津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■読書の傾向・私の本棚(1)

2019-10-25 17:49:16 | memo

 終活ではないが、ふとわが本棚に並ぶ蔵書のリストを作ろうと思い至った。
ほぼ定位置にこのように並んでいる。なんとなく場所は覚えていて取り出すのには添う苦労もしていない。
段ボールに入ったままの本については、何が入っているのかとんと判らない。
この間一つ開いてみたら、建築関係の本が出てきて、床に座り込んでの久しぶりの再会と相成った。
いろんな論考や古文書のリストも追々作ってみようかと思っている。

        1、梅鉢草‐思いつくまま‐          寺島雅子
        2、老松町の殿様
        3、細川幽齋と舞鶴
        4、細川三斎 茶の湯の世界         矢野誠一郎
        5、利休随一の弟子・三斎           同上
        6、春灯雑記                司馬遼太郎
        7、戦国細川一族 細川忠興と長岡与五郎興秋 戸田敏夫
        8、肥後学講座 Ⅰ
        9、肥後学講座 Ⅱ
      10、肥後学講座 Ⅲ
      11、新肥後学講座
      12、細川忠利 ポスト戦国時代の国づくり  稲葉継陽
      13、細川藩の終焉と明治の熊本
      14、重賢公逸話              川口恭子
      15、細川侯五代逸話集           大島明秀
                 16、肥後藩の庶民事件録 日本近代自由刑の誕生  鎌田 浩
      17、木下韡村の生涯とその魅力 韡村書屋に集まる廉潔の志士たち  木野主計
      18、熊本の消えた地名
      19、くまもと城下の地名
      20、熊本城の被災修復と細川忠利 近世初期の居城普請・公儀普請・地方普請  後藤典子
      21、想出の人々 揮麈憶往録        細川護貞
      22、熊本藩侍帳 人名索引         
      23、熊本藩役職者 人名索引
      24、肥後八代・松井家 御家人帳
      25、熊本藩家老・八代の殿様 松井章之の江戸旅行日記
      26、画引きくずし字解読辞典
      27、アプリで学ぶくずし字
      28、古写真に探る 熊本城と城下町
      29、フォトグラフ熊本城
      30、熊本城 歴史と魅力
      31、名城を行く 熊本城
      32、西南の役関係文献目録
      33、芸術新潮 熊本城築城400年記念特集「細川家 美と戦いの700年」
      34、細川家の700年 永青文庫の至宝
      35、甲斐青萍 熊本街並画集
      36、花畑屋敷四百年と参勤交代
      37、震災復興のメモリー熊本
      38、熊本地震の経験・教訓ー平成28年度熊本地震の検証からー  熊本県
      39、熊本地震と熊本城 特別講演会              (財)熊本城顕彰会
      40、平成28年熊本地震 被災文化財の復旧の歩み        熊本県教育委員会
      41、熊本明治震災日記                    熊本市都市政策研究所
      42、大嶋家文書の世界 若殿道中記 たみ縁組
      43、三河吉田藩・お国入り道中記               久住祐一郎
      44、熊本藩の社会と文化「八代古文書の会会報1~50合冊」   蓑田勝彦
      45、伊勢道中日記帳                     下津 晃
      46、幕末熊本の軍政と鉄炮                  平田 稔
      47、伊能忠敬没後二百年記念・ご用測量熊本県資料集      平田 稔
      49、市政百周年記念 熊本・歴史と魅力            熊本市
      50、歴史への招待・西南の役と玉東町             
      51、五嶋又兵衛の出奔と細川忠興               行橋市教育委員会・歴史資料館
      52、切絵図・現代図で歩く・江戸東京散歩
      53、嘉永・慶応江戸切絵図
      54、全国昔話資料集成6 肥後昔話集
      55、細川三代 幽齋・三齋・忠利               春名 徹
      56、細川家古文書から 武将幽齋と信長
      57、奔放なる江戸「春画」
      58、肥後恕斎日録 第一巻
      59、  同上   第二巻
      60、幕末武家の時代相 上          吉村豊雄
      61、  同上     下
      62、異風者伝                井上智重
      63、江戸状の宮廷政治            山本博文
      64、怡園随筆 茶・花・史          細川護貞
      65、細川幽齋                細川護貞
      66、永源師壇紀年録幷付録
      67、京の古寺から 13 高桐院
      68、肥後文献解題
      69、肥後古記集覧
      70、肥後武道史
      71、氏家家永代記録
      72、西国武士団関係資料集 八 財津文書・野上文書
      73、海事史研究・第30号 早船之規矩(一)
      74、宇土細川氏藩政関係資料調査報告書(ニ)
      75、菊池市歴史研究資料 中嶋伊三郎 御触状・諸達扣
      76、肥後細川家分限帳            青潮社
      77、肥後旧藩士録名簿            高田家
      78、魚雁集 細川家に残っている手紙     細川護貞
      79、勝龍寺城今昔物語            
      80、上天草市史2 大矢野氏の活躍
      81、上天草市史3 天草島原の乱とその前後
      82、新史料による天草・島原の乱 その時、徳川幕府軍はどう考えたか
      83、天草島原の乱 細川家史料による     戸田敏夫
      84、敗者の日本史14 島原の乱とキリシタン  五野井隆史 
      85、島原合戦記 原本現代訳
      86、街道をゆく17 島原・天草の諸道     司馬遼太郎
      87、天草キリシタン史「十字架の旗の下に」  北野典夫
      88、近世初期天草キリシタン考
      89、完本・春の城              石牟礼道子
      90、はるかなる天の河            島 一春
      91、島原の乱                煎本増夫
      92、日本切支丹宗門史・上          レオン・パジェス
      93、   同     中           同
      94、   同     下           同
      95、私説・ミジンコ大全           坂田 明
      96、ワインの基礎知識
      97、日本のメダカを飼おう
      98、ティンパニストかく語りき        近藤高顯
      99、江戸という幻景             渡辺京二
      100、逝きし世の面影                同

