熊本藩年表稿 細川藩政史研究会編 熊本県 熊本大学附属図書館 1974 単行本 郷土本 郷土史 歴史 日本史 年表
0034572 松井佐渡守 広瀬莞爾 明治44年 松井康之 細川忠興 大分県速見郡
こんな本の存在自体を知りませんでしたから大変興味深いのですが、寄之公?興長公?どちらの事でしょうか?
0034572 松井佐渡守 広瀬莞爾 明治44年 松井康之 細川忠興 大分県速見郡
こんな本の存在自体を知りませんでしたから大変興味深いのですが、寄之公?興長公?どちらの事でしょうか?
「堀内傳右衛門覺書」から 忙しい細川家の一日をたどる。
一浅野内匠頭様御家来十七人御預之節、右之輩請取に被遣候砌、我等迄も被指越候、其後御預中、林兵助・村井源兵衛・我等共三人、
御附置被成候故、當番之刻、十七人之衆へ、心易物語申候、我等咄合覺之通書附置候間、折々見可被申候、最同名共且又他之衆中
も、望次第實體之志有之候はゞ、披見に可被入候、惣體今度之一巻、むさと諸人に咄申さぬようにとの事、
一元禄十五年午の十二月十五日、月次 御登城被遊候處、於 御城浅野内匠頭様御家来之内、拾七人御預之旨被 仰渡、芝泉岳寺え、
御侍中請取に被遣候段、従 御城、藤崎作右衛門上屋敷御使者に被参候、我等折節當番にて、町屋敷え罷出居申候、定て御人數之
内にて可有之と存、直に同名平八方にて認等いたし、直に罷越、十五日未の刻前、上屋敷に罷出候事、
一三宅藤兵衛・鎌田軍之介・平野九郎右衛門・横山五郎太夫・堀内平八・匂坂平兵衛、右之衆中裏附上下、物頭、御小姓組迄は、羽
織袴着、芝御屋敷へ被参候、物頭皆共迄は、羽織裁付に而候事、左の人数
三宅藤兵衛・鎌田軍之介・平野九郎右衛門・横山五郎太夫・志方彌次兵衛・原田十次郎・牧 七右衛門・須佐美九太夫
匂坂平兵衛・富島伊兵衛・堀内傳右衛門・林 兵助・池永善兵衛・寺川助之丞・本庄喜助・吉田孫五郎・氏家平吉
澤 庄兵衛・堀内五郎兵衛・竹田平太夫・石川源右衛門・田中隼之介・池辺次郎助・横井儀右衛門・宇野彌右衛門
下村周伯・原田元澤・木村權右衛門・關 彌右衛門・郡 次太夫・堀内平八・野田小十郎・村井源兵衛・松浦儀右衛門
塚本藤右衛門・魚住惣右衛門・服部番右衛門
此外にも有之候儀哉覺不申、歩御小姓も参申候得共、夫々名覺不申候、
一足輕百人余、駕十七挺、外に用心駕五挺、人數都合七百五十四人と承り申候、
一御知行取不残馬にて、御屋敷より罷越被申候、芝御屋敷表御門前にて、芝御屋敷詰に出合申合せ、泉岳寺え参申筈之處に、様子替り、
仙石伯耆守様御屋敷にて受取申筈に成り、彼御屋敷愛宕下に参候、此方様御人數は愛宕下細川和泉守様御屋敷に参り、御門内には侍
中斗入候て亥の刻邊に伯耆守様御屋敷に何も参り候事、此方様え之御預衆を、一番に御渡し被成候、三宅・鎌田・堀内三人、御預り
之面々受取下さるべき旨被仰渡候、則伯耆守御前にて鈴木源吾左衛門様、水野小左衛門様御列座にて被仰渡候、其外は御門外に居申
候事、
一十七人之輩、伯耆守様被仰渡候者、夫々に書付を御よみきかせ、内蔵之介は御側近く被召寄、十七人は細川越中守え御預被成候間、
左様に心得候哉、乗物にて被遣候儀、いかゞ思召候とも、老人又は怪我人も有之、指向付添参申候ため旁乗物にて参り候へは、段々
被為入御念御事忝とたひ/\何れも被申候事
一十七人之衆、何れも駕に乗り、請取人は御門外に各夫々請取揃候て、御紋付の大提灯二ツ宛、自分提灯一ツ宛、駕一挺騎馬一人、歩
御使番一人宛付、御使番不足分は、歩御小姓相勤、尤手負怪我人も有之駕を静に、細川和泉守様御門前より、松平隠岐守様御屋敷前、
愛宕横丁に出、三島町筋より通り丁に出、芝伊皿子坂より目黒御門に入、役者間之御玄關より御廣間櫛形之次間より、ニ座敷に被居
申候、其夜はいつれも、先一つに着座有之候、尤道筋静に参り御屋敷え落付は、丑の刻過に相成申候事、
一右之面々を御渡之刻、乗物の戸窓なと明申者も候はゞ、其通に仕候て不苦被思召候、怪我人も候間、道も静に参り候様にとの事故、
堀内傳右衛門と申者、付添参候、何ぞ御用も候歟、乗物戸など明け申たく思召候はゞ、被仰聞候へと、歩行之者へ申させ候事、
一太守様早速御出被遊候、受取人數も其儘居申様にとの儀にて、其所に罷在候、扨十七人え御意之趣には、扨各今日之仕方神妙に存候、
是に大勢之侍共差置候にも不及事何とやらんおこかましく候へ共、公儀に對し差置候間、皆々左様に御心得何ぞ相應の用事承候得と、
番之御家来共之方を御覧被遊、最早夜更候間、先早く料理を給被申候様にとの仰にて、御入被遊候、いつれも忝奉存られ候體に見え
候、夜更まで御待被遊、早速御對面被成候事、いつれも後々まて有かたかり被申候事
一其夜其儘御對面被遊候は太守様迄と承り、残御三人御衆は以後に此方様御聞合被成御逢被成候由、