「歳序雑話」に登場する「藤崎宮大祭」に係る記事である。(旧暦の八月の項に登場している・・抜粋・・)
これによると七日から十五日までの長期であることが判る。大変な賑わいぶりが想像できる。
十五日府中鎮守藤崎宮之祭日也、為放生会、従七日至今日社参之尊卑不可勝計矣、茶店売買之美、猶増祇園会祭日、有御幸於段山行在所、
興申楽能、御幸之体、先持榊枝、次以火水風三王鬼之首、貫鉾持之、神輿銀珠玉、氏子咸潔斎而舁焉、跡牽神馬、以金鞍、錦泥障、大惣鞦等
飾之、飼口著布衣、神輿之体皆同焉、神主・禰宜・社僧悉刷衣冠、袈裟等、乗駿馬供奉、歴々焉、行程有両勢屯、見物貴賤、無容錐毛地、此屯
之中始乎神馬、供乗駿馬悉馳入、走東西馳南北、宛如蜘蛛之子散風矣、又好事之族、猶附馬後奔走矣、挂蹄或蒙疵、或死者間有之、無懲之
打手敲竹動馬、皆是年少所成也、神護法印乗駕供奉、又一騎帯火威甲冑相具歩卒百人、是又皆介者也、緋与朽葉色昇之指物也、次鶏毛長
柄之鎗百本、殿馳士長両騎、整其行列、備不虞矣、上下桟敷之結構、翠簾花■(毛ニ亶)之美麗、又是希代之見物也、有庶寔其盛哉、神輿到於
段山、則成申楽、其式如祇園会、楽以五番為限矣、環幸規式准右
今日の藤崎八旙宮秋の例大祭、街中は飾馬が飛び跳ねて大賑わいしていることだろう。私の年代は「ボシタ(祭)」などと、なんとなくいってしまう。他意はない。かって馬を追う勢子たちは、「ボシタ/\」と掛け声を掛けていた。随分以前は「滅ぼした」とも言っていたが、何時の頃からが秀吉の朝鮮侵攻に由来するこの掛け声は禁句となってしまった。毎度のことだが当事者たちはこの「ボシタ」については、黙して語らない。
しかしながら状況証拠は残されていて、小泉八雲が友人に送った手紙などで明らかである。
『没したり、朝鮮没したり』を口々に叫びながら、興味深い馬飾りをつけた馬たちを町通りに駆けるのです。
余り隠し立てをするからよろしくない。