           

      

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■元和拾年 萬覚書(58)

2019-10-25 06:59:37 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿五日

         |                                           
         |一、廿五日  道倫 甚左衛門  当番  朝曇 道倫午刻後、フルイ付候様ニ付而、不罷出候 
         |  
         |  廿四ノ日
八屋村ノ盗人ハ磔 |一、八屋村之三七郎、中津御れう分へぬす人ニ入、ぬすみ物を、中津ノ町ニ、しちニおき申候をさ  
十才以上ノ男子ハ |  んさく仕、あらわれ、則、八屋村ニはつつけニかけ可申由、申被渡候、右ノせいはいノ仕やう、
成敗       |  民ア少殿■談合ニ而候、男ノ子有之ハ、十さいゟ上ニ而候ハヽ、さいばい可被仕候、女はう共ノ                     
女房ノ道具ハソノ |                        被    (候ヵ)
ママ他ハ闕所   |  道具ハ、其まゝ遣候、其外ノ道具ハ、けつしよ可仕候由ニ□事、女子ハ其在所有付候様ニ、可被  
女子ハ在所ニ有付 |  申付候
カシム      |
         | (ママ)
人ヲ売リシ両名ノ | 同四日
妻子ハ在所ニ有付 |一、下毛郡さいの原孫三郎・藤木村ノ與九郎、妻子ハ其まゝ在所ニ有付候様ニ、可被申渡事、是も民
カシム      |  ア殿談合ニ而候
         |

         | (ママ)
立花宗茂室死去ニ | 四日                 被成
ツキ出府セム   |一、たちはな飛騨殿御内き御はて候ニ付、にわかに御上りニ、来三日ニ大里へ御つき被成候、御ふる

