Sightsong

自縄自縛日記

『MOSQ』

2015-09-20 09:27:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

『MOSQ』(Rectangle、2001年)を聴く。

Erikm (turntables, live sampling)
Charlie O (hammond organ)
Akosh Szeleveny (ts, ss, fl, kaual, bombarde)
Quentin Rollet (as)

いまだに何をどうしているのかよくわからない。フランスのRectangleレーベルはしばらく活動休止後、2011年からデジタル配信のみで復活していた。そして今回のCDリリース(他に、フィル・ミントン+ロル・コクスヒル+ノエル・アクショテ『My Chelsea』を入手した)。やはりマテリアルとして出してほしいと思うのだがどうだろう。

この音源も最近のものではなく、2001年の録音。それでも、カンタン・ロレという変態サックス奏者を聴けるだけでもよしとする。

ここでは、Erikmのターンテーブルやサンプル音源とチャーリー・Oのオルガンがドローンを創り出し、くたびれた、手垢と機械油とゴミにまみれた人工空間に連れていかれる。その環境において、アコシュ・セレヴェニとカンタン・ロレとが、さらに生存をアピールするかのようにぐちゃぐちゃのサックスソロを提示する。聴いていて喜んでいいのか絶望に身を任せるべきなのかわからなくなってしまい、脳味噌テリーヌ。

よくわからずアコシュ・セレヴェニについて検索していると、剛田武さんが紹介していた。
>> 21世紀ヨーロピアン・ジャズの潮流と謎のカオス系リードプレイヤー、AKOSH S.(アコシュ・セレヴェニ)

そしてまた、JOEさんも妙なアルバムを紹介している。なんだこのタイトルは。
>> Akosh S. - Omeko (Live)

●参照
カンタン・ロレ、レクタングル


渡辺勝+川下直広@なってるハウス

2015-09-19 23:50:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

合羽橋のなってるハウスに行き、渡辺勝と川下直広のデュオを観る(2015/9/19)。

渡辺勝 (vo, p, g)
川下直広 (ts)

渡辺さんを聴くのははじめてだ。「いちども逢わないことだってある/すれ違いすらしないことだってある」と、「君は僕の身体にしみ込みはしなかった」と、また「八月」と、太く朗々とした声で唄うとき、もはや抽象と化したそれらのフラグメンツが聴く者を揺らす。この、ただごとでない強度をもったノスタルジアは何だろう。

そして川下さんのテナーは、塩っ辛い音を絞り出すようなブルース。

Fuji X-E2、Leica Elmarit 90mmF2.8

●参照
のなか悟空&元祖・人間国宝オールスターズ『伝説の「アフリカ探検前夜」/ピットインライブ生録画』(川下直広)
『RAdIO』(川下直広)


『1975年8月15日 熱狂の日比谷野音』

2015-09-19 10:07:52 | 沖縄

『1975年8月15日 熱狂の日比谷野音』(Columbia)という2枚のディスクが再発されている。1枚目は「戦場の哀れ」、2枚目は「望郷」と題されている。いずれも、タイトル通り、1975年の「琉球フェスティバル」における実況録音であり、蝉の声も会場の熱狂も生々しく収録されている。

それにしても、信じがたいほどのメンバーである。司会が照屋林助。主な出演者は、嘉手苅林昌、知名定繁・知名定男の親子、登川誠仁、饒辺愛子、瀬良垣苗子、里国隆、糸数カメ。このレジェンドたちが入れ替わり立ちかわり、唄や三線や返しで組んでいる。

てるりんの司会は名調子であり、戦争や貧困の辛苦を語る。戦争協力の姿を淡々と唄うものあり、里国隆のように「負けて当たり前」(「黒だんど節」)と叩き付けるものあり、嘉手苅林昌のようにヤマトゥの風俗に染まらぬことを飄々と唄うものあり。

若き日の瀬良垣苗子の声は張りがあって素晴らしいな。知名定男のヴェルヴェット・ヴォイスもまた。

てるりんも興に乗って、「三毛猫」というヒトラーの替え歌を披露してみたりする。「PW節」は「Prisoner of War」(捕虜)の苦しみを唄ったものにも関わらず、明るい。中島貞夫『沖縄やくざ戦争』(1977年)においては千葉真一に唄わせていた(ヒットマンに殺される直前)。もしかすると、中島貞夫もこのときに聴いていたりして。

