Sightsong

自縄自縛日記

ウィルバー・ウェア『Super Bass』

2014-06-12 23:48:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィルバー・ウェア『Super Bass』(wwi、1968年)は、2012年に発掘盤として出された。もともと、Strata Eastレーベルから発売する予定で吹き込んだものの、お蔵入りになっていたものらしい。

Wilbur Ware (b)
Ed Blackwell (ds)
Don Cherry (tp)
Clifford Jordan (ts)

実はあまりウェアのベースに対する印象はなくて、思い出すのは、セロニアス・モンク『Monk's Music』におけるハプニングだ。「Well, You Needn't」の演奏中、モンクが勘違いしてコルトレーンに叫び、それによって、ドミノ式にブレイキーやウェアが慌てふためくというセッションである。

こうして改めて聴いてみると、(録音でベース音を際立たせているような感もあるが、)堅実で良いベースである。しかし、それはそれとして、やはり他の3人のプレイに耳を奪われてしまう。

クリフォード・ジョーダンのエッジがもこもこしたテナーは、ジョージ・コールマンやデューイ・レッドマンとも共通するようで、旨味のつまった肉塊を堪能しているような気分。斜め上からキュルルルと地上に降りてくるドン・チェリーも、ズンドコ太鼓のエド・ブラックウェルも、聴くと、「待ってました」の芸である。

何でこれがお蔵入りになっていたのだろう。普通といえば普通なのだが。

●参照
デューイ・レッドマン『Live』(エド・ブラックウェル参加)
エド・ブラックウェル『Walls-Bridges』 旧盤と新盤
マル・ウォルドロンの映像『Live at the Village Vanguard』(エド・ブラックウェル参加)
カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』
エリック・ドルフィー『At the Five Spot』の第2集(エド・ブラックウェル参加)
富樫雅彦『セッション・イン・パリ VOL. 1 / 2』(ドン・チェリー参加)
『Interpretations of Monk』(ドン・チェリー、エド・ブラックウェル参加)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(ドン・チェリー参加)
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(ドン・チェリー参加)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(ドン・チェリー登場)
ドン・チェリーの『Live at the Cafe Monmartre 1966』とESPサンプラー


堀田善衛『天上大風』

2014-06-11 07:58:51 | 思想・文学

堀田善衛『天上大風』(ちくま学芸文庫、1998年)を読む。

「ちくま」への長期間の連載(1986-98年)をまとめたものであり、単行本として刊行された『誰も不思議に思わない』『時空の端ッコ』『未来からの挨拶』『空の空だからこそ』がすべて収録されている。

この連載は、わたしも当時にときどき目を通していて、ちょうど1年前、『時空の端ッコ』を見つけて読んだ。このような形でまとまっているとは知らなかった。とは言っても、損をしたと言うつもりはない。読むたびに、最高の知性に触れることができ、刺激を受けないわけにはいかないからである。

著者は、戦争末期に上海に渡り、その後アジア・アフリカ作家会議を通じて他国の文学者と交流し、晩年にはスペインに住んだ。コスモポリタンではあったが、単なる世界主義者ではなく、地域の文化と歴史とを文字通り体感し、それをもって世界を考える人であった。

たとえば、ユーゴスラヴィア内戦に対して、ローマ帝国の東西分裂(330年)に遡る。まさに、ビザンティン帝国と西ローマ帝国との境界は、イスラム・ボスニアとギリシャ正教セルビアを東、カトリック教クロアチアを西側として貫いているのであった。アイデンティティの起源をそこまで求めなくても、クロアチアのナチス傀儡とセルビア・ボスニアとの戦い、旧ユーゴ・チトー政権のセルビアによるイニシアティブ、民族間のきびしい争いなど、歴史は古代から現代までつながっている。著者の視点は、そのようなものである。

また、スペイン内戦については、ファシズムとナチズムに対する戦いであった第二次大戦の先駆と位置付け、「若者たちが理想のために、誰に頼まれたわけでもなくて、自発的にその理想を守るために、外国へ、生命懸けの戦場へ出ていったことがあった」ことを強調している。