大里ニテ接待   |  廻之事、民ア殿へ談合被申、可申付之事
         |                             立花宗茂の最初の奥方は誾千代姫だがこの時期既に亡い。のち継室二人があるが、最初の継室か・・・
成敗セシ加子ノ妻 | 右同日
子ノ処遇     |一、御加子與三右衛門女はう・男子むすめハ主次第ニ、何方ニ成共、をき可被申候、男ノ子十五、六
十五六才ノ男子ハ |              〃〃
他国へ払ハシム  |  ニなり候をハ、他国へ払可被申由、被申渡候事
         |
         | 廿五日
         |一、服部九郎左衛門登城ニ而、古市村與三左衛門ニ銀子借り申候間、其切手御座候間、其御心得候て
         |  可被下之由、被申候事
         |
桧物屋新介台所ノ |一、ひ物屋新介登城ニ而、ね段之儀、相済不申候由申候、則、和田伝兵衛よびニ被遣、相済候様ニと
道具ノ直段決着セ |  被申渡候処ニ、伝兵衛被申候ハ、御たい所方之御道具ハ、たい所御奉行仕はすニ候、其段之様子
ザルヲ申ス    |  ノ 御印之写御かた書被成、被下候ヲ、持参被仕候事
台所奉行ノ役目  |
御印ノ肩書    |
         |         (是門)

忠利小笠原長元ノ |一、矢野利斎・米田與右衛門登城ニ而、民ア殿はや舟、 殿様へ御かい被成候由、被仰置候間、善右
早船ヲ買上    |  衛門と談合候て、被召置候様ニとの事ニ候、ねたんの儀ハ定り不申候事
買価ハ未定    |
         |


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■健軍という地区

2019-10-24 15:53:14 | 熊本

                                       一叢のコスモス 尾上に秋を居り  津々

 私が住む熊本市東区のかっては、その大半が健軍町で占められていた。
景行天皇の時代(弥生時代)が創建だとされる健軍神社のお膝元であり、健軍町は東区の6~7割ほどを占めていたのではなかろうか。

1970年代から住居表示が進められる中で、新たな町名がつけられていく。それは2007年まで続き現在の住居表示となっている。
結果として27の新しい街が出現し、それが既存の街と融合して、熊本5区の内では最も人口の多い地区となっている。
私の住む「尾上4丁目」の成立は最終番であったようだ。新しい街だから地名辞典などをみても、その由来を知ることが出来ない。
中にある「三郎」とか「灰塚」とかは、この地域を納めた、健軍城の阿蘇三郎に由来していたり、また戦場となったりした名残だと思われる。
ならば「尾上」の由来はどうか・・・全体がそうではないが、東の方は小高い丘陵地が「新外」や「山の神」の方へと続いている。
そんなところから来たものと考えている。

朝の散歩で、未だ入ったことのない道を進むと思いがけず丘陵地の尾上にでた。コスモスが秋の風にゆれている。
山は健軍飛行場(現・日赤病院や県立大学)から三菱工場(現・西部方面総監部など)を結ぶために、切通として道が開かれた。
これにマンションや住宅其の他が立ち並んでいるから、かっての山容を窺い知ることは出来ない。
広大な広がりを見せる旧・健軍町全てを眺めることは出来ないが、この地が戦いの場所であったことを想うと感慨深いものがある。

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■元和拾年 萬覚書(57)

2019-10-24 11:05:56 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿四日

         |                                           
         |一、廿四日  助二郎 甚左衛門  当番  曇 
         |
         |               與三左衛門
成敗セシ加子與三 |一、鏡善右衛門登城ニ而、御加子〇さいはい仕候跡ノけつしょ物、小ワキざし壱こし御座候、其外ハ
左ノ闕所ノ品   |  何も無之由、被申候事
銀子壱貫目ヲ金山 |一、御金山ノ御用ニ、銀子壱貫目、佐藤安右衛門・春木與吉ニ被渡候事
奉行ニ渡ス    |
         |  (小笠原長元)              (継)
中津へ継飛脚遅参 |一、小民ア少ゟ、去十一日ニ、中津へ次飛脚進上被申候処ニ、遅参着仕候儀、せんさく被仕候へと、
ノ詮議      |  御郡奉行衆へ可申渡之由、先今日、宮部久三郎ニ被申渡候事
古市村與三左ノ懸 |一、古市村與三左衛門かけ硯、小林半左衛門持参、内ヲ被見候へとも、やくニ立申書物、一つもム御
硯ノ検分     |  座候事
右借状      |一、右與三左衛門籠仕候時、ふところニ有之道具、幷ニ袋有之物取寄せ、被見候処ニ、古借状共御座
         |  候事
         ¦             (道祖ノ原)               九   (玖珠)
人ヲ売リシ両名ヲ |一、木村九郎兵衛登城、下毛さいの原ノ孫三郎・藤木村ノ與■郎、くすへ人うり申候儀、弥必定ニ而
成敗       |  候間、成敗可仕通被申候、左候ハヽ、妻子ハあかりものニ成候段、被申渡候事
妻子ハ上リ物   |                                    (領分)            (散々)   (八付=磔)
         |一、八屋村三七郎 三斎様御れう分へ ぬす人ニ入 さんさ仕 はつつけにかけ可申由 民ア殿
         |  〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃
         |  御奉行衆談合被申候 八屋村ニはつつけニかけ可申由 被申渡候 〇上辺ニ横ニ書込アルモ、消去ス
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃
         | 