唄三線とともにある、沖縄の怒りと抵抗の歴史は長い。

●参照
小浜司『島唄レコード百花繚乱―嘉手苅林昌とその時代』
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』
嘉手苅林昌「屋慶名クワデサー」、屋慶名闘牛場
知名定男芸能生活50周年のコンサート(2007年)
2005年、知名定男
高嶺剛『パラダイスビュー』(1985年)(照屋林助、嘉手苅林昌出演)
知名定男の本土デビュー前のレコード(1975-77年)
灰谷健次郎と浦山桐郎の『太陽の子』(知名定男出演)
里国隆のドキュメンタリー『白い大道』
1985年の里国隆の映像


平野久美子『テレサ・テンが見た夢』

2015-09-17 23:13:42 | ポップス

平野久美子『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』(ちくま文庫、2015年)を読む。

テレサ・テン=麗君は、台湾の外省人として生まれ、香港や日本で大スターとなり、さらには東南アジアでも、堕落するものとして禁じられた中国本土でも、非常に大きな影響力を持ち続けた。アイデンティティの違いはあるにせよ、彼女の人気は、それぞれの場所で生き延びる人たちが失った故郷や心の拠り所を求めんとする意思に支えられた。すなわち、華人ネットワークである。

その意味で、著者が言うように、テレサ・テンと麗君とは別のコードであったという見方が正しいのだろう。大傑作『淡淡幽情』において聴くことができる世界を包み込む力と、「つぐない」や「時の流れに身をまかせ」などにおける日本の男の妄想を支える力とは、明らかに違うものであるから。(もっとも、後者のテレサの声も素晴らしいものだ。)

ナイーヴに過ぎて、自滅したのだろうか。もしかすると、生き続けて新たなヴィジョンを切り開くパートナーに恵まれていれば、ワールド・ミュージックという新しい世界でまた活躍したかもしれない、という著者の想像には、少なからず驚かされる。

今日もまた、私たちにとっての天安門事件。生き延びようね。

●参照
テレサ・テン『淡淡幽情』
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう(2)
宇崎真、渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』
フェイ・ウォン『The Best of Faye Wong』、『マイ・フェイヴァリット』
楊逸『時が滲む朝』


ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』

2015-09-16 07:19:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(Greenleaf Music、2012年)を聴く。

Donny McCaslin (ts)
Jason Lindner (el-p, p, syn)
Tim Lefebvre (b)
Mark Guiliana (ds)
David Binney (vo, syn)

ときに肉声のくせに電気サウンドのような音を出すマッキャスリンのテナーは面白い。マーク・ジュリアナのドラムスも、何もドラムマシーンや打ち込みの偽装ではない。

マシーンやエレクトロニクスを使うのではなく融合しているのである。言ってみれば、かつて夢みた理想的な未来社会。だがそれはシニカルなディストピアの暗示でも、底抜けに楽天的なユートピアの信仰でもない。もっとも、『銀河鉄道999』において鉄郎が機械伯爵を葬ったような、システムの崩壊も見せてほしいところではあるけれども。

●参照
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)
マーク・ジュリアナ『Family First』(2015年) 


蓮見令麻@荻窪ベルベットサン

2015-09-16 06:21:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

帰国中の蓮見令麻さんの演奏を観るために、荻窪ベルベットサンに足を運んだ(2015/9/14)。


Fuji X-E2、Leica Elmarit 90mmF2.8

蓮見令麻 (p, vo)
須川崇志 (b)
本田珠也 (ds)
Guest: Todd Neufeld (g)

不思議なピアノである。菊地雅章や、ポール・ブレイを思い出す瞬間もあった。アネット・ピーコックのようだなと思っていたら、たしかにアネットの歌だった。もちろん蓮見さんのピアノはどれとも違っていた。

まるで、霧が立ち込めて先も視えないような古い街において、踊るように手を伸ばすたびに、掌にさまざまな色の結晶が入っているような。聴いていると、脳の特定箇所が活性化されて止まない感覚がある。霧の街でも眼は開く。

ちょうど出されたばかりのアナログ盤『UTAZATA』を入手できて、これから聴くのが楽しみである。

●参照
鈴木勲セッション@新宿ピットイン(2014年)(本田珠也参加)
本田珠也SESSION@新宿ピットイン(2014年)
ポール・ニルセン・ラヴ+ケン・ヴァンダーマーク@新宿ピットイン(2012年)(本田珠也参加)
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』(2008年)(本田珠也参加)