著者は、「過去と現在こそが、われわれの眼前にあるものであって、それは見ようとさえすれば見える」と言う。未来は背後にあり、なかなか見ることができない。しかし、見なければならないものは歴史であるということだ。

●参照
堀田善衛『時空の端ッコ』
堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』
堀田善衛『インドで考えたこと』


アンダース・ガーノルド『Live at Glenn Miller Cafe』

2014-06-11 00:07:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・パーカー『... and William Danced』で太いテナーサックスを吹いていたアンダース・ガーノルドという人のことが気になって、同じレーベルから出しているリーダー作『Live at Glenn Miller Cafe』(ayler records、2008年)を聴いている。地元スウェーデンでのライヴ。

Anders Gahnold (ts)
Erik Ojala (b)
Johan Stahlgren (ds)

どうしても、ウィリアム・パーカーとハミッド・ドレイクという鋼鉄コンビと比べると物足りないが、これも、ピアノなしのサックストリオである。 ジョー・ヘンダーソン然り、テナーの押し出しが強いプレイヤーに相応しい編成だと思っている。

ここでも、敢えてノイズを含ませたガーノルドの音色は魅力的で気持ちが良い。しかもノリノリ。何てことないと言われそうだが、気持ちが良いものは気持ちが良い。

●参照
ウィリアム・パーカー『... and William Danced』


ギル・エヴァンスの映像『Hamburg October 26, 1986』

2014-06-08 12:32:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿で時間つぶしのために入ったレコード店で、ギル・エヴァンス『Hamburg October 26, 1986』というDVDを見つけた。1000円だった。

ドイツ・ハンブルグでのジャズフェスのテレビ映像らしい。「Up from the Skies」、「Little Wing」、「Sometimes」、「Voodoo Chile (Slight Return)」の4曲が収録されている。「Sometimes」はデルマー・ブラウンの曲かな、あとはジミ・ヘンドリックスの名曲。もちろん、ギルはこの10年以上前に、『Plays the Music of Jimi Hendrix』という傑作を作っている。

演奏がはじまると、そのユルさに意外な印象を持つ。ところが、このあたりがギルの魔術なのか、一見緊密なアレンジでなくても重層的なサウンドが迫ってきて、ひとつひとつの音が、鼓膜だけではなく、身体のあちこちのツボを押すようで、とても不思議。

ソロイストは、ハイラム・ブロック(g)、ビル・エヴァンス(ts)、ルー・ソロフ(tp)、ピート・レヴィン(key, vo)、ハワード・ジョンソン(tb, piccoro)。大野俊三の姿も見えるが、ソロはない。ギルはというと、もちろんキーボードを弾きながらユルく指示を出している。「Sometimes」を高音で歌うレヴィンを、顎を両手の上に置いてうっとりと眺めるギルの横顔が、何とも言えず良い表情。そして、最後の「Voodoo Chile」において、張り切りまくるハイラムとハワードはさすがの迫力。

45分の演奏を観終わって消そうとしたら、あれあれ、別の映像が入っている(プライヴェート盤ならでは)。どうやら、1984年のよみうりランドにおける「Live under the Sky」のテレビ放送のようで、画質は汚い。それでも、ジャコ・パストリアスがゲストとして加わってベースソロをここぞとばかりに見せつけ、血管が切れそうなハンニバル・マーヴィン・ピーターソンの長いトランペットソロ、ジョージ・ルイスの理知的な感じのトロンボーンソロなんかを観ることができた。メンバーの中にいたジョージ・アダムスの姿もとらえてほしかったところだが、拾い物だし贅沢は言わない。

●参照
ギル・エヴァンス『Plays the Music of Jimi Hendrix』
ギル・エヴァンス+ローランド・カーク『Live in Dortmund 1976』
ビリー・ハーパーの新作『Blueprints of Jazz』、チャールズ・トリヴァーのビッグバンド(『Svengali』)