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■PCの不具合

2019-10-24 10:52:48 | 徒然

 PCの不具合で少々いらついています。数日前からサクサク動かなくなり、それでも何とかブログを書いていましたが・・・
まずは手っ取り早い処でアプリの削除にかかりました。一つ一つ確認しながらの作業ですから爺は疲れてしまいます。
相当量の使わないアプリを削除して、ブログの文字変換もなんとかスムーズにいくようになりました。
写真やメールなどのデータもUSBに移し替えようと思っています。すべてが歴史ですから横によけるのも気になる所ですが・・・
しかしいらついていては健康によくありません。もう少々長生きしたいと思う爺です。

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■元和拾年 萬覚書(56)

2019-10-23 21:26:28 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿三日

         |                                           
         |一、廿三日  道倫 助二郎  当番  朝曇 晩雨
         |
沼田延元上洛ニツ |一、勘解由殿ゟ使、来ル廿七日ニ可罷上候間、冣前御惣談候て、御米借可被下之由候間、弥御かし被
キ借米加子ノ願出 |                   (ママ)  
         |  成候様ニとの儀、幷御加子廿八日やとわかし被成候而可被下之由、是又、右ニ御談合相極り候間、
         |              (案)  (河喜多正直) (仁保慰保)
         |  弥頼入候通、御米借状之安帋、五郎右衛門・太兵衛ゟ被渡候事
         |
金山小屋等ノ普請 |一、御金山小屋、其外ノつくろい普請奉行ニ、御鷹師ノ志加與三右衛門・高瀬勘兵衛、両人被申付候
奉行ニ鷹師ヲ命ズ |  事
         |
五徳金山地割山廻 |一、五徳御金山地わり山廻りノ奉行ニ、渡長右衛門・坂本勘兵衛、両人明日参候へと、被申付候事、
奉行任命     |
         |  (規矩郡)
採銅所金山地割山 |一、採銅所御金山地わり山廻り奉行ニ、田辺作介罷居候、此替りニ、山崎伝丞明日参候へと、被申付
廻奉行任命    |  候事
         |
餌差雲雀捉リニ諸 |一、御餌指ひばりを取候儀、当御郡はかりニ而ハ不辨候間、よの御郡へも可遣通、河合権丞申候、左
郡へ遣ス     |  候ハヽ、ひばりニ塩仕候者、御小人吉蔵被申付候事
塩漬ニ小人    |      由
沼田延元上洛療養 |一、長岡勘解殿御煩ニ付而、御上洛候ニ、米五十石、惣談之上にてかし被進候事、御上洛ハ今月廿七
ニ貸米五十石   |  日之由、惣右衛門申候事
         |一、河喜多五郎右衛門・仁保太兵衛、手前御奉行衆へ手前切手判形相済不申候間、片付可被仰付由、
         |  彦市・伝介申ニ付而、今日相談可有之由之事
         |
台所賄算用ノ滞リ |一、御桧物屋新助・同又右衛門・沼次左衛門・林與兵衛御台所賄候、切々算用今ニ滞り、迷惑仕候由
         |  申ニ付而、五郎右衛門ねヲ被存由申候間、可相尋由、被申渡候事
         |

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■元和拾年 萬覚書(55)

