなせる命数ハ人力の及ブべくなく、其ノ暁、子の下刻(御前二時)ばかりに終にはかなく成らせ給ふ。
 大殿の御嘆きハ云うも更なり。しばしが間にかくならせ給へば、人々も只夢の心地してまどひあへり。此時の御事ども委しく書留メ奉らんも、今更せまりて筆を立るに忍びず、扨止みぬ。

    

コメント (2)
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