長谷川修一『旧約聖書の謎』

2014-06-08 10:13:38 | 中東・アフリカ

長谷川修一『旧約聖書の謎 隠されたメッセージ』(中公新書、2014年)を読む。

同じ著者の前作『聖書考古学』と同様に、旧約聖書において語られている物語に、歴史的検証の光を当てて読み解いてくれる本である。これがまた、門外漢のわたしにとっても面白い。

ノアの洪水物語モーセの出エジプトヨシュアによるエリコ制服ダビデとゴリアトとの戦いなどは、いまだ史実として確立されていない。この中でも最も「かたい」とみなされ、歴史の教科書にも書かれているのは出エジプトだろう。しかし、これも、時期が不明(おそらく紀元前13世紀)、イスラエル人の数が不明(聖書では大袈裟に書いている)、ルートが不明、十戒を得たシナイ山の場所が不明(現在のシナイ半島にあったのかすら明確でない)、など、など。

聖書は口頭伝承を何らかの意図をもって形にしたものであり、異本も数多い。したがって、これらの物語も、必ずしも歴史と整合せず、長い期間に起きた事象をひとつの象徴的な事件とした可能性もあるのだという。そのルーツやバイアスが、シュメールやアッシリアの時代にあるのだとしたら、なおさらこの時代のことを勉強したくなってくる。(そういえば、大英博物館でもっとも魅かれる展示品は、アッシリア時代の遺物だった。)

●参照
長谷川修一『聖書考古学 遺跡が語る史実』
ジャック・デリダ『死を与える』 他者とは、応答とは 


どん底、沖縄、ノーマン・メイラー

2014-06-08 09:35:06 | 関東

雨の中、久しぶりに新宿三丁目の「どん底」。

OAMを立ち上げたNさんが帰京したこともあり、数人で沖縄の話。の、はずだったが、ジャクリーン・ビセットとかアヌーク・エーメとかマルクス兄弟とかディエンビエンフーとか、当然のように何がなんだかのグチャグチャ。

編集者のSさんに、本をいろいろ頂いてしまった。ジョージ・オーウェル『カタロニア賛歌』の現代思潮社版(岩波文庫版にない写真が多数挿入されている)とか、最近では古本しか手に入らないノーマン・メイラーとか。(ありがとうございます。)

<平林> あの頃、新宿にくすぶっていた奴の夜から明け方にかけての行動パターンは風月堂に4、5時間、コーヒー一杯でねばり、金のある奴はナジャへ。金のない奴はどん底へだった。
<よしお> 言っとくけど値段はどん底とそんなに変わらないの! 水割り1杯で300円だった。
『STUDIO VOICE』1998/9 特集「新宿ジャック1968」) 

●参照
どん底とか三上寛とか、新宿三丁目とか二丁目とか
新宿という街 「どん底」と「ナルシス」


デレク・ベイリー晩年のソロ映像『Live at G's Club』、『All Thumbs』

2014-06-07 14:34:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

デレク・ベイリーは2005年に亡くなったが、最晩年の数年間は、スペインのバルセロナに住んでいた。そのときのソロ演奏の映像が、『Live at G's Club』(Incus、2003年)と『All Thumbs』(Incus、2003年)の2枚のDVDとして残されている。

Derek Bailey (g)

完全ソロであるから、演奏においては衰えていないベイリーの姿がそこにある、としか言いようがない。

前者は2004/2/10、バルセロナのジャズクラブでの1時間の演奏。後者は2004/7、どこかの屋上での20分強の演奏。どちらも見応えがある。屋上ライヴはベイリーの指遣いにまでクローズアップで迫っており、短いながら観る価値があると言える。

はっきりと実感できるのは、ベイリーがクリシェやコードに頼って自己再生産を行っていたのではなく、その場で新たなものを淡々と生み出していたのだということだ。ベイリーは内省的でありながら、周囲の環境にも淡々と反応している。その結果として、ベイリーの手癖をこちらが見出したような気になったとしても、それはクリシェではない。

