今日は12月14日は「赤穂浪士討ち入り」の記念日とされている。実際「今朝討ち入りは終わったんだよね」と思っておられる方が多いのではないか。実は違う。
細川家に残る「御預人記録」によると「元禄十五壬午年十二月十五日暁七つ(午前4時)時分、浅野内匠頭殿家来之浪人四十六人、吉良上野介殿本所屋敷え押入、上野殿并出合候家来討果之(以下略)」と記されている。
赤穂浪士が上野介を討ち取って泉岳寺へ引き上げる途中、旧浅野家付近を通っているが、一行は隣接する丹後宮津藩・奥平家藩邸の門前で家臣の桜井惣右衛門から不審に思われ誰何されている。
桜井はその状況を書き残しているが、その冒頭に「旧冬十四日の晩、吉良上野介殿屋敷へ、浅野内匠頭殿家来衆四十七人押込、日頃の本望を遂げ、十五日の朝六ツ過に御門前通り申候」とある。
この一文で分かるように、桜井惣右衛門の感覚では日が変わるのは「明け六つ(午前六時頃)」という認識であったから「討ち入ったのは14日で、引き上げたのは15日」だとしているのだろう。
つまり今日的感覚では、討ち入りは15日未明であり夜明け前に本望を遂げ、午前6時過ぎ頃奥平家門前を通過したということになる。
明日は「12月15日の細川家」を取り上げる。
私●藤が、〇藤さんと話をしていると、「藤原系といわれる、■藤と名乗る人間は(日本に)どのくらいいるのだろうか」という話になった。
「源平藤橘の内、唯一藤原の名前は臣籍降下じゃなかそうですナ」とも仰る。
〇藤さん曰く、「私は十把一からげのような〇藤という名字はあまり好きでない」と仰る。
「先祖ば遡ろうとしても、行き詰ってしまいました」とのこと。
私が、「我が家の元は磯部だったんで、藤原ではないと思うんですけど」というと「わ~それが良か・・」と我がことのように言われたのが印象深かった。
「磯部でもなかなか遡れません」というと、「あんま遡ると先は本当かどうか判りまっせんばい、何事もほどほどで良かですよ」とも仰った。
〇藤さんの息子さんは仕事の関係でヨーロッパ住まいが長かったらしく国際結婚をされたらしい。
現在は日本住まいで「嫁さんの血を引いたかわいい女の子ば授かり、いま大学1年生です」とのことで、かわいくて仕方がないらしい。
その孫娘さんが、今はやりの遺伝子検査Hapro2.0を試されたらしいが、なかなか興味深いものであったらしい。
私が「将来お婿さんも又ハーフかクオーターだったりして」というと、〇藤さん「いやもうよか・・我が家の子孫が日本人じゃなかごて成るかと思うと恐ろしか・・・」との答え。
「ほどほどがよかですか」と言うと「そぎゃんですたい」と言いながらも「先のことは判らんばってん」と笑われた。