2019-10-23 14:35:58 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿ニ日

         |                                           
         |一、廿二日  道倫 甚左衛門  当番  朝曇
         |
大橋ノ橋材山出ヲ |一、河田八右衛門登城候而、橋之板財木取候儀、町人役ニ被仰付候、然は、香春ゟ小倉迄、六里之間
町人ニ命ズ    |  ヲ町人ニ被仰置候、又、山ゟ香春迄は三里ニ而御座候条、三里之山出ヲ、町人出シ可申と申候は、
         |  其分ニ被仰付可被下由之事、奉行衆、町奉行と惣談可有との事
         |                       御加子
船頭惣奉行鏡善右 |一、鏡善右衛門登城ニ而被申候、主手前手伝ニ被置候上田十三郎と申者、今度御舟頭ニ被召上候、其
ノ手伝加子ノ後任 |                                  (松本)(栗野)  
ノ採用扶持分   |  替りニ、御加子召置申候間、かの者ノ御扶持方被仰付可被下候通ニ書付、彦市・伝介方へ被渡候
         |  事                  (国東郡)          被
古市村孫三ノ糺明 |一、村上久太夫・入江猪右衛門、両人ニ申付、ふる市村孫三きうめい可申付候事
         |           ( 慮  外 )  
         |一、右之善右衛門被申候りよくわい仕候御加子 昨日ニもせいばい可仕と存候処ニ、御舟頭衆みな/\
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃
         |                     ニハ
         |  取付 わびこと被申候ニ付 其分ニ仕置申候如何可仕やと 御奉行衆へ被申候 以来之見せしめノ
         |  〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃
         |  所ハ申付候条 此度ハ御舟頭衆へたいし ゆるされ候ても可然由 御申候
         |  〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃
         |             イ                                                                                            御奉行衆も      め
船頭惣奉行ニ慮外 |一、鏡善右衛門ニりよぐわ仕候御加子、御舟衆ミな/\わびこと被申候へ共、 〇以来之見せしノ儀ニ
ヲセル加子ヲ成敗 |                   (小笠原長元) 右
セシム      |  而候間、せいばい可被申付由ニ候間、民ア少殿ニも相尋候へバ、右之分ニ御申渡シ候事
以来ノ見セシメ  |
         |一、古市村與三左衛門尉小者孫三糺明仕候へバ、右之口同前之由、村上久太夫・瀬崎猪右衛門尉被被申

         |  候、御奉行衆弥々穿鑿仕遂ケ候而、民ア殿可申由之事 
         |     

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■お安く読む・除籍本「殿様生物学の系譜」

2019-10-22 20:11:09 | オークション

               

 写真の如く「除籍本」です。私の歴史の師匠・Dr高田先生は、「本は読めればよい、新しいとか古いとか、書き込みがあるとかないとか関係ない。金を懸けず史料を得て一生懸命詠むことだ」といわれた。
私の本棚には除籍本が結構ある。除籍本だといろいろ書き込んだりするのもあまり気にせずにやれる。

この本の内容は「日本の博物学・生物学の発展は、数多くの大名・華族・皇族たちが担ってきた。「偉大なアマチュア」から「世界的な研究者」まで、近代科学史に残るさまざまな足跡をたどる。」とある。
当然ながら細川藩主・重賢公の事も書かれているようだ。手元に届くのが楽しみである。

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■元和拾年 萬覚書(54)

2019-10-22 06:08:59 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)廿日

         |                                           
         |一、廿日  道倫 助二郎  当番  雨天
         |    (辰珍)
公用ニヨル欠勤ハ |一、津川四郎右衛門御申候、菅村和泉宇佐へ参候、此御番替りを可被申付哉との儀ニ候、乍去、公用
番替リヲ容セズ  |   之儀ニ被参候条、不苦儀ニても可有之哉と御申候事
         |
加子水入リヲ拒ム |一、かゝミ善右衛門登城、石川甚右衛門預りノ御加子、す入を仕候ニ付、大橋虫くいを見ニはいり候
         |  へと申付候ヘハ、彼與三右衛門と申候加子申候ハ、す入ノ御奉公ニハ不罷出候、御加子ニこそ罷
抜打ヲ怖レ逃ゲシ |  出候と、りくつを申候故、ぬき打ニ可仕と、善右衛門仕候ヘハ、にけ申候、御奉行衆へ談合仕候
加子ヲ捕エシム  |  ヘハ、からめ候へと被申渡、からめ申候事
         |