●参照
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
デレク・ベイリー『New Sights, Old Sounds』、『Aida』
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』
デレク・ベイリーvs.サンプリング音源
デレク・ベイリーの『Standards』
『Improvised Music New York 1981』
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ
ジャズ的写真集(6) 五海裕治『自由の意思』
トニー・ウィリアムスのメモ


ミシェル・ペトルチアーニの映像『Power of Three』

2014-06-07 09:24:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミシェル・ペトルチアーニの映像『Power of Three』(Blue Note、1986年)を観る。

Michel Petrucciani (p)
Jim Hall (g)
Wayne Shorter (ts, ss)

もう随分とCDで聴いた音源だが、映像でちゃんと観るのははじめてだ(ペトルチアーニを追ったドキュメンタリー『情熱のピアニズム』でも一部挿入されていた)。CDでは、トリオでの演奏「Limbo」からはじまるのだが、このDVDでは、実際の演奏順に、ジム・ホールとペトルチアーニとのデュオ「Beautiful Love」から収録されており、ウェイン・ショーターは後半3曲での参加。こちらのほうが良いかもしれない。

それにしても、予定調和とも思えるほどの完璧なコラボレーションであり、もちろんそれは結果にすぎない。

ホールのギターの音色はひたすらエッジが丸く、増幅の結果、雲の中にいるような印象を与える。ペトルチアーニの一音一音のアタックはとても強靭であり、弾いているところを観ると左手で和音を付けてはいるものの、右手の強烈さがそれを上回っている。ここでは、和音をホールが担うような形。硬くてやわらかく、尖っていて丸い。

●参照
マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』 ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー


フランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』

2014-06-06 23:20:19 | ヨーロッパ

仕事帰り、久しぶりに早稲田松竹に立ち寄り、フランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973年)を観る。

フランス・ニースでの映画撮影。ワガママで幼児的な主演男優(ジャン=ピエール・レオ)。精神不安定から回復し、英国から渡ってくる主演女優(ジャクリーン・ビセット)。個性的なスタッフたち。プレッシャーのため、毎晩悪夢に苦しめられる監督(トリュフォー本人)。

ずいぶん昔に、ヴィデオで観たときには、サブタイトル通り、満ち溢れるほどの映画への愛情が印象的だった。今回もその印象は変わらない。その一方で、一時的な興奮状態という映画づくりに対する自虐的な思いと、諦めのような念もまた伝わってくる。

学生時代の合宿とおなじである。あまりにも愉しい時間と人恋しさ、しかしそれが永遠に続くとしたら、どこに足場を見出せばよいか。ポール・オースターが引用した言葉、「As the weird world rolls on.」(このけったいな世界が転がっていくなか。)を思い出してしまう。

それにしても、ジャクリーン・ビセットは魅力的。そして困ったことに、「構ってちゃん」のジャン=ピエール・レオの情けない姿は、ときおり、自分を見ているようでもある。(わたしだけではないだろう?)


ポール・オースター『闇の中の男』再読

2014-06-05 22:45:19 | 北米

ポール・オースター『闇の中の男』(新潮社、原著2008年)を読む。

以前に原著にあまり良い印象を持たなかったのではあるが、名翻訳家・柴田元幸氏の手にかかってどう化けたのか気になり、避けるわけにはいかない。

これは、あり得た<アメリカ>を平行宇宙として描く物語である。

それぞれの伴侶を失った老人、その娘と孫娘。老人は、別世界の<アメリカ>で殺人行為を強いられようとする男の物語を夢想する。その世界では、<9・11>が起きなかったアメリカであり、いくつもの州が独立を宣言、ブッシュの率いる連邦政府に抗っている。男は、この世界を想像する者、すなわち物語を夢想する老人を殺しにいくようにと脅迫される。ひとりを殺さなければ、なお多くの死者が出るというのである。