武満徹の映画音楽集 『夢の引用』

2015-09-13 23:21:30 | ポップス

武満徹が作曲した映画音楽を集めた、『夢の引用/Quotation of Dream - Love and Soul of Toru Takemitsu』(Intoxicate、2006年)という風変りなアルバムがある。

鈴木大介 (g)
Brandon Ross (g, African harp, vo)
Stomu Takeishi (b)

風変り、というのは、モチーフもさることながら、クラシックギターの鈴木大介とジャズギターのブランドン・ロス、ジャズベースのツトム・タケイシというコンビネーションについても言える。これが素晴らしく、また、「○と△の歌」などにおけるロスのヴォーカルもなめらかで良い。

武満徹については、映画音楽以外ろくに聴いていないのではあるが、けだるく、甘酸っぱく、諦めたような感覚の曲が少なくないような気がしている。それを名手3人にこんなふうにしっとりと弾かれると降参である(何に?)。

「狂った果実」といえば、ジョン・ゾーンが太田裕美やクリスチャン・マークレイを起用して取り上げた『Spillane』がどうかしている代物だったが(武満の曲ではない)、ここに収録された演奏も静かに狂っている。

●参照
武満徹『波の盆』
元ちとせ『平和元年』(武満徹と谷川俊太郎の「死んだ男の残したものは」を歌う)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(武満徹の「他人の顔」を演奏)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(ブランドン・ロス)
ヘンリー・スレッギル(10) メイク・ア・ムーヴ(ブランドン・ロス、ツトム・タケイシ)
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75(ツトム・タケイシ)
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱(ブランドン・ロス)
ヘンリー・スレッギル(1)(ブランドン・ロス)
マイラ・メルフォード Snowy Egret @The Stone(ツトム・タケイシ)
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』(ツトム・タケイシ)


マーク・トウェイン『バーレスク風自叙伝』、『ジム・スマイリーの飛び蛙』

2015-09-13 22:02:15 | 北米

マーク・トウェインの短編集を2冊読む。『バーレスク風自叙伝』(旺文社文庫、原著1871-1898年)と、『ジム・スマイリーの飛び蛙』(新潮文庫、原著1862-1898年)。どれも法螺話や与太話の類だが、これが矢鱈と愉快で、とても百年以上前に書かれたものとは思えない。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの語り部のイメージだけでとらえていては、この作家の魅力を十分に味わうことができないのだということが、よくわかった。

前者所収の「西部の無法者 ジャック・スレイド」は、凶悪でありながら人間関係の手管を駆使して権力者となった男を描いている。おとぎ話のようでありながら、突き放して笑い飛ばすユーモアがあって、西部劇はこれでなければなと思った次第。だから、クリント・イーストウッド『許されざる者』は根本的に駄作なのだ。

後者所収の「風邪を治すには」や「経済学」は思わず声を出して笑ってしまうほどの騙りの技。「失敗に終わった行軍の個人史」は、南北戦争においてひたすらにミジメな目にあった若者たちの物語。アメリカではベトナム戦争時にも再度読まれたという。今また、戦争のリアル(システムではなく、精神の)を味わうに最適な短編ではないか。

そして「How to Tell a Story」は、前者では「秘伝 上手な話し方のコツ」と、後者では「物語の語り方」という邦題で翻訳されている。大久保博、柴田元幸ともに名翻訳家ではあるが、個人的には、文章がやわらかい柴田訳。いずれにしても、実際に人前で話すコツは得られないのだが。

●参照
マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』


ヒルマー・イエンソン『MEG NEM SA』、アンドリュー・ディアンジェロ『Skadra Degis』

2015-09-13 07:54:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンドリュー・ディアンジェロが目当ての2枚。

■ ヒルマー・イエンソン『MEG NEM SA』(Skirl Records、2006年)

Hilmar Jensson (g)
Andrew D'Angelo (as, bcl)
Jim Black (ds, electronics)

■ アンドリュー・ディアンジェロ『Skadra Degis』(Skirl Records、2007年)

Andrew D'Angelo (as, bcl)
Trevor Dunn (b)
Jim Black (ds, electronics)

DVDサイズで外側にろくに情報が書かれていない(タイトルもメンバーも)、Skirl Recordsの「売ろうと思ったか極めて疑問」シリーズ。わたしもスマホを片手に中古を入手してから、しばらく放置していた。最近のクリス・スピードの盤などは普通のCDサイズになっているのだが、それにしても何を考えているのだろう。