                          (元和十年四月)廿一日

         |                  (晴)                                  
         |一、廿一日  助二郎 仁左衛門  当番  清天
         |     (春木)                                 (ママ)
札取       |一、御金山與吉所ゟ、札取申つけ書立参候、呼野・さいとう所・ごとく 三所の
         |
宇野七右早飛脚参 |一、国東、宇野七右衛門所ゟノはやびやく、何も廿日七つ時ノ刻付、廿一日ノ五つ下刻ニ参着申候事、
着        |
六十丁立ノ船ノ幕 |一、福田吉介・佐分利又四郎ニ、六十丁立ノ御舟まく奉行被申付候、きり・九ようを付ケ、むらさき
桐九曜紋付ノ紫染 |  ニそめ候事
         |         (広浜)
江戸ヘノ使小人  |一、江戸ヘノ御使、ひろはま少右衛門御小人、上下弐人被遣事
         |
宇佐郡奉行野間次 |一、野間次左衛門替野儀、かは田次左衛門・富嶋弥兵衛・みの田甚丞・近藤長四郎・野瀬吉右衛門・
左ノ公認選定   |                                      (指図)
         |  小崎與次兵衛・中間市大夫・財津久兵衛・上村甚四郎、右之衆之内、何ニ而も御さしス次第ニ可
         |  申付、得御諚申候事
筑城上毛郡ノ代官 |一、ついき・上毛ノ御代官、中津不参、此替之事、御諚得申候事
中津へ不参    |
         |


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■にわかフアンですが・・・

2019-10-21 08:08:39 | 徒然

 ラグビーワールドカップ、ベスト8入りした日本だが、圧倒的な体力とスピードを持った南アフリカに、一敗血にまみれてしまった。

かって国立競技場で最後の早明戦の試合が行われた時、荒井由実が登場して「ノーサイド」を熱唱したことが報じられて、当時話題になったことが有った。歌詞をみるとまさにラグビーの世界を豊かに歌い上げている。男たちが涙していたことを思い出す。
そんなシーンをみてから、もうそろそろ九年になる。
世界大会が日本で催されるについて、男たちの熱い思いは火の玉になった。突き破ることのできなかったベスト8の壁を破り、さらなる高みを目指す男たちの夢は途絶えたが、またと「かぐことの出来ない風 深くすった」ことであろう。
目を輝かせて試合を追った子供たちが、またあの楕円のボールを追ってたゆまぬ努力を続けて、次のシーンの主役となってくれるだろう。
スポーツの持つ連帯感や豊かなメッセージを、にわかフアンの爺様にもしばし体感し豊かな気持ちにさせてくれた。
準決勝・決勝へと希望を託してボールを追い、一歩でも前に進もうと大男たちの躍動はまだつづく。最後のノーサイドまで声援を送ろう。
素晴らしい球技、紳士のスポーツに感謝。


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■元和拾年 萬覚書(53)

2019-10-21 06:23:41 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)十九日

         |                                           
         |一、十九日  道倫〇 甚左衛門  当番  曇
         | (高月、規矩郡)                  (黒崎、御牧郡) (之房)
井上之房ノ馬乗毛 |一、筑前口人留の御門番尾藤新助登城ニ而、くろさき井上周防者馬乗ノせかれ毛利弥兵衛せかれ主膳、
利某忰走リ来ル  |  十五、六斗なる者走来り候、町人休庵と申者之女ノ親類之由申候、則、民ア少殿へ召連可参由、
         |  被申渡候事
         |    (氏久)                        (政三)
薮政三ノ新田小作 |一、田中猪兵衛・山村與右衛門、両人被参申候ハ、藪三左衛門新開御座候を、與右衛門作申候、則、
古作ハ中津領上地 |  中津御奉行衆へうかゝい候ヘハ、古作之分ハ中津御領へ上地二被成候、真ひらきハ小倉御領之儀
新田ハ小倉領   |  ニ而候間、御かまい無之候由、御申候間、あらし申儀御ために成不申候間、與右衛門作可申候、
荒起シニ日雇ヲ備 |  左様ニ候ハヽ、たね之きハ與右衛門取かへ申候、あらをこし仕候儀、日用をやとい申候間、御米
ウ借米ヲ願ウ   |                御奉行衆  
         |  少御借被下候やうニと申候、則、〇三石ノさしかミニ判被仕候
筑前ヨリ走来ル井 |一、右筑前ゟ参主膳、休庵親類ニ而ハ候へ共、此地ニかゝへ候儀、不罷成由ニ而、下関へ遣之候由、
上之房馬乗ノ倅主 |  遂目安候事
膳ヲ下関へ遣ス  |
         |                                Inoue Yukihusa.jpg