老人の娘は結婚に失敗して絶望。孫娘は、理知的なはずの夫が、絶望状態を脱するため、周囲の反対にも関わらずイラク戦争に赴き、あろうことか、テロ組織に惨殺され、その映像がテレビとネットで流される。孫娘は引きこもりとなり、映画を観続ける。

オースターは、これが、<アメリカ>が不当に奪われたこと(すなわち、愚かなブッシュ政権)への怒りの表明であることを隠そうとしていない。そして、柴田氏が「あとがき」で書いているように、この小説を日本で読む者は、不当に奪われた現在の日本を重ね合わせることだろう。オースターと同様に、あるいは、違う形で、四分五裂し内戦に陥った<日本>の平行世界を書く者が出てきても、おかしくはない。

はじめに読んだとき、向こう側の<アメリカ>において、読者が感情移入する男があまりにもあっけなく最期を迎えることに、呆然とさせられた。しかし、これも、何だって起こりえて、それでも世界は動き続けることの象徴かもしれない。まさに、小説のなかで引用される言葉「As the weird world rolls on(このけったいな世界が転がっていくなか)」の通りである。

わたしはこの言葉の意味がよくわからず、「ひどい世界は過ぎ去っていく」とでも訳すのだろうと無理に解していた。しかしそれは、勝手な教訓的解釈であり、字義通り素直に訳すべきものであった。悪かろうと良かろうと、世界はすべて混淆して「weird(けったい)」なのであり、別に良い方向に向かうとは限らず、「転がっていく」のである。おそらく、オースターはそこに希望を見いだしている。

心に引っかかった言葉の、拙訳と、柴田氏の名訳との比較。比べるのはもとより愚かなことではあるが、やはり柴田氏の訳は素晴らしい。表現がやわらかく、短文に切り、気持ちが乗っているようである。

"Betty died of a broken heart. Some people laugh when they hear that phrase, but that's because they don't know anything about the world. People die of broken hearts."
●拙訳 「ベティは絶望によって死んだ。こう言うと笑う人もいるが、それは世界のことを何にも知らないからだ。人は絶望で死ぬんだ。」
●柴田訳 「ベティは心が破れて死んだのだ。この言い方を聞くと笑う人もいる。でもそれは、世界について何も知らないからだ。人は本当に、心が破れて死ぬのだ。」

(小津安二郎『東京物語』における原節子の台詞をもとに)
"Yes, Miriam, life is disappointing. But I also want you to be happy."
●拙訳 「そうだよ、ミリアム、人生はつまらないものだよ。だけど、君には幸せになってほしい」
●柴田訳 「そうともミリアム、世の中は嫌なものだ。でも私はお前に、幸せになってほしいとも思うのだ。」

(パラレルワールドからブリックを追ってきた同級生は、昔、憧れの的だった。妻を逃がしたブリックは、彼女との逢瀬を愉しむ)
"Let the man and the woman who met as children take mutual pleasure in their adult bodies. Let them climb into bed together and do what they will. Let them eat. Let them drink. Let them return to the bed and do what they will to every inch and orifice of their grown-up bodies. Life goes on, after all, even under the most painful circumstances, goes on until the end, and then it stops."
●拙訳 「子どもとして出会った男女に、大人の身体をもってお互いに悦ばせよ。ふたりにはベッドに入らせ、やりたいことをさせよ。食べさせよ。飲ませよ。そしてまたベッドに戻り、発育した身体のどんなところに対しても、やりたいようにさせよ。人生は続く。どんなに痛ましい状況でも、最後まで人生は続き、そして終わる。」
●柴田訳 「子供のころ出会った男女よ、大人になったたがいの体から快楽を貪るがいい。二人一緒にベッドに入って好きにするがいい。食べるがいい。飲むがいい。ふたたびベッドに入って、たがいの大人の体の隅々とすべての開口部とにしたい放題をするがいい。何といっても、どんなに辛い状況であっても人生は続いていくのだ。終わりまで続いていき、やがて停止する。」