なんにせよ、アンドリュー・ディアンジェロ。顔を真っ赤にしてキレそうになりながら息を吹き込み、ノリで疾走するアルトか。バスクラはまた違う感覚。聴けば聴くほど脳内に雨が降り、エンドルフィンが分泌される。『Skadra Degis』の最後は、十八番の「Gay Disco」で、皆でへなへなと踊り狂うようでわけがわからなくなる。いや~、どんどん好きになっていく。

ともかくも疾走するといえばジム・ブラックのガジェット的なドラムスもそうか。

●参照
アンドリュー・ディアンジェロ@Downtown Music Gallery(2015年)
アンドリュー・ディアンジェロ『Norman』(2014年)(ブラック参加)
ピーター・エヴァンス『Destiation: Void』(2013年)(ブラック参加)
ピーター・エヴァンス『Ghosts』(2011年)(ブラック参加)
Human Feel 『Galore』(2007年)(ディアンジェロ、ブラック参加)
アンドリュー・ディアンジェロ『Morthana with Pride』(2004年)
三田の「みの」、ジム・ブラック(『Habyor』2004年、『Splay』2002年)
エド・シュラー『The Force』(1994年)(ディアンジェロ、ブラック参加)


北井一夫『北京―1990年代―』

2015-09-12 23:04:32 | 写真

京橋のツァイト・フォト・サロンに足を運び、北井一夫さんの写真展『北京―1990年代―』を観る。移転後のツァイトを覗くのははじめてだ。

愛しの北京。土埃やその他いろいろなものが舞っている。光がそれらで乱反射する空気感もとらえた写真群である。おそらくはエルマー50mmF3.5などのレンズが、それをねらいとして使われているのだが、この柔らかさは本当に見事である。冬青社から出された写真集『1990年代北京』も置いてあり、いくつか比較してみると、写真集の印刷のほうがメリハリがある。オリジナルプリントの柔らかさをさらに実感した。

もちろん、レンズの描写だけではない。冬に野積みにされたり窓の外に置かれたりする白菜。たたずむ老人。金魚鉢、鳥籠。リヤカー(「石家荘」と書かれているので北京ではなく河北省石家庄において撮影されたのかと思ったが、写真集で確認すると、北京のムスリムが集まる牛街であった)。また北京を歩きたくなってくる。もう4年半もご無沙汰している。

日本カメラにおいてモノクロプリントの審査をされているからか、すでに展示されたプリントは完売。なお、1枚16万2千円とのことである。『80年代フナバシストーリー』のときは1枚5万円だったと記憶している。買っておけばよかったなあ。

いつも北井さんは土曜日に在廊されている。デジタル移行の話を訊いてみると、やはり本当だった。ソニーのαに古いライカレンズを付けているとのこと。しかもカラー。ファインダーをのぞいたり、液晶を視て撮ったりだというが、なかなかその姿は想像しにくい。まだ、どこかに公表する前の段階だという。どんな作品が生まれてくるのか楽しみだ。

「だってもう50年もやったから。あんたたちはまだフィルムを使わなきゃダメだよ!」

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


フィールドワーク『Door』

2015-09-12 09:10:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

フィールドワーク『Door』(PI Recordings、2007年)を聴く。

Fieldwork:
Vijay Iyer (p)
Steve Lehman (as)
Tyshawn Sorey (ds)

タイショーン・ソーリーのドラムスは、あらゆる情報を取り込んで吐きだす。何もスタイルが奇抜でエキセントリックなわけではなく、どちらかといえば、オーソドックスなドラミングの延長線上にあって、そのスケールが規格外ゆえ人びとの口にのぼるのだと感じているがどうだろう。

スティーヴ・リーマンのサックスは、その都度異なる複素平面上でリニアな展開を繰り広げている(複素平面がリーマン面というのはもちろん冗談)。なぜか、埴谷雄高の宇宙空間へと駆けのぼる想像力を重ね合わせてしまう。しかも、無数の複素平面上での埴谷雄高。そして、複素平面から次の複素平面へとジャンプさせるのがヴィジェイ・アイヤーのダイヴァーシファイするピアノ。

