津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

秋分の日

2013-09-23 13:24:55 | 徒然

 今日は秋分の日少しは秋めいてくれればよいのだが、台風明けから真夏日が続き昨日などは34.5℃となり夏に逆戻りした感じである。
今日の午前中はなんとか我慢していたが、こらえきれずにクーラーを入れ一息ついている。

一昨日・土曜日は史談会例会後、「平成肥後國誌」の編著者の高田先生と、史談会の若きエース中村氏と共にお寺(お墓)周りに出かけた。
中村恕齋家墓地➜常題目(聲音梵)➜米良家墓地(岳林寺墓地)➜本妙寺(塔頭五院)➜眞淨寺(志水伯耆元五墓地)➜流長院➜見性寺(家老・米田家墓地)の都合十か所を三時間少々で駆け回ってきた。
過日秋山玉山家の家紋を調べるべく小峯墓地に出かけたのだが、墓石に紋が彫られておらず空しく帰ったところだったが、なんと流長院に秋山家のお墓が新しく作られており問題が一気に解決した。(丸に釘抜きに梃子紋とでもいうのか、但し梃子が右側では丸を突き抜けていた)

お寺廻りをすると新たな発見がいろいろあり面白い。興津弥五右衛門の興津家の家紋は何と細川九曜である。興津家には本来の家紋があるのだが・・・?
少々時間足らずでばたばたではあったが、改めてゆっくり訪れたいものだ。

処が昨日はすっかり疲れ果ててしまい、日曜日であることを幸いに午前午後併せて三時間ほど昼寝をする有様である。(ブログが手抜きに成ってしまった)
本当にこの夏はばててしまった。今日も又33~34℃くらいに成るのではないか・・・・・あと十日ほどで十月だというのに、大概にしてほしい。

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なつかしの熊本・絵葉書展

2013-09-22 20:14:40 | 古写真
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遅ればせながらの・・記事  続

2013-09-22 06:38:34 | 徒然

 S様から新三丁目御門について詳細に記されているブログ「橋本醤油のうまうまごはん」をご紹介いただいた。
この日付とて今年の5月13日のものである。「一新まちづくり」に尽力をされておられるが、此処に紹介されているように絵図から模型なども作られている。
その絵図にある番屋などが確認される、まさに宝物のようなマンフェルトの写真である。 

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十六夜の月

2013-09-21 08:15:48 | 徒然

徒然なか話のSさまの昨晩のブログ「水前寺成趣園」の歌を拝見した。
水前禅寺・玄宅寺で十六夜の月を愛でながら、愛らしい花童の踊りを楽しもうという会である。本来の目的は「水前寺を再び活性化させようというプロジェクトの一環」なのだそうである。私の幼少期は、水前寺から江津湖にかけてはまさに遊び場であった。たしかに昨今の成趣園は賑わいを失っているようにも思える。このような地道な活動の成果が見えることを期待したい。

実は昨晩の催しについても、わざわざのお誘いを受けていたのだがよんどころない事情で出席できなかった。
私は別の所から十六夜の月を見上げていたのだが、中秋の名月につづいての見事な月であった。参会された皆様もさぞかし堪能されたことであろう。

今日は「史談会」の九月例会、最後の準備のチェックをして今一度空を見上げ床に入ったことであった。

 

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我が家の先祖は櫓番

2013-09-20 10:10:58 | 熊本

 現在熊本城一帯では「秋のくまもとお城まつり」(平成25年10月20日(日)まで)が行われている。
その中の一つ「重要文化財櫓特別公開」では、我が先祖が櫓番をしていた、「東十八間櫓」が9月7日(土)~10月20日(日)の間、8:30~17:30公開される。これは何としても出かけずばなるまいと思っている。

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御先祖御由来(全)・・その後

2013-09-20 09:45:35 | 史料


御先祖御由来(全)を読んでいる。細川四家+谷田部細川家の由来が書かれていて、特段目新しいものではないのだが、先に記したようにこれを書き写したという「信」なる人物が特定されないでいる。また「長岡佐十郎」なる人物も判らない。