(ブリルが孫娘に対して述べる回想。若いころ、モラルをどのように扱っていたか)
"That was the fifties. Sex everywhere, but people closed their eyes and made believe it wasn't happening. In America anyway."
●拙訳 「それが50年代。セックスはいたるところにあって、しかし、人々は目を閉じてまるでそれがないかのように信じていた。アメリカのどこでもだ。」
●柴田訳 「それが50年代だよ。いたるところセックスはあるのに、人々は目を閉じて、何も起きてないふりをしたんだ。少なくともアメリカではね。」

(カティアの若い恋人がイラクに行くと聞いて、ブリルは思いとどまるよう説得する)
"... but the last time you were here, I remember you said that Bush should be thrown in jail --- along with Cheney, Rumsfeld, and the whole gang of fascist crooks who were running the country."
●拙訳 「・・・でも君はこのまえ、ブッシュを監獄に入れるべきだと言っていたじゃないか。チェイニーも、ラムズフェルドも、この国を動かしているファシストの犯罪者たち皆も。」
●柴田訳 「・・・、このあいだここに来たときは、ブッシュは刑務所に入れられるべきだと言ってたよね―――チェイニー、ラムズフェルド、国を動かしているファシストの悪党どもみんなと一緒に。」

(ブリルやカティアは、カティアの恋人がテロリストに殺される映像を視てしまう。)
"Sleep is such a rare commodity in this house, ..."
●拙訳 「睡眠はこの家では稀少な商品となり、・・・」
●柴田訳 「眠りはこの家ではきわめて稀少な品なのだ。」

"But there's one line ... one great line. I think it's as good as anything I've ever read.
Which one? She asks, turning to look at me.
As the weird world rolls on.
Miriam breaks into another big smile. I knew it, she says."
●拙訳 「でもあの一言が・・・偉大な一言がある。いままで読んだもののなかで一番良いものだと思う。
どの一言? 彼女は訊いて、わたしを見た。
”ひどい世界は過ぎ去っていく”
ミリアムはにっこり笑って言った。知ってるよ。」
●柴田訳 「でも一行は・・・・・・一行は素晴らしい。いままで読んだ中で最高の部類に属す一行だと思う。
どの行?と、私の方に向き直りながらミリアムは訊く。
このけったいな世界が転がっていくなか。
ミリアムはまたニッと満面の笑みを浮かべる。わかってたわ、と彼女は言う。」

●ポール・オースター
ポール・オースター+J・M・クッツェー『Here and Now: Letters (2008-2011)』(2013年)
ポール・オースター『Sunset Park』(2010年)
ポール・オースター『Invisible』(2009年)
ポール・オースター『闇の中の男』(2008年)
ポール・オースター『写字室の旅』(2007年)
ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(2005年)
ポール・オースター『オラクル・ナイト』(2003年)
ポール・オースター『幻影の書』(2002年)
ポール・オースター『ティンブクトゥ』(1999年)
ポール・オースター『リヴァイアサン』(1992年)
ポール・オースター『最後の物たちの国で』(1987年)
ポール・オースター『ガラスの街』新訳(1985年)
『増補改訂版・現代作家ガイド ポール・オースター』
ジェフ・ガードナー『the music of chance / Jeff Gardner plays Paul Auster』


寺田町+板橋文夫+瀬尾高志『Dum Spiro Spero』

2014-06-04 23:04:33 | アヴァンギャルド・ジャズ

寺田町+板橋文夫+瀬尾高志『Dum Spiro Spero』(Illumination Label、2014年)を聴く。

寺田町(vo, g)
板橋文夫(p)
瀬尾高志(b)

板橋・瀬尾両氏の参加もあり、手に取ってみた。そして、何しろ聴きたい曲ばかりである。

寺田町というヴォーカリスト(地名ではない)のことは初耳だったのだが、ずいぶんとやさぐれた感じに歌う。ハスキーで、ヴィブラートが効いていて、直情的。ヘンな魅力があって、いつかライヴを聴きに行きたくなる。