・・・などと妄想。今となってみればスーパートリオだ。シンプルにして三者三様。

●参照
ヴィジェイ・アイヤー+プラシャント・バルガヴァ『Radhe Radhe - Rites of Holi』(2014年)
ヴィジェイ・アイヤーのソロとトリオ(2010、2012年)
ワダダ・レオ・スミス『Spiritual Dimensions』(2009年)(アイヤー参加)
ジャファール・パナヒ『これは映画ではない』、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(2003年)
スティーヴ・リーマン@Shapeshifter Lab(2015年)
スティーヴ・リーマンのクインテットとオクテット(2007、2008、2014年)(ソーリー参加)
スティーヴ・リーマンのデュオとトリオ(2010、2011年)
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』(2013年)(ソーリー参加)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)(ソーリー参加) 


ダニー・マッキャスリン『Fast Future』

2015-09-11 23:26:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(Greenleaf Music、2014年)を聴く。

Donny McCaslin (ts)
Jason Lindner (el-p, p, syn)
Tim Lefebvre (b)
Mark Guiliana (ds)
David Binney (vo, syn)
Nina Geiger (vo)
Nate Wood (g)
Jana Dagdagan (spoken word)

マイケル・ブレッカーやデイヴ・リーブマンやジョージ・ガゾーンのテナーは好みではないが、マッキャスリンのテナーは悪くない(と、同じ系譜内に位置付けてみる)。平然と雲の中をまっすぐ突き進むようでいて、より軽く、よりポップ。最初の頃のパット・メセニーを思わせるところもあったりして、愛のスポークン・ワードもあって、サウンドも軽くポップ。マーク・ジュリアナのドラムスは肉体と汗を感じさせない。

電気とテクと愛の空中楼閣か。何度も繰り返して聴いていると癖になってくる。

●参照 
マーク・ジュリアナ『Family First』 


平井玄『ぐにゃり東京』

2015-09-11 22:05:25 | 関東

平井玄『ぐにゃり東京 アンダークラスの漂流地図』(現代書館、2015年)を読む。

校正を行うフリーターとして、都市の窪みで、郊外で、心身を酷使する日々の呟き。眼は、宇宙とゴキブリとを、野坂昭如と平将門とを同じ土俵でとらえている。これに比べれば、「東京の地霊を幻視する己」を手際よく創り上げようとした中沢新一『アースダイバー』などがますます薄っぺらいものに感じられてくる。

昼間のオフィスワーカーとしては、椅子の下からよくわからないもので突き上げられているようで、読みながら居心地の悪い思いをするのだが。

●参照
平井玄『彗星的思考』
平井玄『愛と憎しみの新宿』
貝塚爽平『東京の自然史』
貝塚爽平『富士山の自然史』
榧根勇『地下水と地形の科学』
薄っぺらい本、何かありそうに見せているだけタチが悪い
野坂昭如『新宿海溝』


バブーシュキ『Vesna』

2015-09-10 22:07:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

バブーシュキ『Vesna』(Multikulti、2013年)を聴く。

Babooshki:
Karolina Beimcik (vo, vln)
Dana Vynnytska (vo)
Michal Tomaszczyk (tb, vo)
Jan Smoczynski (p)
Michal Jaros (b, vo)
Dima Gorelik (g, vo)
Bogusz Wekka (perc)

ポーランドとウクライナ出身のふたりの歌を中心に置いて、民族音楽的で懐かしくもあり、モダンでカッチョよくもある。トロンボーン、ピアノ、ギター、パーカッション、ベースそれぞれがここぞというところで入ってくる。

何より、人の声というものがこんなに気持ちいいものかというサウンド。アイヌのヴォーカル・ユニット「マレウレウ」を聴いていて、同じように感じたところだ。


メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』

2015-09-09 22:04:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(Firehouse 12、2014年)を聴く。

Mary Halvorson (g)

これまで、この人のギターを無重力製造器だと思っていた。しかも、清家新一の超相対性理論のように、科学や人智を超えた領域で発生する無重力。

ところが、完全ギターソロになった途端に、さらに、メアリーは被っていた猫を脱ぎ捨てる。モノカルチャーの無重力などではなく、重力と無重力を自在に発生させては消し、聴く者を良いように揺さぶりまくる。ノリによる揺さぶりではない。聴いていると酔ってしまうような感覚である。

予測不能のフラクチュエーションそのものが化けた、エリントンの「Solitude」も、憂愁だけを抽出したような、カーラ・ブレイの「Ida Lupino」も、凄い。


メアリー・ハルヴァーソン、2014年(The Stone)

●参照 メアリー・ハルヴァーソン
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
『Plymouth』(2014年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)