家臣の誰かが手控えとして持っていたと考えるのが妥当であろう。家村蔵書の印が押されているが、細川家直臣に家村成る家は存在しない。陪臣筋かと「有禄士族基本帳」を見るがこれもない。ひょっとすると谷田部細川家の家臣か・・・・ 

内容よりもこれらの人達の謎解きに一生懸命になっていたのだが、いささか諦め気味となって、今は本文を読むことに移行している。

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中秋の名月

2013-09-19 22:46:08 | 徒然

                   
                                 月天心貧しき町を通りけり    蕪村

 今日のような日は、全国津々浦々電気を消してみたら如何でしょう。あまねくお月様は富める街も貧しき町も、分け隔てなく明るく照らしてくれることを実感できるでしょう。そろそろ十一時、お月様は天頂へ昇り小さくなりましたが、貧しき我が家の上をゆっくりと通り過ぎられたという感じです。

                                             

                                            

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遅ればせながらの・・記事

2013-09-19 18:08:00 | 新聞

 熊本日日新聞に 長崎大に解体の熊本城櫓門の写真 という記事を「撮れたてニュース」として出している。
よくよく読んでみると、「マンスフェルトが見た長崎・熊本」に掲載されている、新三丁目の櫓門の紹介記事である。
この本は 2012年10月3日初版の本であり、今頃鬼の首を取ったような記事に驚いてしまった。遅きに失していますよ・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長崎大に解体の熊本城櫓門の写真2013年09月19日 

写真
オランダ人医師・マンスフェルトが撮影したとされる「新三丁目御門」の写真(長崎大付属図書館提供)
 熊本市中央区新町の明八橋付近に明治初期まであった「新三丁目御門」の写真が、長崎大付属図書館出版の写真集「マンスフェルトが見た長崎・熊本」(長崎文献社)に掲載されていることが分かった。関係者によると、門の全容を近くから確認できる写真は初めてといい、当時の熊本城下を知る貴重な史料になりそうだ。

 同門は薩摩・日向街道上に設けられ、熊本城内に入る時の最初の櫓[やぐら]門。江戸時代には門前に番所も置かれ、城下を通る人たちを監視していた。1872(明治5)年、当時の鎮西鎮台司令長官、桐野利秋の命で解体されたという。

 オランダ人医師マンスフェルトは71年6月から3年間、現第一高(古城町)の敷地にあった古城[ふるしろ]医学校・病院で臨床医学などを教え、北里柴三郎らを育てた。

 門の写真は71~72年に熊本滞在中にマンスフェルト本人が撮影したとされる。「熊本城城壁の表門」というタイトルで、縦169ミリ、横213ミリのモノクロ。
 


写真
 熊本のほか、長崎、京都などの写真を収めた「JAPAN」と題したアルバムの中の1枚で、スイス在住の孫が保存。このうち長崎大が入手した97枚のデータを昨年10月に写真集にまとめた。

 熊本市の富田紘一・文化財専門相談員は「城内では天守閣や大手門しか使われていない朝鮮式の垂瓦[たれがわら]が見え、新三丁目御門の重要性がうかがえる」と解説。門のそばには野菜売りのかごや、遊ぶ子どもたちの姿も写っており、「当時の生活を知る史料になる」と話している。(星原克也)
 
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本名は頓とわからず草の花

2013-09-19 13:16:43 | 徒然

「雑草と云う草はない」という昭和天皇の御言葉は、けだし名言である。しかしながら 本名は頓とわからず草の花 という夏目漱石の句に、ごもっともと共感もする。 「四季の山野草」というサイトを見ると、画像数25,002 検索数(花・葉・実)8,883 という膨大な数の山野草が紹介されている。(ちゃちゃさんの「徒然草」から導かれた) 