2曲目の「もう一度、この街に」は、板橋文夫『The Mix Dynamite 游』(わたしの愛聴盤)の最後に、ピアノと箏とでしっとりと締めくくっていた曲である。これに、歌詞が付くとは想像もしなかった。3曲目の「Good-Bye」は言わずとしれた板橋オリジナルの名曲。ここでは、浅川マキが歌っていたのとは異なる寺田町の歌詞であり、これも悪くない。それから5曲目も、やはり名曲「渡良瀬」。

ピアノ、ベースともに、歌伴の入りかたやソロの佇まいが快感。<情>がかれらのキャラではないかと思えてきたりもする。

●参照
板橋文夫+李政美@どぅたっち
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』
板橋文夫『ダンシング東門』、『わたらせ』
峰厚介『Plays Standards』(板橋文夫参加)
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』(板橋文夫参加)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(瀬尾高志参加)
齋藤徹、2009年5月、東中野(瀬尾高志参加)


四方田犬彦『マルクスの三つの顔』

2014-06-03 23:34:07 | アート・映画

四方田犬彦『マルクスの三つの顔』(亜紀書房、2013年)を読む。

ここでいう「マルクス」とは、ローマ皇帝のマルクス・アウレーリウス、革命家のカール・マルクス、そして喜劇役者のマルクス兄弟。わたしはマルクス兄弟のファンであったから、かれらについての評論を読みたかった。

同じ「マルクス」とは言っても、血縁など直接のつながりはまったくない。ざっくり言えば駄洒落である。もっとも、強引な関連付けはなされている。

統一的な世界観をもったマルクス・アウレーリウスが、<1>。仮想敵を見出してそれを叩きのめすカール・マルクスが。<2>。そして、マルクス兄弟のチコ、ハーポ、グラウチョ(小林信彦と同様に、ここではグルーチョと呼ばない)が3人であることを、たとえばフロイトのいうエス、自我、超自我を引用したりもして、あたかも必然であるかのように<3>としている。しかし、マルクス兄弟について言えば、単に、初期のフィルムに登場する末弟ゼッポの個性が希薄であり、やがて姿を消したから3人になったに過ぎない。要するに、著者得意のスノッブ本である。

何年かぶりにマルクス兄弟の映画を観たくなったから、良しとする。

●参照
四方田犬彦・晏�慌編『ポスト満洲映画論』
四方田犬彦『ソウルの風景』
四方田犬彦『星とともに走る』
吉本隆明『カール・マルクス』


大林宣彦『野のなななのか』

2014-06-02 06:30:30 | 北海道

有楽町のスバル座で、大林宣彦『野のなななのか』(2014年)を観る。

北海道芦別市。風変わりな老人の死をきっかけに、4人の孫、ひとりの曾孫、老人に長いこと付き添った女性、老人の妹らが次々に集まってくる。

まずは、過剰すぎるほど過剰に吐き出され重なり合うことばの群れに驚かされる。死者のことばさえ、生者と隔てることなく混交する。そして、過剰のなかから見出されるものは「つながり」だった。

もっとも、これは封建社会への回帰ではない。「日本」ということばが出てくるものの、「日本」などへの回帰でもない。老人を慕う女性が、ソ連兵に強姦されてサハリンで死に、その前に古本屋に残してきた中原中也の詩集をリンクとして、別の女性に生まれ変わる。鉄道事故で死んでも、女性はまた生かされる。老人の友人は、ソ連兵の残された妻子のもとに赴き、そこで人生を共にする。紐帯は、血縁や地縁でもなく、閉ざされた共同体の論理でもない。 