                                          井上 之房は、筑前黒田氏の家臣。
                                          黒田二十四騎、黒田八虎の一人。
                                          通称・九郎右衛門。

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■元和拾年 萬覚書(52)

2019-10-20 14:08:58 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)十八日

         |                                           
         |一、十八日  助二郎 甚左衛門  当番  曇
         |
びいどろ青白ヲ下 |一、下関へ、びいどろかいに、森次兵衛・栗田與兵衛、両人遣候、但し、ひいとろハ六斤、内三斤ハ青キ・三斤ハ白キ
関ニ購ハシム   |                          (財津)
宇佐郡惣庄屋入牢 |一、財津久七登城、宇佐郡山本少左衛門籠者被 仰付候、■■■右衛門尉・惣左衛門知行之内、少左衛
未進       |  門作仕候、此未進大分有之ニ付、久七書物持参仕候へ共、理立申間敷通被申候
入牢中ノ病人ニ投 |一、不破忠左衛門者、籠ニ而相煩候ニ付、寿閑薬用させ候事
薬        |
         |       須古)現・杵島郡白石町       (黒崎口)       (西村)
肥前ヨリ走来ル者 |一、ひぜんノ国すこの村ゟはしり参候三吉と申者、くろさき口ノ御番善兵衛登城ニ而申候、則、民ア
         |  殿へ召連参候事
         |  (由布院)
由布院幕府蔵米  |一、ゆのゐん上殿御蔵納御米ノ儀ニ付、民ア殿ゟ、井上十右衛門と申御舟頭ニ、状持被下候事        
郡役ノ麦ハ三斎領 |一、御郡へ御かけ被成候麦之儀、 三斎様御蔵納御百性出作仕候者ニハ、少之儀ニ候間、懸ケ申間敷
ノ出作百姓ニハ課 |  惣談候事
セズ       |
         |                       

                       

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■蒙古襲来絵詞・白描図、「天草の戦国時代展」に展示さる

2019-10-20 13:43:45 | 展覧会

 熊本史談会会員・大矢野種康氏所蔵の「蒙古襲来絵詞・白描図」が、「天草の戦国時代」展(10月19日~12月28日迄、天草市立本渡歴史資料館)に展示されます。
尚、11月30日、13:30~15:30に大矢野誌による、ギャラリートークが催されます。

                  

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■徳富蘇峰・髪塚祭のご案内

2019-10-20 13:22:31 | 講演会

                                               

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■有難いアーカイブ史料

2019-10-19 19:54:11 | 史料

 最上騒動の一方の主役楯岡光直についていろいろ調べる中で、国立国会図書館のアーカイブス「楯岡甲斐守光直と其の子孫」の存在は大変ありがたかった。
光直が小倉に於いて死去する中で、細川家は熊本に転封、光直の嫡子・孫市郎は細川家に随伴して熊本入りしている。
そして1,000石を拝領するとともに座班に於いても七人着座の四番目に召しおかれるなど厚遇されていく。
孫一郎の子が最上一族の山野辺氏の養子に入ったことは承知していたが、名前が判らずにいた。水戸徳川家の家老となった山野辺家である。
上記アーカイブスで忠清という名前が確認されるとともに、孫一郎の嫡男であることも判明、熊本の楯岡家は二男が跡継ぎしていた。
冊子自体はもう入手は不可能であろうが、こうして簡単に確認できることに大いに感謝である。
プリントアウトして冊子仕立てにしようと思っている。

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