漱石の孫娘の婿・作家半藤一利氏の「漱石俳句を楽しむ」によると、江戸っ子である漱石が熊本時代に「大いに植物の美しさに目を開かれた」としている

                              菫程な小さき人に生れたし

                           土筆物言はずずんずんとのびたり

                           行く春を沈香亭の牡丹かな

                           水仙の花鼻かぜの枕元

                           光琳の屏風に咲くや福寿草

                           行けど萩行けど薄の原広し

                           蛤とならざるをいたみ菊の露

                           菜の花の隣もありて竹の垣

明治29年から33年にかけての熊本時代の句を選んでみた。 

 8,883

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参勤ということ 3

2013-09-19 08:17:30 | 徒然

                                       熊本日日新聞社発行・タウン誌「すぱいす」から

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ちょっと気に成るオークション

2013-09-18 18:15:48 | オークション

                                     
                       
                                        ★古文書・和本・熊本御城請取行列書・寛永9年・日田城主★

                                                                ★古文書・和本・熊本御城請取行列書・寛永9年・日田城主
 

 

                                               希少!《 坂本善三 リトグラフ 額 》熊本 抽象画 油彩 石版画
                                   

                                   希少!《 坂本善三 リトグラフ 額 》熊本 抽象画 油彩 石版画


                                               
                     【伝来】Ky9542O610〈堅山南風〉果物図 横山大観師事 熊本の人


                                   【伝来】Ky9542O610〈堅山南風〉果物図 横山大観師事 熊本の人


                                                   即決★種田山頭火/肉筆短冊/落款/熊本市内の古刹寺院所蔵

                                即決★種田山頭火/肉筆短冊/落款/熊本市内の古刹寺院所蔵 


                              掛軸 加藤清正公之図 /七本槍/熊本藩主/朝鮮出兵 _画像3


                             掛軸 加藤清正公之図 /七本槍/熊本藩主/朝鮮出兵 

          

 

 

     

 

 

 

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熊本市子飼・松雲院 松井家墓所

2013-09-18 15:05:26 | 熊本

 先日久しぶりに架け替え工事中の子飼橋のほうに出かけたのだが、そろそろ完成間近という感じであった。もっとも新しく出来る橋は下流部で、上流部は現在ある橋を壊して、新たに作り替えることに成るから完全な完成は何時の事に成るのやら・・・・・・
しかしながらこの橋の架け替えで、子飼界隈も変貌をとげつつある。

細川刑部邸が城内二ノ丸に移された跡地は、現在大きなマンションが建てられている。写真の後ろ方向が西、刑部邸跡に建築中のマンションである。
二枚の写真はT様から提供を受けたものだが、刑部邸の東隣にある松井家の墓所がある松雲院である。松井家の菩提寺は八代の春光寺だが、ここには興長公室・恵妙院(古保=忠興息女)の生母・お松の方(郡主馬宗保女)のお墓がある。つまりは忠興公の側室でありそのお墓も堂々たる佇まいである。
正面左に松井家墓所と刻まれた石柱があり、奥まった正面にそのお墓がある。

小倉に於いて松の丸が亡くなった時(寛永六年六月十九日)、娘婿である松井興長は自らその墓の為の石を探し回ったとされる。
はたしてその墓石はどうなったのか・・・

私自身出かけて見ようと思っているが、いろいろ多忙に付ままならない。T様に感謝・・・ 

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読史備要

2013-09-18 11:03:23 | 書籍・読書

東大史料編纂所が発刊した「読史備要」(各種の年表・索引をおさめた歴史研究のための便覧・全1冊 昭和10年初版)がある。
近代デジタルライブラリーでも見ることが出来て有り難いのだが、1,110コマという膨大なものだが、これが目次のページ数にリンクしていない。
見つけ出すのに苦労をして、余り見る機会も亡くなってしまった。「日本の古本屋」あたりでどのくらいの値段がするのだろうと眺めてみると、安いものは1,800~2,000円代である。余り需要もないのだろう。
又Amazonで調べてみると、昭和50年第6刷で すこし状態が悪いようだが1,249円(送料込)とありこれには驚いてしまった。昭和53年第7刷でも2,800円で手に入る。
この様な類の本は、やはりデジタルライブラリーで苦労して画面を探し出して見るよりも手もとに置きたいものだ。
問題は奥方と置く場所である。 

