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| 大庄屋初代
+-■興季 中村五郎右衛門
幼名與吉。母者天草伊佐津村金濱ノ城主、関主水之女也。法名、月山妙雲大姉。
寛永十二乙亥年七月十日卒。
家傳に云、右の関主水は、立家彦之進と申し候ものなり、若年の時分數度の軍功
有之しものゝよし。寺澤志摩守の手に属し、名を得たる武士なり。元和年中大坂へ
出陣いたし、終に不歸候に付、其女之なにがし、中村半太夫養育いたしてゐたりし
を宗專様被召寄、妾と被成候て一男子を生ませ給ふ。則ち與吉と名を御附被成候。
成長之後興季と名乗り申候。
謹而按ずるに、與吉と名を御附け被成候は、則ち與一郎忠興公の御子が與一郎
忠澄(ママ)公、二男與五郎興秋公なり。依之與吉、興季と御名乗を相成候ことゝ相
見え候。
一、又云、寛永十八年巳の春、興季を江戸より天草の大庄屋役に被仰付候。依之興季よ
り、其儀此度如此役儀を被仰付候へども、苗字無之候而は難相成御座候。某本姓は
何と申候やと、宗專様へ御尋申上候へば、我等が家其系圖等無之ものにて候間、何
なりと苗字は名乗り申候様にと被仰聞候ゆゑ、不得巳事、母の育叔父中村半太夫の
苗字を取り候て、中村五郎左衛門興季と名乗申候よし。
一、右之通寛永十八年に、江戸より大庄屋役被仰付候により、五郎左衛門を始め家僕近
隣のもの集り大悦び致し候を、宗專様被聞召候て、大庄屋役被仰付候とて、さほど難
有がり悦び申候事の笑止千萬よと、大いに御笑被成候事。
一、宗專様御臨終の時分に、右之通り忠興公之御二男のよし御咄に付、中村の名を改め、
長岡の長の字を取り候而、長野と改め申候。されども孫の宗左衛門興茂より、長野と
名乗申候事。□□松□英枝居士。寛文十庚戌年□月十七日卒。
二代
+-■興茂 長野宗左衛門
| 父興季の家督を續ぎ大庄屋となる。幼名五郎太と云ふ。母は長崎町年寄高木勘
| 兵衛の叔母、法名、潤相妙徳大妹(ママ)、□□□□年十一月七日卒。
| 或年天草郡中馬多く死し、農業成り難く申すにより江戸より金千両拝借いたし、薩摩
| 國へ馬かひに参りし時、薩摩より五百石にて可被召出候旨、被仰聞候へども、五百
| 石より、天草の大庄屋相勤候方勝手宜敷旨申候而、被断申候由申傳奏老也。
| 法名、瑞龍庵一翁□□居士。享保六辛丑年九月十五日、行年八十歳にて卒す。
| 禅宗芳證寺に葬る。
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+-■中村藤右衛門
| 佐伊津村庄屋となる。今の中村宗兵衛先祖也。系圖在別紙。
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+-女子 半次郎祖母なり。
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+-女子 利右衛門祖母なり。