「細川家家臣略歴」では気がつかないのだが、「肥陽諸士鑑」をみるとこの家の遠祖を、熊谷内蔵允直盛としている。
慶長五年豊後石垣原の戦いにおいて、安岐(アキ)城は城代熊谷外記が守っていたが、黒田如水の攻撃を受けて落城、外記も戦死した。この安岐の城主が熊谷直盛ある。細川家家臣・熊谷氏はこの熊谷直盛の孫・三郎右衛門直久を家祖としている。
ウィキペディアによると、次のようにある。
【熊谷直盛:豊臣秀吉家臣。文禄・慶長の役で軍監に任ぜられて活躍する。妻は石田三成の妹。
後に豊後国安岐城主15,000石。関ヶ原の役で西軍敗戦後、大垣城内で相良長毎らに殺害された。】
石田三成は妹婿の領地を、徳川家康が勝手に細川家に与えたことを大変いかったとされる。
そんな熊谷氏が細川家家臣となったという事も、歴史の不思議さを覚える。
豊後安岐城 www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_211.htm