大林宣彦のファンタジックな視線。「3・11」後の原発、敗戦後の戦争に対する明確な意思表示。ハチャメチャの中に、光芒のような一筋を見出すことができる映画だった。

●参照
大林宣彦『SADA』
『時をかける少女』 → 原田知世 → 『姑獲鳥の夏』


大江戸骨董市とアルマイトのケース

2014-06-01 23:19:27 | もろもろ

有楽町の東京国際フォーラム前では、定期的に「大江戸骨董市」が開かれている。実はこれまでまったく知らなかったのだが、国分寺の上海リルさんが出店されているというので、ちょっとお邪魔した。

ずいぶん古い巨人・阪神のピンバッジやら、ベルモンドが表紙で威張っている『勝手にしやがれ』のパンフやら、妙なものがいろいろ。折角なので、アルマイトの丸いケースを購入した。負けていただいた(ありがとうございます)。職場の机に置いて、ドリンク購入用のコインを入れる予定である。アルマイトだけあって、ちょっとこすれると歯が振動するような感覚がある。

自分はこういうものに弱い。パリやロンドンやバンコクやミラノやシドニーやヤンゴンやバラナシや北京などの露店で買ったものがいろいろあって、何のためにあるのかよくわからないが、とにかく存在している。小さいモノは活動の残滓ではない。いや残滓かもしれないが、そこには時間とか手仕事の跡とかそれに接した人の揺らぎとかいったものが残っている。

●参照
うずくまる
中国の顔
樹木からコースターとカメラのグリップ
パルサーもどき


石川文洋写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』

2014-06-01 22:17:22 | 東南アジア

銀座ニコンサロンに足を運び、石川文洋さんの写真展『戦争と平和・ベトナムの50年』を観る。

言うまでもなく、石川さんは米海兵隊の従軍カメラマンとしてベトナム戦争を取材した人であり、また、南ベトナム側で取材した者としてはじめて、北ベトナムの取材を許可された人でもある。

ベトナム戦争は、東西冷戦の生み出した1コマにとどまらない。米軍は、太平洋戦争中に日本に投下した20倍以上もの量の爆弾を、共産主義とみなしたベトナムに使用した。空爆だけではなく、ベトコンが潜伏しているとして村々を無差別に攻撃した。この写真群には、その隠しようもない姿が焼き付けられている。これらを凝視しても、被害者の恐怖の表情とは対照的に、米兵ひとりひとりの表情に何か物語に加工しやすい傾向を読みとることは難しい。

若い米兵は、戦争の背景はもとより、攻撃の相手が誰かなど知らされもせず、考えうる環境にもなかった。兵隊のリクルートや教育は、そのようになされていた。まさに、故アラン・ネルソンが語ったように。

「・・・皆さんは理解しなければなりません。何を理解するかというと、私たちは海兵隊員であり、軍隊であり、私たちは人を殺すために訓練されているということです。」

米兵の中にも差別は存在した。黒人兵が、戦地で不安そうに佇む写真がある。かれらはしばしば最前線に駆り出され、死亡率は非黒人兵よりも明らかに高いものだった。

かれらは紛れもない加害者であると同時に、被害者でもあった。だからと言って、歪に被害意識を肥大させ、加害性を覆い隠すことは、どこかの国のようになされてはならない。このようにベトナム戦争を視ることは、戦争に加担した日本の間接責任を忘却せず、また、歴史修正主義がいかにおぞましい所業であるかを意識することでもある。

写真は、ベトナム戦争だけではなく、その後のベトナムとカンボジアのポル・ポト軍との紛争、それを理由とした中越戦争、いまだ続く枯葉剤の被害をもとらえている。映画『石川文洋を旅する』も、観なければならない。

●参照
石川文洋講演会「私の見た、沖縄・米軍基地そしてベトナム」
石川文洋『ベトナム 戦争と平和』
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
石川文一の運玉義留(ウンタマギルウ)
石川文洋の徒歩日本縦断記2冊
スーザン・ソンタグ『ハノイで考えたこと』
伊藤千尋『新版・観光コースでないベトナム』
枯葉剤の現在 『花はどこへ行った』
『ヴェトナム新時代』、ゾルキー2C