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CiNii・参勤交代についての各種論考

2013-09-17 23:39:12 | 史料

   ■ 参勤交代の制度化についての一考察: 寛永武家諸法度と細川氏

   ■ 幕末参勤交代制緩和にみる幕府権力の失墜

   ■ 参勤交代のプロジェクトマネジメント : 加賀藩の旅程管理とリスク・マネジメント

   ■ 福井藩の参勤交代に関する基礎的考察     機関リポジトリから本文ダウンロード

   ■ 寛永13年南部重直 参勤交代遅参事件の再検討

   ■ 大川市立清力美術館の江戸勤番之図 - 福岡大学

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CiNii ・学習院大学図書館蔵「諸大名登城之図」について

2013-09-17 07:09:49 | 史料

学習院大学図書館蔵「諸大名登城之図」について が面白い。

                                      

江戸城の正月の拝賀における諸大名は、位階・格式によって御本丸大手御門もしくは内桜田門から登城する。
細川家は内桜田御門(桔梗門)から登城することが書かれている。格式を表す槍の造り等の記述が興味深い。 

     御本丸大手御門
        御門外下馬場ニハ式日営中詰之御書院御番頭・御小性組御番頭・御小納戸衆等ノ御供侍ナリ、其ハ格式ニヨリ
        テ駕籠又ハ乗馬ニテ登城スルナリ、或ハ駕籠二乗リ西丸留守居松平対馬守、又乗馬ニテ御書院御番頭大久保紀伊守、途中二於テ互二会釈ノ
        礼アリ、又布衣ノ士ノ登城スル行装アリ、各々其風俗柳力異ナリ、図画二就テ看給フベシ、 
     
     内桜田御門 又桔梗御門トイフ、
        此御門ヨリ在府之諸大名悉ク登城アリ、御規式ニ付諸大名登城之節ハ何ニ/\ノ御門ヨリ登城可致旨、前以テ被仰出候事 御門外東北ノ方第一ニ大廊下詰加賀
        宰相槍二本トモクロラシャ、大広間松平陸奥守槍二本トモクロトリ毛・一本サル毛、大広間松平中納言槍二本トモクロラシャ、御嫡あり子松平安芸守槍二本トモモエキ、大
        広間伊達遠江守槍クロラシャ・クマ毛、御嫡子伊達大膳大夫槍モエキ・白クマケ、大広間松平土佐守槍トリ毛・花イロ、等其外諸大名ノ惣供羅
        列シ、何レモ其場ニテ控へ待ツナリ、又御門外東南ノ方二大広間詰細川越中守槍クロラシャ・クロツミケ、大広間松平肥前守
        槍トクサラシャ・赤ナメシ、溜間井伊掃部頭槍クリ色・ナメシ、大広間藤堂和泉守槍二本トモ・スゝタケ、等之諸大名惣供之レニ羅列シ、又続テ御普        
        代ノ諸大名帝鑑間詰奥平大膳大夫、柳間亀井能登守、雁間松平伯老日守、菊間田沼玄蕃頭等ノ惣供連ノ向下馬場
        二付テ之レニ待ツ、其人数群集シテ誠二錐ヲ立ルガ如シ、其御槍井二引馬鞍覆ノ御紋ニテ看知ルベシ、袋二悉
        ク記サンバ煩ハシケレバ概略ヲ挙テイフ、宜シク考証ノ資トナサント云フ、
        当日下馬場二出テ飴菓子等ヲ売者アリ、又越中冨山ノ売薬数名出ツ、又大名ヅケト唱へ袖中武鑑等ヲ売来ル者
        アリ、又諸方ヨリ為見物出テ来ル者アリ、又町人年始トシテ通行スルアリ、其外図画二就テ風俗ヲ看給フベシ、         

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